16 婚約者を狙う侯爵令嬢
「せめて椅子のある場所まで、エスコートなさってください」
「ち。仕方ないな」
王太子とて、ここで彼女を無碍に扱えば、両親である国王や王妃に叱られることはわかっているのだろう。彼女を壁際の椅子までエスコートし、近くにいた給仕に飲み物を持ってくるよう指示を出すと、「もう良いだろう」と言わんばかりにすぐに立ち去った。
(今日の一仕事を終えたわ。……あぁ、でも殿下がいないと、アメフォード・ルディリアン侯爵令嬢は、私に話しかけに来たりはしないかしら)
事前に義妹のアンヌが、アメフォード・ルディリアン侯爵令嬢のイベントがあると話していた。──イベント、という言葉までも、シェリールルはすっかり使いこなしている。
(こうした夜会で、殿下と仲良くしてくだされば、こちらもやりやすいのだけれどねぇ)
堂々と浮気をしてくれれば、こちらが身を引くというテイで、婚約の解消も狙えるのではないか、などと思ってしまう。
「マツィエ公爵令嬢、少々よろしいかしら?」
呼ばれた声にそちらを振り向けば、シェリールルが待ち構えていた令嬢が、派閥の令嬢を引き連れて立ち並んでいた。
シェリールルも立ち上がり、微笑む。
「お目にかかるのは初めてですわね。シェリールル・マツィエです」
「初めてご挨拶いたします。アメフォード・ルディリアン。ルディリアン侯爵家の一女です。どうぞアメフォードと」
「では私のこともシェリールルとお呼びくださいませ」
周りの令嬢たちも続けて挨拶をする。シェリールルは彼女たち一人一人を見て、名前、表情、特徴、髪型から着ているドレスのランクに至るまで、その全てを記憶していった。
「シェリールル様、あなたは王太子殿下をお支えするおつもりがないのでしょうか」
──挨拶のあとに、すぐにこれか。
シェリールルがその言葉に受けた感想は、これに尽きる。
(もう少し……。もう少し枕詞というか、会話を弾ませてからとか、あるでしょう! もっと貴族同士の会話を考えて、迂遠な言い回しとかできないのかしら!)
率直な感想を告げるとするならば、「及第点に遠く及ばず」だろう。
王太子妃ともなれば、多くの貴族たちとの腹の探り合いが必須だ。それを、これほどまでに紋切り型に話を切り出すのでは、役に立たないどころか、足を引っ張るだけの存在になりかねない。
「アメフォード様。夜会の人手で、熱気が強いみたいですわね。飲み物でもいかがかしら?」
折良く、王太子が言いつけていた給仕が飲み物を持ってきた。それを一つ取ると、アメフォードにも渡すように言いつける。
深い紫色の液体は、この国では12歳から飲むことを許される特別なワインだった。
暗に冷静になれ、と告げたのだが、それが伝わったのか伝わらなかったのか──。
「そうやって、気取っちゃって! あなたなんて、殿下にこうして放置されているくせに……っ!」
給仕から受け取ったグラス。アメフォードはそのグラスを持つ手首にスナップをかけて、勢いよくシェリールルにかけようとした。
だが、その瞬間。
「レディ。グラスの中身は、人にかける為にあるわけではない」
彼女の手首を掴み、反対の手でグラスを取り上げた男がいた。




