36 養子縁組
「では、ドルイト君に関しては、一定レベルまでの教育は公爵邸でということで」
「ええ。その代わり、通いでシュストレー商会に週に二日ほど実務を学びに」
「最初は下働きかと思いますが」
「十分ですわ」
ドルイトを、シュストレー商会を運営するミスト家の養子にする話は、トントン拍子に進んだ。さすがに養子についての話し合いは、大人同士でする必要がある。そこで忙しい公爵に代わり、というテイで公爵夫人であるレジェスが交渉を請け負った。隣には無論、シェリールルも座っている。
シェリールルの隣に座るドルイトは、めまぐるしく変わる環境に、驚きを隠すことができない。ほんの数日前までは、教会に付属する児童院でガキ大将として過ごしていた。
あの場所も人も嫌いではなかったが、お腹いっぱいになることはないし、もうあと一年もすればあの場を出なければならないこともわかっていた。
児童院を出たところで、就ける職もない。すぐに朽ち果てて死んでしまうか、悪事を働いて捕まって死ぬかのどちらかだと思っていた。
それが、今は小さいとはいえ商家の養子となったのだ。それも、教育は公爵家がつけてくれ、さらに公爵家はその商家の後ろ盾にまでなってくれるという。
「夢みてぇだ」
己の手を見る。それは小さな手。でも、数日前とは違って、爪も汚れていなければ、手の皺の間も垢が溜まってなどいない。
「……ドルイト? どうしたの? 何か辛い?」
「え……?」
シェリールルが優しく髪を撫で、顔を覗き混んでくる。そこには、自分を心配する色が浮かんだ瞳があった。
「泣いてる」
指摘され、初めて気付く。自分の瞳から、ぼたぼたと涙が零れていたことを。
「ずび……ばぜん……。がなじいんじゃなぐで……」
ずび、と鼻水を啜りながら、ドルイトはどうにか言葉を綴る。
「ありがだぐ……て。うれじぐ……て」
彼の言葉に、ミスト家の家長は立ち上がり、彼の側で膝を突いた。
「ドルイト。私は君の父になる。私の妻は体が弱くて、子どもを生むことはできない。だから、君が私たちの唯一の子だ。急には無理かもしれないが……家族になろう」
ドルイトは、今まで得たことのない不思議な感情が心に生まれたことに気付いた。ほんわりとした、何か言いようのない安心感。世界中で何かがあっても、ここだけは自分の味方をしてくれるのではないか、そんな気持ち。
「マツィエ公爵夫人、ご令嬢。もしよろしければ、ドルイトは我が家からそちらのお屋敷に、通わせて頂くことはできないでしょうか」
「あら! 問題ないですわ。親子になったのですもの。同じ家に過ごす方が良いわよね。家庭教師の問題で、こちらに来て頂くのは必須ですが……」
シェリールルがそう告げれば、ミスト家の家長は改めて頭を下げた。
「何から何まで……ありがとうございます」
そのまま、今日から一緒にいる方が良いのでは、ということでドルイトを置いて、レジェスとシェリールルは屋敷に帰ることにした。
「それにしても、まさか奥方が体が弱いから、養子を受け入れるという話だったのね」
「そこまでは『シュペラブ』内では分からなかったけど、トントン拍子に話が進んだ理由は良くわかったわ。──ねぇ、シェル」
馬車に揺られながら、二人はほっと息を吐く。
「なんでしょう、お継母様」
「航海術を持つあちら様を手に入れたいと思った本当の理由は、アスミュート様じゃなくって?」
レジェスの言葉に、シェリールルは目をパチクリ、と音がしそうなほど瞬く。
「お継母様、どうしてわかったの?」
「アスミュート様の領地は海があるのだもの。その領地を盛り立てる為には、海運業を強くする必要があるわ」
馬車はあっという間に、公爵邸の門まで辿り着く。王都の屋敷といえど、屋敷の入口までは遠い。少しだけ速度を落としつつ、馬車は秋の色に変わり始めた木々の中を抜けていく。
(こうして四季があるのは、日本の乙女ゲームだからなんでしょうね)
レジェスは窓の外を見ながら、そんなことを思う。
「私が聞きたいのは、どうしてアスミュート様の領地なのか、ってこと」
シェリールルは気付いていない。無意識のレベルでアスミュートを補佐しようとしていることを。そして、どうしてそうしようと思っているのかを。
「幼なじみだし、隣の領地でしょう? 助け合うのは当たり前だわ」
本心で言っているのだろう。深層心理に気付いていないだけで。
(まぁ、まだ婚約破棄のタイミングは来ていないし、『シュペラブ』でもシェルの幼なじみなんてポジションは、出ていなかったはず。それなら、これまで通り、このまま本人は無自覚のままで、しばらく様子見の方針で良いかしらね)
レジェスも結局は、他の二人と同じ結論に至る。
「あぁ、そうだわシェル。12月になったら冬の夜会が外務大臣の屋敷であるの。ドルイトをそこに連れて行きましょう」
「お披露目ね!」
「コールやアスミュート様も参加するはずだから、皆で楽しみましょうね」
(アスミュート様には申し訳ないけれど、シェルが目をかけているドルイトを連れていけば、嫉妬とかしちゃうんじゃないかしら!)
レジェスは、人の恋愛模様を楽しむのが大好きなタイプだ。想像しただけでニマニマと口元が緩んでくる。
「ああ! 楽しみすぎるわ、今度の夜会!」




