□ 1-17 禁呪
ついにやった――!
俺の幻術は想像以上の効果を発揮した。
まさか、あの伝説の魔女メルジーヌを倒せてしまうなんて。
何百年も誰も成し得なかった「打倒メルジーヌ」を、ただのE級ハンターの俺がやってのけたのだ。
勝利の余韻に浸りかけた――が、はっと我に返る。
「そうだ、ミラは……!」
俺はミラの元へ駆け寄った。
ミラは静かに横たわり、腹の傷からは血が滲み続けている。
顔色は青白く、呼吸も感じられない。
胸に耳を当てると、かすかに心臓は動いていた。だが、このままでは……
俺には治癒は使えない。
この傷だと自然回復も望めない。
ミラを蘇生させて、ミラ自身に治癒してもらうしかない。
迷う暇などなかった。
俺は何度も口移しで息を吹き込んだ。
頼む、ミラ。生き返ってくれ!
そう必死に祈りながら、俺は人工呼吸を続けた。
……
しばらく経ったが、ミラが蘇生する気配は全くない。
俺は泣きながら、必死に蘇生措置を続ける。
「お願いだよ、ミラ……」
また、いつものようにぎゅっと抱きしめて欲しい。
頭を撫でてほしい。
ミラがいない人生なんて、考えられない。
思えば、ミラはいつも俺の傍にいてくれた。
それが当たり前だった。
ミラがいなくなる……その考えが恐ろしくてたまらなかった。
心の底から、言いようのない不安が沸き上がってくる。
胸に耳を当てる。
だけど―――ああ、なんてことだ。
心臓の音が、もう……聞こえない。
「ミラ……嘘だろ……!」
死んでしまう。
このままでは、本当に、ミラが――
頭が真っ白になる。
何か、何かできることは――
ミラがいなくなる。
思い出も、笑顔も、会話も、全部消える。
そんなの、絶対に嫌だ――!
<転 写《デュプリケイト》>
気づくと、俺は無意識に魔術を発動していた。
図書館で文字や絵をコピーするだけの生活魔術。
俺のユニーク魔術の一つだ。
だが今の俺は、それを“記憶の写し取り”に使おうとしていた。
魔力を手に溜め続ける。
凝縮し、塊になり、さらに重く、濃く――。
魔力を使い果たすほど注ぎ込み、ついに作り上げた魔力の塊を、ミラの頭へと押し込んだ。
ミラの記憶をすべて残しておくんだ。
脳髄に刻み込まれた思い出、思考、感情……一つ残らず、文字を写すように、全てを魔力に書き写す。
ミラの魂の全てを、魔力に刻み込むのだ。
狂っている。
こんなこと、正気の沙汰じゃない。
だが、ミラが完全に消えるのは耐えられない。
魔力の塊であっても、残したかった。
やがて全てを写し終えると、俺はその場に崩れ落ちた。
気づけば、ミラの身体はもう冷たくなり始めていた。
ミラは――死んだ。
もう、俺に向かってほほ笑むことはない。
……
どれほどの間、うずくまっていただろう。
抜け殻のようになった俺はふらふらと立ち上がると、ぼんやりと周りを見渡す。
ミラの亡骸。
その先には、仰向けに倒れたメルジーヌ。
……俺は、メルジーヌを倒したんだっけ。
そんなことすら遠く感じる。
一人前になって、ミラの横に立つ。
そう誓ったのに。
残されたのは――“記憶の塊”だけ。
その時―――危険な発想が頭をかすめた。
このミラの記憶の塊を、メルジーヌの脳髄に転写したら……どうなる?
今のメルジーヌは廃人。
その肉体には、もう意識は残っていないはずだ。
もしそこにミラの記憶を写し込めば――ミラとして蘇るかもしれない。
心臓が強く打つ。
だがリスクも大きい。
脳の構造が違えば記憶は消えるかもしれない。
メルジーヌの意識が残っていれば融合するかもしれない。
その場合-――それは果たして「ミラ」なのか?
それに……これは『禁呪』だ。
死者を蘇らせ、他者の肉体に転生させる―――世界の理をねじ曲げる行為。
俺自身にも代償があるかもしれない。
だが、このままではミラの“記憶の塊”も、いずれ魔力が尽きて消えてしまう。
ミラのためなら――禁呪だろうが、関係ない。
「……やるか」
俺はメルジーヌのそばに膝をついた。
顔には爪で掻きむしった痕が残り、恐怖の表情が張り付いたままだ。
だが外傷はなく、肉体は若いままだ。
ミラの記憶の塊を頭にかざし、そのまま慎重に頭の中へと押し込んでいく。
記憶をひも解くように、魔力を通じてメルジーヌの脳髄へと書き写していった。
ミラの人生が詰まったその塊から、直接記憶や感情を感じ取ることはできない。
しかし、この中には彼女の全てが―――思い出も、感情も―――刻み込まれているのだ。
一片たりとも失われないように、俺は無心で作業を進める。
……
どれだけ時間が経ったか――
ようやく、全てを書き写し終えた。
俺は魔力の枯渇と達成感とで放心状態になり、その場に座り込んだ。
メルジーヌは仰向けに横たわり、静かに眠っている。
ゆっくりと胸が上下し、呼吸には問題なさそうだ。
表情も、少し穏やかになったように見える。
こうしてみると、あの恐ろしいメルジーヌも、外見だけは比類なき美女だと言える。
中身はミラか? それともメルジーヌか?
目覚めるのが楽しみでもあり、怖くもある。
ふと、思いつく。
アレだ。
こういう時は、王子様のキスで姫は目を覚ますのだ。
俺はメルジーヌの唇にそっとキスをした。
ちょっとした役得だ。
すると、なんということでしょう。
メルジーヌの両目がぱちりと見開いた!
俺を見る。
どっちだ?
ミラか? メルジーヌか?
それとも――
俺はドキドキしながら、声をかけてみた。
「お、お目覚めですか……?」
すると彼女は、少し驚いたように目を瞬かせ――
「……あら、アレン。どうしたの?」
その言葉を聞いた途端、俺の眼から涙がどっと溢れ出た。
そのまま、抱きしめるようにミラに飛びつく。
「ミラ! ミラなんだよね!?
よかった……ほんとによかった……!」
ミラの頬に自分の頬を押し当て、ぎゅっと抱きしめる。
生きている。
その事実が、胸いっぱいに広がっていく。




