□ 1-7 聖王都エルミアラード
聖王都エルミアラード―――ラミビア聖王国の首都であり、政治・経済・文化の中心地。
目の前に広がる壮麗な光景は、俺の想像を遥かに超えていた。
王都は強固な城壁と水路に囲まれ、外敵を寄せ付けない巨大な要塞のようだ。
正面にそびえる三連アーチの正門は圧巻の一言で、上部には太陽を象った豪奢な装飾が輝いている。
さらに門柱には聖騎士たちの勇ましい戦いが精緻に刻まれ、歴史の重ささえ感じられた。
「これが、聖王都エルミアラードか……」
「ふふ、懐かしいわね。十年ぶりだけど、やっぱり立派だわ」
ミラは落ち着いた口調で言うものの、瞳の奥には懐かしさとわずかな興奮が揺れていた。
俺たちが壮大な門を見上げていると――一人の門番が、目を見開いたままこちらへ駆け寄ってきた。
「……ま、まさか……その髪型……いえ、その雰囲気……
し、失礼ですが――十年前に聖女隊におられたシスター・ミラ様で……間違いありませんか?」
息を呑んだような驚きと、確信が混ざった声だった。
突然名指しされたミラは、反射的に警戒の色を見せたが、すぐに柔らかな表情へ戻る。
門番の男は慌てて姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「す、すみません! 俺、ここで長く門番をしているデニスと申します!
聖女様と遠征に向かわれるミラ様を、何度もこの門でお見かけしておりまして……。
十年ぶりにお姿を拝見して、思わず声を……」
ミラは目を瞬かせ、次の瞬間には穏やかな笑みを浮かべた。
「まあっ……覚えていてくれて嬉しいわ。
デニスさん、お勤めご苦労さま」
デニスは顔を赤くし、子供みたいな笑顔で「い、いえ!」と頭を下げた。
「ありがとうございます!
聖女隊は俺の憧れでしたからね!
聖騎士団と一緒に颯爽として凱旋される姿……ほんとにカッコよくて、いつもこっそり見てたんです!
……それで、もしミラさまが王都に戻られたら丁重にお出迎えするように、聖王陛下からお達しが出てまして。
“いつか戻られるはずだ”って、ずっと……。
俺も、今日がおいでになる日かと密かに思ってました!」
「あらっ、聖王陛下が私を? それっていつ頃の話なの?」
ミラは驚いたように目を瞬かせる。
「通達自体は何年も前からありました。
でも……つい三日前にも改めて確認があって、“近いうち必ず来られるはずだ、準備しておけ”って。
間もなく王宮から使者も来ますんで、少しの間ここでお待ちいただければ!」
まさかの展開だった。
聖王に面会するために計画を練っていたのに、向こうから“歓迎の使者”とは――予想外にもほどがある。
「……そうなのね。じゃあ、お言葉に甘えて待たせてもらうわ」
ミラは軽くうなずき、デニスに案内されて正門脇の待合室へ移動する。
だが、胸の奥には不安がざわついていた。
「ねえ、ミラ。
なんか……思ってたのと全然違う流れになってない? 本当に大丈夫なの?」
「ええ、願ってもない話ではあるけど……タイミングが良すぎるわね」
「やっぱりそう思うよな……」
「だって、私、十年も王都から離れていたのよ。
三日前に急に“お召し”が来るなんて――偶然とは思えないわ」
ミラの表情は穏やかだが、その目は完全に警戒の光を帯びている。
「はぁ……なんかもう、罠にしか思えないんだけど。
出迎えにホイホイついてったら、そこにジェーンが――とかさ」
「あり得るわね。
でも逆に、何かを察した陛下が本気で通達を出した、という可能性もあるわね。
仮にも陛下のお召しだもの。今すぐ逃げるわけにもいかないわ。
少なくとも、デニスには悪意はなさそうだし……
状況が動くまでは様子見ね。危険な気配があれば、すぐに騒ぎ立てて逃げるわよ。
アレンも、何かあったらすぐに動けるようにね」
「……へい」
俺はうなずきつつ、無意識に拳を握っていた。
壮麗な聖王都の空気に浮かされていたけど――
俺たちはいま、“追われる身”だ。気を抜いている場合じゃない。
……
やがて、一刻ほどしてから――白銀の豪華な馬車が、まるで滑るように正門前へと現れた。
陽光を反射して煌めく金細工。
車輪の縁や留め金に至るまで意匠が施され、もはや芸術品だ。
馬車が音もなく止まると、扉が静かに開き、一人の男が姿を見せた。
「……ミラ、久しいな」
低く、落ち着いた声。
穏やかな笑みを浮かべつつも、その眼差しは鋭く、王族特有の威圧感を帯びている。
「あ……あなたは……タレス殿下!?
こ、これは恐れ多いことを!」
ミラは目を見開き、すぐに膝をついた。
俺も慌てて真似する。砂利が膝に刺さって痛いけど、それどころじゃない。
(タレス“殿下”って……王子のひとり!?)
