56 あなたの寵愛は不要ですが
シェリールルに見られたチルーマは、わざとらしく震え、王太子にしがみつく。
「やだぁ……。スティ、アタシこわぁい」
「おい! チルーマが怖がってるだろう。そうやって睨むのはやめろ」
どう聞いても怖がっていない声音なのに、よくもまぁそこまで言えるものだ、とはこの場の二人以外の共通の気持ちだろう。
ぱらりと扇子を開き、シェリールルは柔らかな笑みを浮かべる。
「私はただ令嬢を見ていただけですが……。これで怖がるなんて、王太子妃になれるのかしら」
「語るに落ちたな。シェリールルは王太子妃の地位が欲しくて、俺に溺愛されているチルーマが邪魔だったのだろう」
「いいえ、全然?」
「は?」
そもそもチルーマでは王太子妃になれないし、シェリールルも王太子妃にはなりたくないのだ。
「そもそも、私と殿下はただの政略結婚の相手ですし、そこに相手に対する特別な何かがないのは、お互い様だと思っておりましたが……」
「シェリールルは俺のことが好きで、婚約者になったんだろう?」
「どうしてそうなるのでしょう。父である公爵と国王陛下がお決めになったことで、私自身は一切望んでおりませんでしたのに」
「シェル……そうなのか」
シェリールルの言葉に流れ弾を受けたのは、部屋の端で様子を見守っていた父公爵だ。
コールリアル、アスミュートは頷き公爵を見る。
「貴族である以上、政略結婚は当然ですからお父さまはお気になさらないで」
そうは言っても、娘の幸せを考えて用意した婚約だった。
確かにアスミュートがシェリールルのことを大切に思っていたことは、つい先頃知ったが、だからといってまさか娘の口から直接この婚約を一切望んでいなかったと言われると、自分の行為を後悔することしかできない。
「それから、私は王太子妃や王妃になりたいと思ったことも一度もありませんわ。皆さまがどうしてそんなにその立場になりたがるのか、本当に不思議でしかたがないのです。殿下のように遊び暮らせると、皆さま思っておいでなのかしら」
「なっ……! 俺だって公務をしているぞ」
「当然ですわ。でも、現在はかなりの量をロット殿下が担っておられますよね。あら……そうなると、ストランド殿下って必要なのかしら」
シェリールルは穏やかだが、筆頭公爵家の娘だ。
国や自家門に不利益をもたらす者は、排除して当然だと考えている。
「それで、彼女への虐めでしたかしら。私、そちらの方とは外務大臣の夜会で突然言いがかりを付けられた時にしか、関わっておりませんのよ。確か――フェシャレル子爵家の養女になられた方だったかと」
あの日、チルーマは公衆の面前で平民であることを認定され、子爵家の養女となった。
そうでなければ、その場で不敬罪として処されるところだったからだ。
当然チルーマはその理由と意味を理解などしていない。
「アタシ……っ! 本当にフェシャレル子爵家の娘なのに、勝手に平民扱いして、養女扱いにされたのっ! こんな酷いことを平気でするシェリールルなんて、王妃の資格はないわっ!」
すでにシェリールルのことが呼び捨てになっているが、王太子は気付かない。
「私、王妃も王太子妃もなりたくはないけれど、資格がないとは言われたくないのよねぇ。特に何の努力もされていない方には」
音を立てて扇子を閉じると、シェリールルはすぐ近くのテーブルに置かれたジュエリーを一つ手に取る。
「これはランドーブル公爵領のパープルダイヤモンドですね」
窓を通して入ってきた陽光に、ダイヤモンドが光を返した。
美しい紫色が浮かび上がるその石は、ダイヤモンドの中でも希少で、更に言えばランドーブル公爵領産は品質が良く高価だ。
「通常、パープルダイヤモンドの購入には、相当な資金が必要となります。殿下の個人資産でここにある全てのジュエリーを買われたのであれば、あっという間に資産は目減りしてしまいますわね」
乱雑に置かれたジュエリーたちは、どれも超がつく一級品だ。
王城出入りの商人が、王太子に差し出す商品が二流のもののことはあり得ない。さらに商機であると思えば、普段は売りにくい質は良いが使い勝手の悪い大きさの高価な石を見せることもするだろう。
ここにあるのはそうした、宝石のグレードは良いが、少々使い勝手の悪い大きなジュエリーばかりだ。
「俺の個人資産なわけがないだろう。これは俺の婚約者のための予算を使っている」
「まぁ! 私、殿下から何か贈られたことはありませんが、そんな予算があったのですねぇ」
ちらりと父公爵を見る。宰相をしている彼は、アスミュートが抑えていた書類の束をシェリールルへと手渡した。
その束をパラパラとめくると、シェリールルは溜め息を深く吐く。
「――どなたか、近衛騎士を呼んできてくださらない?」
近衛騎士とは国王直属の騎士で、罪人を捕縛する権利を有している。
「おい、まさかチルーマを……」
「チルーマ嬢については、別件で問いただすことがたくさんありますが、その前に殿下。あなたですわ」
シェリールルの言葉に、部屋の外に控えていた護衛が王太子の周りを囲う。
近衛騎士が到着するまで、逃げないようにしたのだ。
あわせてコールリアルはシェリールルの前にさりげなく体を滑り込ませる。
「どなたか、チルーマ嬢に衣服を。この格好のまま陛下の御前に連れて行くわけにはまいりません」
「えっ、陛下に会えるの? やだっ。アタシこのまま王太子妃として、認めてもらえるんじゃないかな」
この状況でもまだそれを口走れるチルーマに、様子を伺っていたアンヌはさすがに天井を見上げた。




