視線の先に
月曜日の朝。
オフィスの自動ドアを抜けた瞬間、いつもと同じ空気のはずなのに――ほんの少し、息苦しく感じた。
あの夜の光景が、まだ頭の中に焼きついている。
金色の光、祈るような声、痛みが溶けるように消えた感覚。
思い出すたび、心臓の奥がざわざわと波打つ。
「……おはようございます」
受付カウンターから聞き慣れた声がした。
顔を上げると、いつもの制服姿のセリさんがそこにいた。
――何もなかったかのように、いつも通りの笑顔で。
「あ、おはようございます」
声が少しだけ上ずった。
俺は軽く会釈を返し、通り過ぎようとする。
けれど――無意識に、もう一度振り返ってしまった。
セリさんは、来客対応の資料を整えている。
けれどその横顔は、ほんの一瞬だけ……俺の視線に気づいて、ピクリと固まったように見えた。
(……気づかれた)
⸻
午前中のデスクワーク。
キーボードを叩きながらも、集中できない。
頭の片隅で、あの夜の光景が何度もリピート再生される。
“もしかして”――彼女は人間じゃない。
いや、そんな馬鹿な。でも、あれは確かに見たんだ。
「……っはぁ」
思わずため息が漏れる。
「どうした、佐伯。今日テンション低くない?」
山本が肩越しに声をかけてきた。
俺は慌てて姿勢を正す。
「い、いや、ちょっと寝不足で」
「ふーん。……ま、例の“事故”のあとだしな」
山本は軽く肩を叩いて去っていった。
だけどその一言で、胸の奥のざわめきはさらに大きくなる。
⸻
昼休み。
社内カフェスペースに行くと、たまたまセリさんと目が合った。
普段なら会釈だけで終わるはずが――今日は、なぜかお互い視線をそらすのが遅れた。
「……佐伯さん」
セリさんのほうから、声をかけてきた。
少し戸惑いを含んだ声音。
「もう、体は大丈夫ですか?」
「あ……はい。おかげさまで」
――おかげさまで。
自分で言って、妙な引っかかりを覚える。
おかげって、いったい“誰の”おかげなんだろう。
「本当によかったです。あのとき……無事で」
ほんの一瞬、セリさんの表情に影が落ちた。
それはまるで、“事故”よりも――何か別のことを恐れていたような顔だった。
(やっぱり……なにか隠してる)
⸻
午後の仕事中も、その違和感は消えなかった。
俺の視線と、彼女の視線が何度も空中ですれ違う。
口に出してはいない。でも、互いに“何か”を感じ取っていた。
このまま、なかったことには――できない。
胸の奥で、はっきりとそう思った。