43 アスのお父さまとお祖父さまと
開け放たれていた温室の入り口から顔を覗かせたのは、二人の話題の主、アスミュートだった。
「アスったら、私たちの会話を聞いてたの?」
「いや、今ちょうど通りかかってね。コールを探していたら、俺の名前が出たからさ」
そう告げるアスミュートの手には、封筒が一通。
「お兄さまなら、お父さまの執務室にいると思うわ」
「閣下もいらっしゃるなら、ちょうど良いな。ありがとう」
二人の会話を邪魔しないよう、アンヌはひたすら存在感を消している。
それに気付いたアスミュートは、温室の中に足を踏み入れた。
「少し喉が渇いたな。シェルの紅茶、少しだけ分けてもらっても?」
「構わないけれど……新しく淹れさせるわよ」
「一口だけだからさ。不調法で悪い」
そう言ってシェリールルの前にあるカップを手にして、口を潤す。
目の前で繰り広げられるそれに、アンヌは口元が緩みっぱなしだ。
「ありがとう。ちょっとコールに会ってくるよ」
温室を出る間際。
アスミュートは振り返り、笑みを浮かべる。
「それと、俺はあの下品な子爵令嬢なんて興味ないからな」
それだけ言い残すと、執務室へと向かっていった。
「……あれって全部聞かれてたってことですよね」
「アスはやっぱり、あの令嬢には興味がないんですって」
二人の言葉が重なる。
アンヌはシェリールルに満面の笑みを向けたのだった。
*
アスミュートは足早に、マツィエ公爵の執務室へと向かう。
「お、アスちょうどいいところに。今、人をやろうと思ってたところだ」
執務室で親子で向かい合って座る公爵は、そう言うとコールリアルの隣にアスミュートを座らせた。
「先ほど、ロット殿下から内密に書面が届いた」
公爵は手元の手紙を二人にも見せる。
封緘は第二王子が密使に使うときのものだ。
つまり公にはされていないが、わかる人には第二王子のものであるとわかる印。
「殿下はご決断されたか」
コールリアルの言葉に、公爵が頷く。
アスミュートも手紙に目を通し、表情を厳しくすると二人を見た。
「以前、隣国キャトタワ王国の第六王女殿下がお出でになったときに、我ら二人に殿下が尋ねられたことがあります」
アスミュートの言葉に、公爵は先を促した。
「曰く、我ら二人に側近になるつもりはあるのか、と」
公爵はその言葉に溜め息を漏らす。
「つまり兄である王太子を蹴落とすつもりであるということだな」
手元の手紙にも、類似した言葉が書かれてあった。
「実は我が家にも同様の内容の手紙が」
アスミュートは手にしていた封筒を机の上に広げた。
公爵とコールリアルがそれに目を走らせる。
「――この国の未来を憂い、在位中の我が父王の後継となるべく密かに決起す。憂国の臣たればその身を好機と顕すべし」
コールリアルが読み上げる。
端的に言えば、兄である王太子は王の器がないということだ。
「さて、シェルをどうするべきか」
公爵が顎をさすりながら、目を細める。
マツィエ公爵家がロット第二王子に与することになれば、王太子の婚約者であるシェリールルをその立場から救わねばならない。だが、この婚約は王家が望んだものでもある。
「――王命に対して、父上が喜んで拝命してしまいましたからね」
コールリアルは、二年前の誕生日に父公爵が口にした言葉を思い出す。
当然公爵は公爵で、愛娘であるシェリールルの幸せを考えての縁組みではあった。
だが、それがここにきて足枷となる。
「マツィエ公爵」
アスミュートが立ち上がった。
そうして彼は扉の前まで下がると、片膝を突き公爵へと頭を下げる。
「シェルが……シェリールルが王太子の婚約者ではなくなりましたら、彼女に求婚する許可を頂けないでしょうか」
公爵はその言葉に、目を丸くした。
アスミュートとコールリアル、そしてシェリールルが仲が良いのは当然知っていたが、やりとりをつぶさに見ているわけではない。まさかアスミュートがシェリールルに恋情を抱いているなど、思ってもいなかったのだ。
「顔を上げてくれ、アス。いや――アスミュート殿」
アスミュートはその場で、まっすぐに公爵を見据える。
それは、好いた女の父親への許諾を求めるというよりは、決断を迫る強い意志を感じさせるものだった。
「いつから」
「もうずっと――そうですね。シェルと初めて会ったときに、一目惚れしましたから」
「……待て。二歳の頃だろう」
「そうですね。二歳の頃です」
「重いな」
公爵は深々と息を吐く。
これに早く気付いていれば、王太子ではなくアスミュートとの婚約を成立させたことだろう。
「先ほどコールが口にしたが、シェルと王太子の婚約は王命に近い」
「はい。ですので、うまく断れる状況を作りましょう」
「できるのか?」
「やってみせますよ」
ニヤリと笑うアスミュートは、公爵が初めて見る顔だった。
「アスのお祖父様にそっくりになってきたな。その笑み」
顔を天井に向け、公爵は額に手を添える。
言われたアスミュートは、眉を軽く上げて笑った。
「父が跡を継ぎ、その後まで順番は回ってきませんが、それでも俺は確実に祖父の血を継いでいますからね」
「アスの父君は優しい方だ。君は隔世遺伝が強いのではないか」
「だとしたら、それはそれで嬉しいですね。シェルを守れる力が強いようなものですから」
今度はいつもの笑みを浮かべた。
公爵はアスミュートの祖父を思い浮かべる。
計略に長けた、力のある男だ。
そろそろアスミュートの父親が今の地位を息子――アスミュートへと譲り、爵位を交代するだろう。
「なんなら、ロット殿下がうまいこと王太子になるタイミングで、一足飛びに君が爵位を受け継ぐ方がいいのかもな」
穏やかで、優しいアスミュートの父親を思い浮かべそう口にする。
アスミュートは小さく肩を上げて、首を傾げた。
「もしもそれが、俺がシェルを口説く条件の一つであればそうしますよ」
「そうなれば、ロット殿下の地位は盤石になるだろうな――未来の大公閣下よ」
公爵はそう言って、アスミュートの言葉を否定しなかった。




