□ 1-16 幻術
メルジーヌが俺に舌を絡めてくる。
むさぼるような深いキス。甘い吐息が喉を震わせ、俺の唾液が彼女の口へ流れ込む。
その瞬間―――彼女の身体から力が抜けた。
「坊やっ……! 何を、したの……!」
混乱と恐怖を含んだ声。
俺はわざとらしく口角を上げる。
「メルジーヌさま……油断しましたね。
俺の唾液には、サキュバスを虜にする成分があるんですよ。
―――いやぁ、不思議ですねぇ(棒読み)」
「そ、そんな……っ」
ちょっと出まかせを言いすぎてセリフが棒読みになってしまったが、今の彼女には“真実”に聞こえるはず。
幻術は五感すべてを騙す。だから――
「ふふ。俺、こんなこともできちゃうんです」
パチン、と指を鳴らす。
次の瞬間、死んだように横たわっていたミラが、悪夢から覚めたようにムクリと起き上がった。
胸の傷も跡形もない。もちろん幻術の産物だ。
「えっ……聖女!? どうして! 何が起こってるの!?」
メルジーヌの狼狽は頂点に達する。
俺は内心でほくそ笑む。
「エルフの忌み子だけが使える蘇生の秘術ですよ。
いやー、我ながらすごいなぁ(棒)」
「そ、そんな……!」
冷静に考えれば不自然だらけ。
だが俺の幻術のリアリティの前では、メルジーヌは“考える”余裕すら奪われている。
俺はさらにシナリオを進める。
メルジーヌが冷静になる余裕を与えないように―――
幻のミラがメルジーヌに歩み寄り、ニヤリと挑発的に笑う。
『さっきはよくもやってくれたわね!
次はあなたを弄んであげる番よ。
おほほほほほほ……おほほのほ!』
その不気味な笑いに、メルジーヌの身体がビクリと震えた。
「な、何を……するつもり……?」
『あなた、何百年も若さと美貌のために魂を吸い上げてきたわね。
でも、それも終わり。
今度は“全部”吸い取ってあげるわ――若さも、美貌も、生気も』
「ひっ……!」
メルジーヌの最大の弱点。
若さと美貌、それこそが、メルジーヌが何百年もの間にわたって守り続けた最も大切な財産。
それが無残にも奪われる―――これが俺の考えたシナリオの骨子だった。
『じゃあ――始めましょうか』
幻のミラが両手をかざす。
メルジーヌの身体から白い煙のようなものがふわりと抜け始める。
同時に肌の色がくすみ、老化が始まった。
「ま……まさかっ……や、やめて……お願い、やめてぇ!!」
メルジーヌの声が震え、全身が恐怖に引きつる。
今まで感じたことのない絶望が、彼女を襲っているのだ。
『あなたの手を見てごらんなさい?
あんなに色白だった肌が、茶色くなってるわ』
メルジーヌは恐る恐る視線を落とし――絶叫した。
「イ、イヤーーーー!!
わたくしの手が……こんなに汚いなんて!」
『ほら、鏡もあるわ。
自分の顔を確認してみなさい』
ミラが指を鳴らすと、鏡が現れる。
おそるおそる覗き込んだ彼女が見たのは、もはや自分ではない、しわだらけで色あせた顔だった。
「ヒィッ!! これが……わたくし!?
こんな……わたくしの美貌が!」
鏡の中には、40代ほどのくすんだ顔。
肌は弛み、皺が刻まれ、輪郭もたるんでいる。
『まあ、もう“おばさん”ね』
「お願い……やめて……やめてぇぇ!!」
メルジーヌは涙ながらに懇願するが、その白い煙は止まることなく身体から抜け続け、さらに老いを加速させていく。
『まだまだ、これからよ?
ほーら、まだ生気が抜けていくわよ』
「やめて! 私が悪かったから! お願いだから!!」
ついにメルジーヌは、泣き叫び始めた。
だが幻術の“現実”は止まらない。
『残念ね。なぜだかこの魔術、一度発動すると止まらないのよ。
不思議ですわねぇ(棒)』
肌はさらに皺で覆われ、髪は白くなり、骨ばった手が震え――
気づけば60代を超えた老婆の姿に。
『あらあら、お婆さんになっちゃったわね』
「あ……あああ……!!」
鏡に映るのは、かつての美しさの欠片もない、しわだらけの老婆。
色はくすみ、目元は垂れ下がり、目の下にはどす黒い隈ができている。
ほうれい線は深く刻まれ、白髪はボサボサで、首には血管が浮き上がっている。
全てを失った顔。
「イヤアアアアアアアアアア!!!!」
メルジーヌは絶叫し、頭をかきむしり、喉を裂くように泣き叫んだ。
だが容赦なく、老いは続く。
肉は落ち、骨と皮だけの姿へ変わり――
「&*※$%※*……!!!」
言葉にならない叫び。
白目をむき、泡を吹き、全身が痙攣する。
若さと美貌。
それこそが彼女の心の支えだった。
それを奪われたメルジーヌの精神は――完全に壊れた。
もう二度と戻らない。
メルジーヌは、完全な廃人となった。




