叶糸と休日の約束
昼休み、自販機の前。
缶コーヒーを取り出そうとした俺――佐伯悠真の視線は、隣に立つセリの手首に吸い寄せられた。
細い手首に巻かれているのは、深い藍色の糸。
先端の小さな梅の花の金具が、昼の光をきらりと反射している。
見覚えがあった。子どもの頃、何度も目にしたもの――太宰府天満宮の「叶糸」だ。
「……それ、“叶糸”ですよね?」
唐突に口から出た言葉に、自分でも少し驚く。
セリはぱちりと瞬きをして、自分の手首を見下ろした。
「あ、これですか? 祖父母が太宰府に行ったときに買ってきてくれたんです。なんとなく外せなくて」
「太宰府天満宮のですよね」
「え、すごい。よく分かりましたね」
そう言って、セリはふっと柔らかく笑った。
そして少し首を傾け、冗談めかした声で言う。
「……私のこと、ずっと見てました?」
「なっ……!」
一瞬で耳まで熱くなるのが分かった。
事実、受付で彼女のことを目で追っていたのは否定できない。
だが、そんなことは口が裂けても言えない。
「い、いや! そ、そんなわけ……!」
「ふふっ、冗談です」
セリはくすっと笑って、視線を戻した。
その笑顔がずるいくらい自然で、まっすぐだった。
⸻
「〜商事の佐伯さんですよね?」
「えっ……覚えてくれてたんですか?」
「はい。いつも受付でお見かけしてますし。橘セリです」
「あ、いつもありがとうございます」
軽く会釈を交わしただけなのに、心臓がドクドクとうるさい。
名前を覚えられていた、それだけで嬉しくなるなんて。
⸻
「――あの」
少し間を置いて、セリが顔を上げる。
「よかったら、今度の休日……案内してもらえませんか? 太宰府とか……」
「えっ、俺……ですか?」
「うん。なんか……詳しそうだから」
「まぁ……地元なので、ある程度なら」
言った瞬間、胸の奥が少し熱くなった。
セリに誘われているという現実が、じわじわと実感になる。
「でも……俺なんかが……」
「……私よりは詳しいでしょ?」
小首をかしげて、少し上目づかいでこちらを見つめる。
距離が近づいたような錯覚に、心臓が跳ねた。
「……私とは嫌ですか?」
「い、いや! そんなことないです!」
声が裏返ってしまい、慌てて缶コーヒーを握りしめる。
セリはくすっと笑って、小さく「よかった」と呟いた。
「じゃあ……お願いしてもいいですか?」
「……よ、喜んで!」
――こうして、俺と橘さんの“休日の約束”が決まった。