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□ 1-2 日常の終わり(2)

「よくもアレンを!!」


 ミラが激高して両手を広げると、凍てつく冷気が一気に溢れ出す。

 両腕から放たれた氷魔術――氷の矢(アイスアロー)が、白銀の雨となって女に襲いかかる。


(助かった……!)


 俺は心の底から胸をなでおろした。

 ミラはいつだって、俺が窮地に立たされると全力で守ってくれる。

 このまま、女を撃退してくれれば――

 だが。


「あらぁ、可愛らしいお婆ちゃん」


 女は薄笑いを浮かべながら、軽く剣を振るった。

 刹那、鋭い剣先が閃き、降り注ぐ氷の矢が次々と弾かれ、砕け散っていく。


「あなた、シスター・ミラ……でしょう?

 昔は王宮で、聖女様の腰巾着――いえ、補佐として治癒師(ヒーラー)をやってたとか」


 軽口を叩きながらも、女の剣筋は正確だ。

 氷の矢は一発たりとも届かない。


(やはりこの女……強い!)


 しかも、俺の知らないミラの過去を知っているようだ。


「アレンにひどいことをして!

 絶対に許さない!!」


 ミラは苛立ちを(にじ)ませ、次なる魔術を発動する。

 今度は――氷の槍(アイスランス)。ミラの切り札だ。

 鋭く巨大な氷の槍が次々と発生し、唸りを上げながら女に襲いかかる。

 その威力は、先ほどの氷の矢とは比べ物にならない。


「っ……!」


 女の目が一瞬、驚きに見開かれる。

 思わず後退するが、すぐに態勢を立て直し、氷の槍に剣筋を合わせて一つ一つ丁寧に叩き落としていく。

 砕けた氷片が宙を舞う。


「……なかなかやるじゃない」


 女は感心したように言うが、その表情は余裕に満ちている。

 むしろ、この状況を楽しんでいるかのようだ。


「うふふふ……あなた達二人には重大な容疑がかかっているのよ。

 ハーフエルフのアレンは、エルフ族と共謀して聖王国の乗っ取りを画策。

 ミラはその指南役。

 ふふふ……そして、あたしはその“死刑執行人”ってわけ」


(――は?)


 何を言っている?

 聖王国の乗っ取り? エルフ族と共謀?

 あまりにも荒唐無稽すぎる話だ。


「ふん、いったい誰の差し金?

 こんな理不尽がまかり通るとでも思ってるの?」


 ミラは険しい顔で女を睨みつける。


「さぁ? お偉方の考えなんて、あたしには分からないけど……

 命令は命令。悪いけど、死んでもらうわ」


 女は意に介さず、狂気じみた笑顔を浮かべる。

 話が通じる相手ではなさそうだ。


「はっ! やれるものならやってみなさいよ!

 返り討ちにしてあげるわ!」


 ミラも一歩も引かない。


「うふふ……ふふふ。 いいわねぇ、そうこなくちゃ。

 この仕事は気が進まなかったけど……手強い相手なら話は別ね。

 期待してもいいのかしら?」


 女の瞳が鋭く光り、興奮が高まっていく。

 戦闘そのものに喜びを感じているかのようだ。


「ふふっ……あたしはこう見えても聖王国の聖騎士(セイントナイト)

 第一聖騎士団の『狂狼のジェーン』とはあたしのことよっ。

 さあっ、胸を貸してあげるから、かかってきな!」


 その女―――ジェーンは、不敵な笑みを浮かべながら名乗りを上げた。

 なんと、この女はラミビア聖王国の最強の守護者――聖騎士(セイントナイト)だったのだ。


 女が剣を大上段に構えた瞬間、俺の心臓が一気に縮み上がった。

 聖騎士――それは、この国においては絶対的な強者。

 もはや絶体絶命だ。

 卓越した剣士の前では、魔術はスピードの遅さが致命的……この世界の常識だ。

 ミラだってそれを知っているはずだ―――


 だが、ミラは一切怯んでいない。

 その瞳には、強い意志が宿っている。


「ふん……聖騎士(セイントナイト)ですって?

 子供相手に剣を振るうなんて、ただのクズね。

 アレンを傷つけた報いは、絶対に受けさせてやるわよっ!」


 ミラは冷ややかに言い放ち、毅然とした態度でジェーンを睨みつける。

 同時に――

 彼女の両手から、強大な魔力が解き放たれた。


 <霜 柱 樹 林(フロストフォレスト)


 ミラの毛が逆立ち、膨大な魔力が周囲の空気を一瞬で凍りつかせる。

 強烈な冷気がジェーンを包み込むように広がり、地面に散らばっていた氷の矢と槍の残骸が反応するように動き出した。

 それらはまるで生き物のように成長し、無数の巨大な氷柱へと変貌していく。


 ミラのこれまでの攻撃は、すべてこの魔術のための布石だったのか――!

