17 助けに来てくれたのは
「レディ。グラスの中身は人にかける為にあるわけではない」
彼女の手首を掴み、反対の手でグラスを取り上げた男がいた。
いつもは低い位置で緩く纏めている黒髪は、後頭部の中心あたりでしっかりと纏められている。首元を彩るクラバットは、まるでシェリールルの瞳のような青藍色。彼の深い金色の瞳を、美しく見せていた。
そんな彼は、アメフォードの手首を押さえながら、冷え冷えとした視線で彼女を見下ろす。
「っ、な!」
「ザキネア子爵領子息」
シェリールルは王家主催の夜会であることを考慮し、他家の子息の名を呼ぶことを控える。もちろんその理由を、ザキネア子爵領子息と呼ばれた男──アスミュートは良くわかっていた。
「マツィエ公爵令嬢、ワインはかかっていない?」
先ほどまでの冷めた声色とは、似ても似つかないほど柔らかな口調でシェリールルに話しかける。
「ええ。ありがとう。ほら、ドレスもこの通りきれいなままよ」
自らが贈ったドレスに身を包む彼女を、アスミュートはまるでなにかまぶしいものを見るかのように、見つめた。そうして、口の端をゆっくりと引き上げ、笑う。
その表情を見ていた他の令嬢たちは、あまりの色っぽさに、皆顔を赤くしてしまった。ただ、残念なことに一番赤くなって欲しいシェリールルにだけは、その色香は届いていないようだったのだが。
「それにしても、良かったわ。アメフォード様は今、どうやら足がもつれて転びそうになったみたいなの」
そういうことにしましょう、とその場の全員に視線で圧をかける。彼女たちも馬鹿ではない。今それに逆らえば、王太子の婚約者であり、筆頭公爵家の令嬢への不敬を問われると気付いているのだ。
「え、ええ。卿、支えてくださいまして、ありがとうございます」
アメフォードも慌てて話を合わせる。
礼を言われたアスミュートは、本当はこの場で彼女にしっかりと釘を刺したかったのだが、肝心のシェリールルがそう言うのだ。
仕方がない、とばかりに軽く眉を上げて肩をすくめるだけに留める。
そんな二人のやりとりを見ながら、シェリールルは扇子を口元に広げて一考した。
(この程度のことで慌てるだなんて、度胸が足りないのかしら。王太子妃になるには、度胸も大切よね)
冷静な瞳でアメフォードを見つめながら、これでは王太子とくっついたとしても、王太子妃として他の人に認めて貰えないのでは、と懸念する。
「そういえばアメフォード様は、男爵家のご令嬢だったとか」
「なっ! わ、私を馬鹿になさるのですか?!」
「いいえ? どうして男爵家のご令嬢だったことが、あなたを馬鹿にすることになるのです」
男爵家という単語にすぐに反応したアメフォードだったが、返す言葉に黙するしかない。
「良かったら、あちらの別室に行かないか?」
アスミュートが近くの使用人に声をかけ、空いている部屋を用意させた。こうした夜会では、貴族たち同士の交流から、商談などの話が始まることも多く、別室が多く用意されているのだ。
万一のことがあったら、ということで、アスミュートも同席することとなった。他にもアメフォードと共に来ていた令嬢たち、そしてシェリールルがアメフォードと接触していることに気付いて近くで様子を見ていたアンヌも、共に部屋に入る。
これでお互いの陣営は、人数的にはバランスが取れることとなった。
別室は美しい天井画が施されており、薄い青緑の壁紙に金色のシャンデリアの影が揺らめいている。壁紙の色よりも濃い青緑色のソファは、その見た目よりも柔らかかった。
そのソファにアメフォードとその友人たち、対する向かい側にテーブルを挟んで、シェリールルとアンヌが座った。アスミュートはお互いの間──いわゆるお誕生日席に座る。
使用人が運んできたのは、紅茶。まだ年若い面々の話し合いに、アルコールは不要である。この紅茶は、マツィエ公爵家が持つ領地の一つ、ドルレイユ伯爵領の名産の、ラマフィガンという紅茶だ。
一口飲んだだけで、他の紅茶との違いがわかるほど、味が深くそれでいて渋みが少ない茶葉は、ファンが多い。シェリールルは小さい頃よりこの紅茶を飲んでいたこともあり、もちろんどの紅茶よりも好きだった。だから、こうした場にこの紅茶を用意した使用人の配慮に、シェリールルは嬉しくなる。
実際は、アスミュートが使用人に銘柄を指定していたのだが、彼女がそれを知る由もない。
紅茶を一口飲み、ゆっくりと息を吐くと、シェリールルは口を開いた。




