始まりの手掛かり
休日の天拝山から、数日がたった。
昼休みの食堂。俺と橘さんは、いつものように窓際の席に座っていた。
「……あの日、神社の前で感じた“なにか”が、ずっと気になってるんです」
箸を止めた橘さんの声は、少しだけ沈んでいた。
俺もあのときのことを思い出す。鳥居の鈴が鳴った瞬間の、あの空気。
ただの気のせいじゃない――そんな気がしていた。
「やっぱり……あれ、何かあったよな」
「はい。もしかしたら“転移”と関係があるかもしれないんです」
転移――その言葉に、胸の奥がざわついた。
彼女がこの世界に来た理由は、まだ何もわかっていない。
でも、あの日感じたあの感覚が関係しているのなら……。
「じゃあ、一緒に調べてみましょう」
そう言うと、橘さんは少し驚いた顔をして――それから、ふっと笑った。
その笑顔が、不意打ちみたいに胸の奥に落ちてくる。
……なんで、こんなときにドキッとするんだ俺。
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後日。
俺たちは、図書館と郷土資料館を回った。
棚に並んだ古い本や郷土誌を開いていくと、天拝山や太宰府に関する伝承がいくつも出てくる。
「……ここ、見てください。鍬柄橋……鯰石……?」
「針摺石もあるな。けっこういろんな話が残ってる」
橘さんが資料に指を添える。
その指先が細くて白くて、自然と目が吸い寄せられてしまう。
慌てて視線を逸らし、資料に集中するふりをした。……落ち着け、俺。
資料には、道真公にまつわる逸話と、地名の由来がびっしりと書かれていた。
「きっと……なにかありますね」
彼女の声は小さいけど、どこか確信めいていた。
まっすぐ前を見つめる横顔に、なんだか胸が少し熱くなる。
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週末。
俺たちは車で、その場所を実際に回ってみることにした。
針摺石、鍬柄橋、鯰石――資料で見た伝承地だ。
「俺、小学生のときに行ったことあるんですよ。遠足とかで」
「そうなんですか? じゃあ、案内してもらえるってことですね」
「昔なんであんまり覚えていないですけど」
橘さんが、いたずらっぽく微笑む。
ほんの少し近づいた距離と、柔らかい笑顔に胸がドキッとする。
……やっぱり、この人の笑顔はずるい。
「……あのとき感じた“なにか”と、この土地、きっとつながってる気がするんです」
「確かめよう。今度は、俺たちの目で」
夕焼けの空の下、橘さんがうなずく。
その横顔を見ながら、俺も小さく息を吐いた。
小さな調査だけど――ここから何かが動き始める、そんな気がしていた。