□ 1-18 目覚め
「まあ、アレン」
ミラはゆっくりと目を開け、状況が飲み込めていない様子のまま俺の頭を優しく撫でた。
その指先が――自分のものではない、と気づくまでは。
「あら? 手が……? えっ、ちょ、ちょっと待って?
か、身体が!? な、なにこれどうなってるのーーー!?」
ミラは飛び起き、自分の全身をばたばた触り始める。
角、尻尾、肌の色。手触り。体型の変化。
結果――完全パニック。
(あー……そりゃそうなるよな)
感動タイムは後回しだ。
まずは説明しないと。
「あの、ミラ。落ち着いて聞いてね。
その、残念なんだけど、ミラは……サキュバス……になってしまいました」
「……えっ?」
ミラが固まる。
言い方を間違えた気がする。
「いや、正確には……その身体、元はメルジーヌのものなんだよ。
ちょっと拝借したというか、事情があって……」
「メルジーヌ……って、あの?
え? え? じゃあ私……メルジーヌに、なっちゃったの!?」
「まあ……ありていに言えば」
「ええええええええええ???」
悲鳴が森にこだまする。
ミラは混乱しつつ、自分の肢体を確認しては叫び、確認しては叫び……
(ごめん……でも他に方法なかったんだ……)
俺は覚悟を決め、正直に告げた。
「ミラ……これは俺のせいなんだ。
でも、仕方がなかったんだよ。
ミラ、死んじゃったから……」
「……え?」
ミラが一瞬言葉を失う。
その目の前に、彼女本来の身体が静かに横たわっている。
「ミラの元の身体は、そこです。
もう……息はしてない」
ミラはしばらく自分の亡骸を眺め、それから小さくつぶやいた。
「……あれ、私?
本当に……死んでる、のね……」
ミラは少し身を乗り出し、自分の遺体を見つめている。
だが、意外にもミラは動じていないようだ。
これなら、核心的な話に触れても大丈夫かもしれない。
「そ、そうなんだよ。
だからミラの魂を移したんだ。
メルジーヌは俺の幻術で倒したから、肉体だけ残ってて……
それで……」
「ええと、それって……サキュバスの身体に、私の魂を?」
「そ、そうなる……かな?」
ミラは沈黙する。
怒るか、泣くか、絶望するか――どれかだと思った。
だが彼女は、じっと俺を見つめると……
「……アレン。まさか、本当にメルジーヌを……やっつけたの?
それで、私を……蘇らせたの?」
「そ、そういうことに……なりますね」
俺は小さくうなずく。
ちょっとミラには信じてもらえないかもしれない。
「ねえ、アレン。
ほんとにアレンなの?
もしかして……アレンも中身は……別人?」
「は?」
今度は俺が固まった。
この人は何を言ってるのだろうか。
「だって、狂気の魔女を倒して、死人を蘇らせて、魂まで移すなんて……
アレンの中の人は……死神さん、ですかぁ?」
ミラは俺の頭をポンポンと叩いてくる。
いやいやいやいや……
確かに結果だけ見ると、死神の仕業っぽいかもしれないけど。
でも、そういえば、『エルフの忌み子は死神の生まれ変わり』という迷信があったっけ……
そのせいで、俺の母はエルフの里を追われた訳だけど……
もしかして、『転写』を応用した魂の転生の禁呪が、『死神の魔術』なのだろうか。
しかし、俺は断じて死神なんかではないのだが。
「ちっ、違うってば!
俺、いつものアレンだって!
その、禁呪っぽいことを……ちょっとしただけで」
「禁呪、なのね?
やっぱり……」
どうも誤解は解けたような、解けてないような……
ミラはため息をつき、それからふっと微笑んだ。
「でも、そのおかげで私は生きてるのよね」
そう言って、ミラは少し考え込みながら話し始める。
「記憶が混乱してたけど……いろいろ思い出してきたわ。
確か、私……自爆したのよね。
メルジーヌにやられて、アレンも刺されて、もう打つ手がなくなって……
だから、自爆魔術でメルジーヌを道連れにしようとしたんだけど……ダメだったのね」
ミラは自分の記憶を整理するように、一つ一つ思い出しながら話す。
「私、死ぬつもりで……アレンだけは助けたかったのに……何もできなくて。
あのとき、ああ失敗した、もうダメだって、絶望でいっぱいで……
もう二度と、こうして……アレンと話をすることも、できないはずだったのに……」
ミラの声がだんだん涙混じりになってくる。
「アレン、私のために……本当に頑張ってくれたのね」
そう言うと、ミラは俺に歩み寄り、俺の首の後ろに両手を回して、ぎゅーっと抱きしめてきた。
その温かさに、俺も胸が熱くなる。
「アレン……ありがとう。
本当に……メルジーヌをやっつけて、私に命をくれたのね。
夢みたい……でも、本当にアレンが、やってくれたんだね」
ミラの声は震えていた。
その言葉には確かな感謝と愛情が感じられる。
「……ああっ、アレン、大好きよ。本当に立派になったわ。
なんだか、遠い人になっちゃった気がするけど……アレンなのよね?
また私、アレンと一緒にいられるのよね?」
ミラの言葉に、俺の胸がぎゅっと締め付けられる。
俺ももらい泣きしながら、ミラをしっかりと抱きしめ返した。
ようやく、ミラが生き返ったことの感動に浸ることができた。
「お、俺の方こそ……ミラが自爆までして、命がけで俺を守ってくれて……
俺……ミラが、いなくなってしまったら、もう生きていけないと思ったんだ。
だから、必死だったんだよ。
どんな姿でも、ミラが生きていてくれて、本当によかった……」
俺の言葉を聞いて、ミラは号泣しながら俺を強く抱きしめてくる。
二人でしばらくそのまま、泣きながら抱き合った。
実際、メルジーヌと対峙して、俺たちは絶体絶命だった。
メルジーヌにボコボコにやられたとき、ミラが自爆した時、ミラの呼吸と心臓が止まった時……何度も絶望が押し寄せた。
だけど、今はこうして二人で生きている。
……その、ちょっと、ミラがサキュバスになってしまったのは計算外だったけど。
まあそれだけは仕方がない。
俺たちは感情をぶつけ合い、心の底からお互いの無事を喜び合った。
涙がようやく収まってくると、俺の中でひとつの確信が生まれる。
―――俺にはミラが必要で、ミラにも俺が必要だ。
もう俺たちは、本当の親子以上の、特別な絆で結ばれていると言っても、過言ではないだろう。
だが、その時ふと―――あることに気づいてしまった。
――ミラの身体の、あらゆる部分が俺に密着していることに。