 次々と生み出される氷柱がジェーンを囲み、その動きを封じ込めるように迫る。


「くっ……何が起きてる……!?」


 ジェーンは後ろに飛び退きながら、次々と襲いかかる氷柱を切り払う。

 だが、次々に身体に氷が張り付き、その動きを徐々に奪っていく。

 ついには両腕まで凍り付いてしまい、自由がきかなくなる。


「まさか……こんなことが……」


 ジェーンは凍りついた自分の腕を見下ろし、敗北を悟ったように(つぶや)く。

 胸を貸すなどと言わずに、問答無用でミラに切りかかるべきだったのだが……時すでに遅しだった。


「ふん、口ほどにもなかったわね」


 ミラはジェーンを見下しながら、溜飲を下げるように言い捨てる。

 俺はその姿に、驚きを隠せなかった。

 まさか聖騎士(セイントナイト)を、こうも圧倒するなんて……


「くぅっ……なんなのよ、このババアは!

 そんな切り札があるなんて聞いてないわ!

 き、今日のところは引き下がってあげるわっ! 覚えてなさい!」


 ジェーンは顔を歪めて捨て台詞を吐くと、馬に駆け寄った。

 凍り付いた腕を無理やり動かし、勢いよく飛び乗ると、そのまま馬を一気に走らせて去っていく。

 その背中は次第に小さくなり、ついには視界から消えた。


 家の前には無数の氷柱が残され、凍てついた静寂が広がる。

 ミラが静かに息を吐くのが聞こえた。


「……アレンっ、大丈夫!?

 痛かったよね。すぐに治してあげるから」


 ミラは急いで俺のそばに駆け寄り、両手を胸の前で組むと、静かに祈りを込めて魔術を発動した。


 <回復(ヒール)


 ミラの言葉と共に、淡い光が俺の腕を優しく包み込む。

 深くえぐられた傷の痛みがまるで嘘のように和らぎ、心地よい温かさが身体中に広がっていく。

 傷口はみるみるうちにふさがり、痛みは完全に消えてしまった。


「あぁ……ありがと、ミラ」


 俺は深く息を吐き、ほっと安堵した。

 血を大量に失ったせいで少し頭がふらつくが、腕はすっかり元通りだ。


 それにしても、ミラの魔術は本当にすごい。

 これは初級の回復魔術のはずだが、これほどの大怪我を瞬時に治してしまうなんて。

 それに、さっきの霜柱樹林(フロストフォレスト)――あれは俺も初めて見たが、驚くほどの威力だった。

 ミラのハンターランクはB級(町の上位レベル)だが……少なくともA級はあるんじゃないだろうか。


「うわぁん……よかったぁ、アレンが無事で」


 ミラは俺の怪我が治ったのを確認すると、泣きながら飛びついてきた。

 小柄な身体をギュッと押しつけ、まるで失いそうになったものを取り戻すかのように強く抱きしめてくる。

 その肩は震え、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。


「ミラ……」


 俺はそっと手を伸ばし、その背中を優しく支える。

 ミラは――俺にとって母のような存在だ。

 いつも無償の愛を注いでくれる、優しくて、強くて、頼りになる、俺のたった一人の家族。


「ぐすっ……もし、アレンが死んじゃったりしたら、私、生きていけないから……」


「いや、それはちょっと大げさだって」


 俺は苦笑いしながら、ミラの背中を軽く叩いて(なだ)めた。

 もう俺も15歳だし、こうして抱き着かれるのは、さすがに気恥ずかしい。


「ありがと。もう大丈夫だから」


 俺がそう言うと、ミラは涙を拭きながら、少し照れくさそうに微笑んだ。

 この人の愛情には、俺はいつも感謝している。

 だけど――ちょっと子離れができなさすぎるのだ。


 とはいえ、今はそんな場合じゃない。

 ――この襲撃は、いったい何だったんだ?

 胸のざわめきを抑えつけながら、俺はミラに問いかけた。


「ねえ、ミラ。

 さっきの奴、俺たちを処刑しに来たって言ってたけど……」


「……」


「それに、俺は『聖王様の隠し子』で、危険人物だって。

 ミラ、何か知ってる?」


「っ……!」


 ミラの肩がピクリと震えた。

 明らかに動揺している。

 しばしの沈黙のあと――彼女は深いため息をついた。


「……はぁ……聖王陛下の……そうね。

 ついに、この日が来てしまったのね」


「ミラ?」


 彼女は何かを決意したように目を閉じ、やがて静かに口を開いた。


「アレン……ずっと言えなかったことがあるの。

 あんな奴が来た以上、しばらく身を隠した方がいいわね。

 明日にはこの家を出ましょう」


「え……?」


「その前に――全てを話してあげる」


 ミラの瞳が、まっすぐ俺を見つめる。

 次に口にする言葉が、俺の運命を大きく変えるものだと直感する。


 そして――彼女の口から、驚くべき真実が語られたのだった。


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