魂の片割れ
君との出会いは、ペリドットのように輝く黄緑色の草原で、赤いアネモネと青い矢車草が偶然の風に吹かれて重なりあったように美しく、運命的な出会いだった。
今でも忘れられない、あの日僕の脳裏に鮮やかに焼き付いた君との出会いを。でも…本当のことを言うと君の表情は思い出せないんだ。確か君は、僕が落とした何かを拾ってくれて、微笑みで包んで渡してくれたんだよね。その光り輝く君の笑顔があまりにも鮮烈で、勢い余って白飛びしたように僕の脳裏に保管された初めての出会いは君の表情が白くぼやけて何も見えないんだ。けどそれからのことははっきりと色鮮やかに覚えている。モノクロの記憶フォルダに少しずつ色彩が広がっていったんだ。
僕はこれまでを思い返しても愛情を感じたことはないと思う。それは両親からの愛情だってそうだ。きっとあの二人も、僕に愛情というものをかけたことはないだろう。彼らのお得意は罵詈雑言と愚痴。少なくとも僕は飼い犬以下の存在であった。
そんな僕の今までの世界はモノクロ、もっと言えば藍のような哀色のモノトーンだった。それが君に出会ってから色にあふれて愛に溢れていった。
でも君は僕と同じく考えすぎで、僕以上に繊細で年中鬱状態みたいなものだった。些細な事でも自分を嫌いになって、些細なミスで躓いて、もう本当に生きづらいほどの不器用だった。
そんな君は小さなことで躓いたり、普通の健常者だったらなんてことないところでこけて、その場でうずくまってひどい鬱に陥って…まるで波打ち際でうずくまってるみたいだった。波打ち際だから、動かずに座っていると沖に流されちゃう。そうやって帰ってこれないところに何度も流されかけて、何度も僕は必死に引き戻したよね。
でも生憎僕も君みたいに考えすぎて、行きつく果ては毎回自己嫌悪。自分の精神を保つので手一杯なのに、僕以上の鬱を抱えた君がいると君と一緒に沖に流されそうになる毎日だった。だから一度僕は言ってしまった「面倒くさい」って。そう言って君を傷つけた。涙ながらに飛び出していった君の背中を追いかけることもできず、ぼくは糸が切れたように椅子に座って君へどうやって謝ろうか考えた。頭の中で堂々巡りを繰り返して小一時間。ふと頬杖をついた瞬間に圧力がかかって涙があふれ出た。そして同時に皮膚の剃り負けがひりひりと痛んだ。毎朝の髭剃りも・・・たった一人この世で最も大切な人に対する言葉選びもまともにできない。
不器用。その三文字が頭にじんわりと浮かんできたよ。馬鹿な僕は目を閉じた。脳裏に浮かぶその三文字が瞼を閉じると見えなくなると思ったんだ。馬鹿だよね…押し出された涙は頬をつたって、そり負けした皮膚の上を走って、それはもうひりひり痛かったよ。その時思ったんだ、二度と下手をしないって。君に似合う完璧な男になろうって。
初めて揺るがない決意を抱いたよ。そんなときに君はレジ袋片手に返ってきた。そして言ったね「チャーハン作る」って。君が得意料理と自負し、右に出るものはいないと言い張るチャーハン。君は涙で腫れた目元をごしごし拭いながら、台所に立った。でも包丁使いは危なっかしいし、すぐ火元から離れる。終始ぼくはひやひやしっぱなしで、結局僕がフライパンを洗って…そうして机に座っていざ口に放り込むと、これがやっぱりおいしいんだな。
嗚呼、この人にどれだけ振り回されても、やっぱり僕はこの人を支えていきたいなって・・・そう強く思ったよ。そう強く思えば思うほど涙があふれてきて、思わず涙と一緒にチャーハンを食べたんだ。それがまた不味くてね。だから誓ったんだ。つらくても、しんどくても、もう一人じゃない。君がいる。だからもう二度と泣くまいぞって。
僕があまりにぼろぼろ涙を零しながら、不味いものをとっとと食べてしまおうって感じで黙々と口に放り込んでいたから、君は「美味しくなかった?」って涙ながらに言って、違うよって僕の頭の中をうまく整理しながら伝えると君をまた泣かせちゃったよね。
椅子を倒すくらい慌てて駆け寄って背中を撫でるべきか、肩を撫でるべきかあたふたしていたら、君は言ってくれたんだよね。
「私、頑張るから。あなたの隣に居ていいよって言ってもらえるように頑張るから」
嬉しかった。君も、僕も、同じことを思っている。君の隣が一番心地いい。
それからの僕らは今までからは考えられないほど活発的で、鬱の気なんて微塵も感じなかった。
新居を探して、家具を一新しようと合致して…生花を飾ろう、後年のルドンのパステル画のような絵を飾ろうなんて言ったりして。今までなら、いつか枯れてしまう花を見ていたら憂鬱になると避けていた。パステル画なんて、パステルの色や希望や希望にあふれた世界なんて無縁だった僕らが、もっとも忌み嫌っていたものだった。