目の前の男――タレス殿下は、銀灰の髪を丁寧に撫でつけ、整った髭を蓄えた堂々たる姿。
重厚な軍服には金の刺繍。
背後には、全身鎧の騎士たちが静かに控えている。
(……うわ、完全にラスボスの登場シーンだ……)
そんな感想を抱く俺をよそに、タレス殿下は優雅に片手を上げ、芝居がかった所作で言う。
「よい、面を上げよ。その少年がアレンだな?」
視線が俺に向いた瞬間、背筋がぞくりとした。
「ふむ……確かに可愛らしい。
我の“弟”となるわけだな。まずは歓迎しよう。
――ようこそ、我が麗しの聖王都へ」
両手を広げる仕草はいかにも“王子”。世界が違いすぎて目が回りそうだ。
(いやいや、これが俺の兄……? 絶対ムリだろ……)
「殿下、わざわざお迎えいただき、誠に恐れ入ります。
長らくご無沙汰しておりました、ミラでございます」
ミラはすぐに冷静さを取り戻し、完璧な礼を取る。
「このアレンは、陛下のご命により、私が長らくお預かりしておりました。
どうか……お心広く見守りいただければと」
(よし……俺も挨拶しなきゃ! 大人になりたいって誓ったんだし!)
喉がカラカラになりながら、俺は一歩前に出て、声を張った。
「は、初めまして!
ぼ、ぼくは、アレン・ロジエです!
よ、よろしくお願いしますっ!」
裏返りそうになったけど、なんとか言い切った――はず。
するとタレス殿下は、意外なほど豪快に笑った。
「ふははは……なかなか活きのいい少年だ。
ミラ、お前の教育は見事だな」
その笑みは柔らかく、本当に歓迎されているようで、胸が少し熱くなった。
「陛下も、お前たちを心待ちにしておられる。
元気な顔を、早く見せるといい」
タレス殿下は手を差し出し、俺たちを導くように馬車へと促した。
護衛の騎士に剣を預け、俺たちは王族の馬車へと足を踏み入れる。
中に入った瞬間、思わず息を呑んだ。
ふかふかのクッションが沈み込み、柔らかな香が漂う。
壁には精巧な彫刻が施され、窓には重厚なカーテン。
――これが“王族の乗り物”
やがて、馬車がゆっくりと動き出す。
タレスは薄く笑みを浮かべ、落ち着いた声音で口を開いた。
「実はな……少々、厄介な報せが入っていてな。
それで陛下より直々に命を受け、お前たちを迎えに参ったのだ」
――厄介な報せ?
俺が眉を寄せるより早く、ミラが慎重な声で尋ねる。
「それは……どういうことでしょうか?」
「お前たち、数日前に襲撃を受けたな? 違うか?」
「……! どうして、それを?」
ミラの問いに、タレスは静かに目を細めた。
「我が率いる法務院は、聖王国中の動静を把握するために独自の情報網を持っておる。
先日、『お前たちを狙う動きがある』という情報が入った。
陛下はその報告を受け、すぐにお前たちを保護するよう命じられたのだ」
「そう……だったんですね」
法務院――聖王国の司法と治安を司る組織。
その長であるタレスが把握していたと言われれば、確かに納得がいく。
「しかし、使者を向かわせた時には、すでにお前たちは旅立ったあとでな。
そこで、王都へ向かうだろうと見込み、我が待機していたというわけだ」
「そ、そうでしたか……」
ミラも素直に受け入れているようだ。
タレスの言葉は筋が通っているし、その落ち着いた物腰には、人を安心させる力があった。
だが、気になる点も残る。
「では……あの襲撃は、いったい誰が?」
ミラが問いかけると、タレスは一瞬だけ視線を伏せた。
「確たる証拠は、まだない。
ただ――お前たちを利用しようとする者と、それを良しとしない勢力が争っておる。
その影響が表に出始めておるのだ。
法務院としても捜査を進めている。いずれ明らかになろう」
……王都の跡目争いに、関係しているのだろうか?
不安はあるが、タレスの言葉には嘘や不穏さは感じられない。
今は、この人に任せるしかない。
「いろいろとご尽力いただいたようで、感謝いたします。
私たちも、もはや陛下を頼るほかないと判断し、聖王都を訪れたところでした」
「ふっ、危ないところだったな。
だが――もう心配は要らぬ。陛下がお前たちを保護する」
タレスは揺るぎない声で言い切った。
その一言に、胸の奥に張り付いていた恐怖――『ジェーンがまた襲ってくるのでは』という不安が、ふっと解けて消えていく。
「陛下には……大変ご心配をおかけしてしまいました。
こうしてアレンを……陛下の御子を無事にお連れできて、本当に、よかったですわ」
ミラは安堵したように微笑む。
彼女にとっては、十年以上も胸に秘め続けてきた“聖王様からの任務”。
ようやく果たせたのだと思えば、その微笑みに宿る感慨は当然だった。
だけど、俺の心はなぜか落ち着かない。
(……でも、これから、どうなるんだ?)
当面は聖王様に保護してもらえる。
それはありがたい。だけど、その先は?
俺はまた、ハンターに戻れるのか?
――いや、そもそも戻ることが“許される”のか?
物語の歯車は、静かに、しかし確実に、大きく回り始めていた――




