53 王太子が女性を囲っているそうで
「え、王太子殿下が女性をお部屋に囲っていらっしゃる?」
シェリールルがその噂を聞いたのは、実に王太子がチルーマを抱いてから一週間後のことだった。
噂を十二分に駆け巡らせる間、彼女の耳には触れないように家族が一致団結していたからだ。
「ええ、お義姉様。なんでも、ある朝王太子夫婦の寝室に掃除に入った使用人が、目撃したらしくて」
まるでその噂だけを伝聞したかのようにアンヌが口にする。実際は計画の全てをコールリアルから聞いていたのだが。
シェリールルはその話を受け、少しだけ思案する。
「ねぇアンヌ。その噂はどのくらい前から?」
「……一週間前からです」
「黙ってたのね」
シェリールルの言葉に、アンヌは思わず視線をそらせた。
「まぁいいわ。きっとお兄さまが口止めしたのでしょう? それで今も殿下の元には女性がいるのね」
「王太子付きの使用人が、彼女の世話をしていると聞いています」
「じゃぁ彼は私と婚約の解消をするのかしら」
「お義姉様、むしろ婚約破棄をこちらから提案しましょう! 瑕疵は向こうです!」
アンヌはシェリールルの手を握り、じっと彼女を見つめる。
それがあまりにも真剣すぎて、思わずシェリールルは笑ってしまった。
「そうね。婚約破棄をして……でも、そんなことをしたら、そのあと私が嫁ぐ先なんてなくならない?」
「それは絶対に有り得ません! だってア……アの、ほら、どう考えても王太子が悪いのですし」
思わずアスミュートがいると言いそうになるが、これはまだ黙っていないといけない。
シェリールルに一欠片の瑕疵も生み出さないためにも。
「確かにそうよね。まぁ嫁ぐ先がなかったら、領地に小さなお家でも用意して貰って、のんびり過ごすのも――あら、結構良いいかもしれないわ」
(お義姉様……っ! それは確かにスローライフとして楽しいかもしれませんが、残念ながらそうはいかないです!)
アンヌの心の声はシェリールルには当然聞こえないので、当たり障りのないような笑みを浮かべてやり過ごした。
「それで、その女性はどちらの方? エルデアール伯爵令嬢はすでにドゥランディ博士との婚約話が進んでるし……アメフォード侯爵令嬢だって、さすがに侯爵閣下がその扱いを許しはしないでしょう? ということは、他の女性かしら」
シェリールルはこれまで教育を授けてきた令嬢たちの名前を、この後もあげていく。
が、当然ながらその誰でもない。
「お義姉様。とてもとても言い出しにくいのですが、その女性はチルーマ・フェシャレル子爵令嬢なんです」
「チルーマ・フェシャレル? あぁ! あの外務大臣の夜会でとんでもないことを言い出した」
「はい。どうやら、うまいこと王太子に取り入ったみたいで」
「えぇ……、でも彼女はあまり礼儀もなっていなかったわよね」
誰でも良いから王太子の婚約者の立場をもらって欲しいと思いながらも、シェリールルは王太子妃、ひいては王妃としてこの国の外交などにも関わる女性には、それなりの教養を求めている。それは当然王国、ひいては民のことを思ってだった。
「でもお義姉様、王太子がそのまま王太子でいる可能性ってどのくらいですか?」
「それはもちろん私が……。そう、そういうことなのね」
王太子の立場を盤石なものとしているのは、シェリールルが婚約者であることが大きい。
筆頭公爵家の令嬢が王太子妃になるということはつまり、マツィエ公爵家が権力の支えになるからだ。
だが、王太子側の瑕疵で婚約が破綻したらどうなるか。
「お兄さまとアスがついているのは、ロット第二王子殿下だわ」
年は離れているが、それでもロット第二王子はまもなく十一歳になる。
王太子よりも利発で、さらには辺境伯家が後援についた。
「ザキネア子爵領の港もほぼ完成で、今は多くの物流の拠点にもなり始めているし、その担当もロット第二王子」
「ね、お義姉様。これなら安心して現王太子の婚約者を子爵家の令嬢に譲っても」
「むしろその方が、妙な軋轢も生まなくていいわよね」
手元のベルを鳴らし、シェリールルはやってきた侍女に言付ける。
「明日、登城します。連絡を」
*
殊更に王太子が嫌いそうな、自立性の高い女性を意識してヘアメイクとドレスを選ぶ。
午前中は王城で、ドゥランディ博士と港についての意見交換をすることにした。ちょうどザキネア子爵領からドゥランディ博士が戻ってきていると聞いたので、ロット第二王子とエルデアール伯爵令嬢と四人で打ち合わせを勧める予定だ。
午後は王太子付きの使用人に話を聞いて、件の部屋を確認したいと思っていた。
一週間程度では時期尚早かと思ったが、アンヌが自身へと噂を告げたと言うことは、動いて良いと兄が判断したのだろう。
まずは事実確認をし、第三者の記録を取りたい。
「お久しぶりです、マツィエ公爵令嬢。時間より少し早めでしょうか」
予定よりほんの少し早く王城に着いたシェリールルが廊下を歩いていると、後ろから声がかかる。
ドゥランディ博士だ。
「王城でお会いするのは、殊更久しぶりですわね。ザキネア子爵領でのご活躍、たくさん伺ってますわ」
二人は歩きながら、打ち合わせの為の部屋へと向かっていく。
王城の廊下は外通路となっており、大きな柱と柱の間からは鳥の鳴き声が聞こえる。
緩やかに風が吹き、シェリールルの髪の毛がふわりと揺れた。
ふと立ち止まり、庭へと目を遣る。
「良い天気ですわね」
「ええ、本当に。穏やかな風に乗って、ハールリの香りもします」
ハールリとは秋に咲くジャスミンの一種だ。
この香りがすると、王国では収穫祭の準備を始める。
ドゥランディ博士も立ち止まり、二人で外をしばし眺めていた。
そこへ――。
「シェリールル! 随分と俺を舐めた真似をしてくれてるな!」
大声で罵声を飛ばしながら、王太子が歩いてきた。