もっともっと、インテリアにもこだわろう。僕がそういうと君はぱっと弾けるような満面の笑みを浮かべたね。君の半月の笑みなんて、いつぶりにみただろう。自ら独房のような光の入らない場所に閉じこもって鬱屈な生活をしていたから、君が笑うことなんてほとんどなかった。けれど今、君の目は半月のような形で柔らかに輝いている。実は消え失せていた半月が戻ってきたのは君だけじゃなくて、僕もだったんだよ。食事なんて腹がやかましいから仕方なく一日一回くらいで、運動は倦怠感が重くのしかかって体が言うことを聞かないから散歩もろくにしていなかった。でも、最近は食事の時間が楽しくて、君との散歩が楽しくて、築けば不衛生な生活から脱していた。だからいつのまにかなくなっていた爪半月がふらっと帰ってきたんだ。
「貴方も私も、酷な人生を歩みあってきた者同士で…死にたいとは思わなくても、万事あまりに不器用すぎて生きたいと思わなかった者同士じゃない?だから、もし貴方が大病や大怪我を負って危篤状態に、生死のはざまに行ってしまったらどうしようって思ってたの。こっちに、いい思い出ってないじゃない。だから戻ってきてくれないかもしれないって思って…」
ベッドを新調するために初めて行った家具屋で君はそう言った。
「今も昔もそんなこと嫌って思ってた。でも昔はね、たとえ生き地獄でもあなたと二人なら耐えられるって思ってたからなの。でも今は、貴方と二人で幸せになりたいって思っているから、貴方と一緒に生きたいと思っているから。だから私、もしあなたが生死のはざまをさまよっても、最後にはこっちに戻ってきたいって思ってくれるようにするって決めたの」
そう言い終えたとたんにこみ上げてきた恥ずかしさから逃げるようにマットレスの上に座った君は、その瞬間、あまりに深く沈むマットレスに目をまん丸にした。
「最近のマットレスってこんなにふかふかなの?」
僕は思わず吹き出したよ。でも確かにそうだよね。お互い今まで人生の谷底にいたんだ。ベッドなんて言えるようなものはなく、せいぜい薄い敷布団。板張りの床や地面で寝るよりはましなんだからなんでもいい。それに、日中酷い倦怠感に襲われたら汚いだの不衛生だの関係なしにフローリングで横になって寝てきた人生。僕は子供のようにはしゃぐ君を保護者みたいに見守っていた。このかんじだと、スフレパンケーキの衝撃も知らないだろうな。今までパンケーキを食べるとしたら家で作ったお手製で、硬くてむしろ焦げ目があるほうがおいしいと言っていた君だ。君にあの触感を知ってもらいたい、君にバターや蜂蜜を添えるおいしさをしって欲しい。
「ねえ、カフェに並んでみない?」
そう言って振り返った時だった。君が突然座り込んだんだ。
思わず目を開いた。それが今までもよくあった腹痛ではなく、外傷による痛みだとわかったからだ。君の腹部から、暗い赤い色が広がっていたんだ。
「誰か!!」
そう叫んでも、周りはカメラを起動するばかりで救急車を呼ぶ気配はない。
「貴方がいたから、幸せだったよ」
無常なざわめきの中、君のか細い声が耳をそっと撫でる。そうして君は一つ微笑みを置いて目を閉じた。
嫌だ、嫌だ…だって、今日は、君が洗濯物をたたむ日だろう?君が「お楽しみに」っていっていた夕飯はどうなるんだ?そうだ、実は君に渡したいものがあるんだ。この前こっそり君の薬指を測ったんだ、きっと気に入ってくれるはずだよ。
…なあ、僕たちはこれからじゃないか。二人で一緒に幸せになろうって、決めたばかりじゃないか。なのに、なんで僕を置いていくんだ?君は目を閉じたまま動かない。そのくせ、僕を置いていったくせに幸せそうに笑っている。
「そんな顔されたら、責めに責められないじゃないか」
ねえ、本当に幸せだった?思わずこみ上げてきた言葉を愚問と跳ね返すような、君はそれくらい幸せな顔をしていた。
よかった。それなら…本当に良かった。君が幸せなら・・・君の幸せの一部になれるなら、それでいいんだ。
ねえ知ってる?僕は今まで誰かの幸せのピースになりたかったんだ。ほんの一欠片でもいい。けど生まれながらに疎まれて、愛情というものを与えることも与えられることもよくわからなかった僕がなれたのは、人の幸せをぶち壊すような人間。だからもう愛情というものを望むことはやめにしよう。そう思ってたんだ。でも僕、君に出会えて初めて愛情というものを知ったんだ。それどころか、君の幸せに不可欠な存在になれた。モザイクアートのジグソーパズルみたいにその幸せな記憶のピース一つ一つに僕の存在がある。
「僕も、君がいたから幸せだったよ」
僕はそう言って、笑顔で君のことを抱きしめた。
※noteさんのほうでも同名義で今作を投稿しています。




