33 アスからの種明かし
「ロット王子殿下がご視察の際には、こちらに学校を開設したいと私が話していた旨、お伝え下さい」
「畏まりました。文官殿、今のも記載を」
「は」
公式の文書として残すことで、この後この場所に子どもたちの為の学びの場所が作られることが、ほぼ確約された。
筆頭公爵家の娘で、王太子の婚約者であるシェリールルが、第二王子への依頼をしたということは、政治的にも非常に大きな意味を持っている。
「さて、ドルイト。あなたには悪いけれど、すぐに来られるかしら。我が家の使用人として雇うわ。きちんと給金も払います。もちろん我が家に来た後も、ここに遊びに来て構わない。皆、大事な仲間、なんでしょう?」
ドルイトが食ってかかり、そしてシェリールルが連れて行くという話をしている間、彼の後ろには多くの心配そうな瞳が集まっていた。おそらく、彼はこの場所のガキ大将的な立ち位置だったのだろう。
「いいのか?!」
彼女の言葉に、ドルイトがパッと表情を明るくする。シェリールルは、ドルイトの前に屈み目線を合わせると、手袋を外し、彼のベトベトに脂のついている髪をそっと撫でた。
「マツィエ公爵令嬢?!」
驚き、声をかけたのはホワテリだった。かつてこの場に来た貴族の誰一人として──子どもを引き取りに来た貴族を含めて、手袋を外し、薄汚れたままの子どもに触れることなど、した者はいなかった。せいぜいが手袋をしたまま、軽く体に触れる程度だ。
「寂しいだろうけれど、あなたはしっかりと勉強して、ここにいる他の子たちの希望になりなさい」
シェリールルとて、まだ15歳だ。けれど、彼女は幼い頃から公爵家で教育を受け、さらに今は王太子妃教育も受けている。必要以上に大人になることを強要される貴族社会も、一つの虐待とも言えるが、それでも。
手を差し伸べることができる相手には差し伸べ、改善できることは改善する。その為の力があるのであれば、使いこなすべきだと、彼女はすでに理解をしていた。
「おま……え、っと」
「シェリールルよ」
「……シェリールル……様」
「そう。これからはそう呼びなさい。あとで迎えの馬車を呼ぶわ。我が家で再会しましょう」
その場を離れ、最後に教会に向かう。もうすぐ夕方の礼拝の時間だ。シェリールルはさして神を信じてはいないが、立場上礼拝に参加し、今日の視察を終える。
「マツィエ公爵令嬢、礼拝の前の身支度を」
アスミュートが後ろから声をかけ、恭しく修道女たちが水を持ってやってきた。手足、口元を濯ぎ、身を清める。
「ありがとう。皆下がって良いわ」
貴族、王族の為の礼拝所が、礼拝堂の二階に用意されており、そこに向かう。その場に入れるのは、護衛を含めて貴族籍の者だけとなる。今回であれば、シェリールルとアスミュートのみだ。
礼拝のスペースは個室ではあるが、密室ではなく特に扉があるわけでもない。えんじ色の絨毯が敷かれ、椅子が少しばかり高価なものが使われていた。平民と席を並べない為だけの場所なので、男女が二人だけであっても、問題はなかった。
「驚いた」
「何がだ?」
二人きりの空間になると、お互いにいつのも口調に戻る。小さな声なので、周りに聞こえることもない。
「アスがいたことよ。まさかロット殿下も、こちらを視察しようと思っているだなんて。……あら、でもそれなら他の場所に行ってくだされば良いのにね」
「まあ、俺が手をまわしたからな」
「へ?」
アスミュートの言葉に、シェリールルは淑女らしからぬ声を上げてしまう。
「声、大きい」
護衛としての表情を取り繕いながらも、アスミュートはくすり、と笑う。
「え、だってそれじゃ……ロット殿下の視察って……?」
「ああ、視察は本当にあるよ。ただ、視察先については、俺がちょっと、ね」
事もなげにそう言うアスミュートに、シェリールルは慌てて扇子を広げる。その扇子の内側では──大いに、笑っていた。
「もう、何やってるのよ、アスったら」
シェリールルの言葉に、アスミュートは一瞬だけ微笑み、そうして護衛の顔に戻り、口を開く。
「俺の一番の優先はシェルだから。視察先で何かあったら困るだろう?」
あくまでも護衛の距離を保ちながら、表情を保ちながら、言葉だけは、声音だけは、甘く。シェリールルの扇子の中は、今度は真っ赤になった顔が隠れている。
「あなたは私に甘すぎるわ」
「あれ、それこの間も言われたな」
二人の会話は、やがて始まる礼拝の鐘にかき消されていく。
(アスったら、これまでにも増して、最近私に甘い気がするわ。前だったら視察に付いてくるなんてこと、なかったし)
司式者の声を聞きながら、そんなことを思うシェリールルは、まさか帰宅後、義妹のアンヌに叫ばれるとは思ってもいなかった。
「お義姉様! ドルイトは攻略対象者です!」




