54 王太子殿下は私が浮気をしたと仰いますが
大股で歩きながら、罵声をあげる王太子の口元からはツバが飛ぶ。
シェリールルは直ぐさま扇子を口元に広げ、冷ややかな笑みを浮かべる。
「まぁ殿下。舐めた真似……とはどういったことでしょう。私、アイスクリームですら噛むように躾けられておりますが」
彼女の言葉に、すぐ横にいたドゥランディ博士は笑いをかみ殺す。
淑女たるもの何かを舐めるだなんてはしたない。それは当然誰もが知っている。
「そういうところだ! 王城で男と逢い引きとは、俺を馬鹿にしているのか」
(……なるほど。こちらに瑕疵を付けようというつもりなのですね)
おそらく、今日シェリールルが登城すると聞き、彼女の予定を確認したのだろう。
そこで午前中の予定を知り、突撃してきたというわけだ。
王太子もまさか本当に二人がそういう仲だとは思っていない――かは、わからない。
自分がしていることは、相手もしている筈だと思うのは、ありがちなことだ。
「まぁ! 殿下はドゥランディ博士をご存じないのでしょうか」
普段ださないような大きな声で、シェリールルは驚きを示す。
その声が廊下に響き、近くの部屋にいた使用人や貴族が様子を伺いに扉を開けるほどだった。
それこそが、シェリールルの目的だ。
今このやりとりを第三者の目に触れさせておく。
(この廊下に面している会議室は、今日はどこも使用予定が入っていた筈)
シェリールルたちが四人で打ち合わせをする部屋が、廊下の奥になっていたのはそうした理由からだ。
「はぁ? 誰だそのドゥランディ博士って」
(もしかして、本当に名前すらご存じないのかしら)
顔を知らなくても、名前位は知っていると思っていた。
王太子も参加している筈の御前会議では、すでにザキネア子爵領の港の発展について、ロット第二王子から報告をしていると聞き及んでいたが、どうやら王太子の脳には記録されていないらしい。
「殿下、失礼致します。私が建築博士の称号を頂いております、ドゥランディと申します」
銀髪に碧い瞳のドゥランディ博士を見て、王太子は忌々しそうな顔を浮かべる。
どうやら見目の良さが気に障ったらしい。
「そいつが誰だって構わん。シェリールルは王城で堂々と浮気をした! これは王家を誹る行為であろう! 即刻」
「ストランド王太子殿下」
シェリールルは全てを言わせる前に、言葉を発する。
「では、殿下のおっしゃる王家を誹る行為について、話し合おうではありませんか」
パチリ、と扇子を閉じるとすぐに控えていた公爵家の侍女たちが動き出す。
「へぇ。兄上の口から浮気って言葉が出るとはねぇ」
「……ロット。お前なんでここに」
「シェリールル義姉様の予定を確認したんでしょ? 僕の名前もあったと思うんだけどなぁ」
ロットの後ろには、エルデアール伯爵令嬢が控え淑女の礼をする。
「エルデアール伯爵令嬢?」
「お久しゅうございます、王太子殿下」
「最近俺の元に来なかったのは、ロットと何か」
「兄上嫌だなぁ。エルデアール伯爵令嬢は、そこにいるドゥランディ博士と婚約の話が進んでるんだよ」
「は? あ? な……!」
自分が気に入っていた女性が、目の前で他の男に取られたと知ると、王太子の顔色は一気に赤く染まった。
不機嫌さを露わに、ドゥランディ博士を睨む。
彼らが会話をしている間に、シェリールルは王太子の住まいのある東の宮へと足を進めた。
(ロット殿下が足止めをしてくださってる間に、辿り着かないと)
王城は広い。
だが、幸いにも執務をするためにいた東南の宮は、王太子の住む宮のすぐ近くだ。
「あっ!」
「お嬢さま!」
急ぐあまり足がもつれ、転び掛ける。
「危ない」
そんなシェリールルを支えたのは、アスミュートだ。
「……なんでアスが?」
「俺も港の件でドゥランディ博士に用事があってな」
「そうなのね」
「アス、離れておけ。シェル、兄さまにつかまっていろよ」
「お兄さま?」
アスミュートと共に並ぶコールリアルは、ふわりとシェリールルを横抱きに抱える。
「アスミュートは別ルートで父上と合流してくれ」
「シェルを頼むぞ」
「俺のかわいい妹だ。頼まれなくとも」
二人は笑みを交わすと、バラバラの方向へと向かう。
シェリールルを抱き上げたコールリアルは、速度をあげて王太子の部屋へ。
「お兄さまとアスがどうしてここに」
「そりゃ、大事なシェルの大事な日になると思ったからさ」
答えになってはいないのに、シェリールルには何故だか腑に落ちた。
昨日アンヌが噂のことを彼女に伝えたときから、きっとこうなることを見越していたのだろう。
足早に移動するコールリアルに運ばれ、自分で動くよりも何倍も早く王太子の住まいである東の宮へと到着する。
当然衛兵は立っているが、その衛兵の出自は辺境伯領だ。
これも、彼らが今日のシフトになるように調整されていた。
二人を止めることをしない彼らに、シェリールルは衛兵の下げる剣に掘られた紋章を目視する。
(辺境伯はロット殿下についている。つまりこの宮はすでに掌握済みということなのね)
使用人たちはロット第二王子の手が入っており、彼ら彼女らの出自も多くは辺境伯領だった。
辺境伯家は、表立ってはまだ第二王子についているとは明らかにしていない。その方が、人を動かすには有利だからだ。
「シェル、好きなように動いていいからな。俺もアスも、ロット殿下もフォローする気しかない」
「さすがに私を甘やかしすぎではないかしら」
「安心しろ。父上も義母上も、甘やかすつもりだ」
「……それはむしろ、加速させているわね」
コールリアルは、王太子の部屋から二つ離れた王太子夫婦の寝室の扉の前で、シェリールルを降ろす。
以前この部屋へは裏にある王族通路から秘密裏に入ったが、今日は表の通路側にある扉の前に立つ。
二人のすぐ近くに、この部屋付きになっているという侍女が近付く。
「ご挨拶申し上げます。王太子夫婦の寝室の担当となっております、辺境伯家の侍女にございます」
王城侍女のお仕着せを着た彼女は、名を明かすことはあえてせずに、その出自のみを二人に告げた。
シェリールルは頷き、扉へと扇子の先を当てる。
「この扉を開けて頂戴」
侍女は恭しく礼をすると、扉をゆっくりと開けた。
部屋の中に籠もる独特のにおいが、外気を求め二人の横を抜けていく。
奥にあるベッドの影が、まるでその上を這うように蠢いた。




