□ 1-15 魅了
「ふふ……泣きべそをかきながら強がる顔って、ほんと可愛いわね。
うふふふふ」
メルジーヌが愉快そうに近づいてくる。
その余裕に満ちた笑みが、神経を逆撫でする。
「ふうん……やっぱり可愛い顔をしてるわ。
ハーフエルフなんでしょう?
珍しくて、好みよ」
―――どうでもいい。
俺を殺せ。
この地獄を終わらせてくれ。
「魂を頂くつもりだったけれど……愛人にしてあげてもいいわ」
「……え?」
愛人? ふざけるな、悪魔。
「うふふ、サキュバスの下僕といえば愛人でしょう?
美の化身たるわたくしが可愛がってあげるのよ。感謝なさい」
メルジーヌは俺の横にしゃがみ込むと、その冷たい手を俺の顔へと伸ばしてくる。
指先が頬に触れると、ひんやりとした感触が広がり、俺は思わずビクっと震える。
その手はぞっとするほど白く、艶めかしい。
「ふふ……本当に綺麗ね」
耳元で囁く妖艶な声に、息が詰まりそうになる。
何か、ただ事ではない感覚が迫ってくる。
顔がさらに近づき、真紅の唇と瞳が視界を支配する。
強烈な吸引力。抗えない。
―――美しい。
あれほど憎い相手なのに、心が捉えられる。
何かがおかしい。
これは俺の感情じゃない。
「うふふ……食べちゃいたいくらい可愛いわ。
ハーフエルフって最高ねえ?」
甘ったるい匂いが漂い始め、体の力が抜けていく。
意識が霞む。
視線を落とすと、メルジーヌの豊かな胸に目が入る。
その瞬間、身体中をゾクッとするような情欲が駆け抜ける。
このまま……虜になってもいい……
「さあ、坊や。わたくしの眼を見なさい」
命令されるまま、深紅の瞳を見つめる。
吸い込まれそうな深さ。
意識がゆらぎ、沈んでいく。
……違う。
何かがおかしい。
本能が警鐘を鳴らしている。
何かを、思い出さなくては。
眼の奥が熱くなっている。
これは……なんだ。
熱い。
……熱いっ!!
その熱が一気に意識を覚醒させる。
何が起こってる?
俺は地面に倒れていて、メルジーヌが誘惑してきている。
これは……“魅了”だ。
サキュバスの魔力が、俺の“幻術”の魔力と衝突し、眼の奥で熱を放っているのだ。
状況が頭の中でつながる。
なら――これはチャンスだ。
俺はミラの言葉を思い出す。
『アレンは、ここ一番でちゃんとやれる男だもの』
『一人前の男になるって、言ってくれたでしょ?』
ああ――そうだ。
ミラは俺を信じてくれていた。
魅了にかかったフリをして、油断を誘う―――今しかない!
「うふふ……わたくしの虜になったかしら、坊や?」
どう答えるべきか――
「はぁい……メルジーヌさまぁ」
舌足らずな声とだらしない表情を意識して作る。
これでどうだ。
「ふふっ、いい子ね。金縛りを解いてあげますわ」
メルジーヌは疑いもせず、金縛りを解除した。
自由に動ける――勝機が見えた。
「ありがとうございますぅ。メルジーヌさまぁ」
コンセプトは「お姉さまに甘える弟分」だ。
これは、おねショタ、というやつだ。
見た目が幼い俺を愛人にしたいなんて、この魔女は少年愛好家の気があるに違いない。
「足も治してあげますわ」
(えっ、魔族って聖魔術を使えるんだっけ?)
メルジーヌの手から黒いモヤが出て、俺の左足の患部に吸い込まれていく。
すると、傷口から肉がボコボコッと盛り上がり、少し黒っぽい皮膚が再生されていく。
なんてグロテスクな治癒だ……
大丈夫なのか、これ。
「さあ……坊やはもう、わたくしのものよ」
上機嫌のメルジーヌ。
――いい。油断している。
「ぼく、うれしいですぅ」
可愛く笑ってみせると、メルジーヌはさらに気に入り、俺へ手招きをした。
「こちらにいらっしゃい。契りのキスをしてあげる。
今後、わたくしから離れることは許しませんわ」
「はぁい……」
(契りのキス……何かの儀式か?)
だが、今は絶好のチャンス。
俺はゆっくりと身を寄せ、メルジーヌの瞳を見つめる。
彼女はいつの間にか腕を俺の首の後ろに回し、そっと引き寄せてきた。
吐息が触れる距離。唇が近づく。
(これ、俺のファーストキスだけど……今はそれどころじゃない!)
触れようとする直前——
(今だ!)
俺は幻術を発動し、イメージを膨らませながら魔力をメルジーヌの眼の奥に送り込む。
さあ、ここからが勝負だ。
ミラのかたき討ちだ。
ミラを殺した悪魔に、俺が見せてやるものはただ一つ。
――絶望。
(覚悟しろ、メルジーヌ)
お前には、地獄の底を味わわせてやる。




