表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
革命キス  作者: sadaka
9/10

 初めてのキスを経験したのは幼稚園の時だった。初めての相手こそ同い年の女の子だったものの当時からませていたオレはその後、幼稚園の先生達にも手を伸ばした。スカートめくりをする感覚と同じで、女の子達がやめてと言いながらも嫌そうにしていないという不思議な反応にはまったんだ。童貞を卒業したのは中二の時だった。この時も確か、初めての相手は同い年の女の子だったような気がする。そして初めて知った快楽にはまり、キスの時と同じように誰彼構わず手を出していった。

 キスもセックスも、今までは望めば望んだだけすることが出来た。タバコも酒も暴走行為もギャンブルも、やりたいと思った時にやってきた。何不自由なかったんだな、今思うと。だからこそ、すぐに飽きてしまったんだ。でも世の中には、望んでも手に入らないものがある。そのことをオレが知らなかっただけなのだと、瀬川の特別指導を通して教えられた。

「センセー、あっついよー」

 八月最後の週末、光公園には私服姿のクラスメート達のうんざりした声が飛び交っていた。あちこちから漏れ聞こえてくる言葉は『暑い』の一点張りだ。それもそのはず、オレたちの頭上では灼熱の太陽が煌々と輝いている。地球外の巨大な火の玉に暖められた外気は脳みそが溶け出しそうに熱い。こんな日にわざわざ屋外を選んで課外授業をするなんて、正気の沙汰とは思えないな。だけどオレは結局、瀬川の課外授業に参加してしまっていた。

「この暑さが夏なんだぞ。不健康な冷房で体を冷やしてばかりいないで、時には夏を満喫してみるのもいいだろう?」

 先生たちが子供の頃は学校に冷房なんてなかったんだぞと、生徒に囲まれている瀬川は持論を展開している。夏を満喫するなら海かプールで課外授業をやってくれと誰かが言い出し、周囲から賛同の声が上がっていた。オレはその楽しげな様子を、少し離れた場所から眺めている。課外授業には参加してしまったものの、一生徒としてあの輪の中に入ろうという気にはなれなかった。

 口々に暑さへの不満を零しながらも、生徒達はどこか楽しそうだ。体育でもなければ思い切り汗をかくこともないので、たまにしか味わえない感覚を楽しみ出しているのかもしれない。瀬川の口車に乗せられている、とも言えるが。

 こうして生徒と接している瀬川を見ていると、ヤツは教師なのだと改めて思う。生徒に向ける爽やかな笑みは好意的に受け止められるだろうし、分け隔てのない生徒の扱いは模範的だ。オレがこの夏の間に垣間見た瀬川の素顔を、今のヤツから誰が想像するだろう。ヤツが実は口も素行も悪い不良教師であることを知っているのは、きっとオレだけだ。だがそれでも、オレは特別じゃない。

「高野、日陰にいたら公園に来た意味がない」

 一人でいるオレを見て、陽だまりの中の瀬川が手招きをする。それは浮いている生徒を周囲に馴染ませるための『教師』としての発言であって、オレのことを思っての言葉じゃない。そう思ったら何もかもがどうでもよくなってきて、オレは素直に日陰を後にした。

 課外授業が行われている光公園はよく住宅街にあるような遊具のある公園ではなく、大規模な自然公園だ。森林で囲まれた公園内には散策路が設けられていて、オレたちは瀬川を先頭に当てもなくブラブラしていた。自然の中をただ歩くだけなんて、退屈な授業だな。蝉はうるさいし、暑いし、無駄に疲れるし、来るんじゃなかった。オレがそう思い始めた頃には全員がバテていて、歩みを止めて小休止となった。ジャンケンで負けた二人が全員分の飲み物を買いに走り去って行く。これは、瀬川のオゴリだった。

「ねえ、先生。雲が出てきたよ?」

「ああ、本当だ」

 よく冷えたお茶を渇いた体に流し込んでいると、瀬川と女子の会話が耳についた。空を見上げてみると確かに、怪しい色の雲が広がってきている。夏だし、一雨ありそうだな。

「センセー、そろそろ帰ろうよぉ」

 雨に濡れたくないのか、女子の一人がそんなことを言い出した。その一言で帰るという流れになるのかと思ったら、瀬川は頷かないままでいる。

「先生は雨の楽しみ方も知っているぞ。これは先生だけの秘密なんだが、今日は特別に皆にも教えよう」

 瀬川が不意に『秘密』という単語を持ち出したから、帰りかけていた生徒達は興味を引かれたように足を止めた。教えてという生徒の声に促され、瀬川はしたり顔で真意を明かし始める。

「よく、珍しいことが起こった時に『明日は槍が降るかもしれない』と言うだろう? 雨風を厭わないという意味で『槍が降っても~をする』という言葉もある」

 国語の教師らしく、瀬川は耳を傾けている生徒達に丁寧な説明をしている。瀬川はよく他人に聞かせる話をするためには道筋を立てることが重要だと言っているから、今話した部分は『触り』なのだろう。その後にどんな内容が続くのかと考えを巡らせていたら、瀬川は突拍子もないことを言い出した。

「槍は降るものなんだ。これから降るであろう雨の一滴を、一本一本の槍だと思えばいい」

 ……触りの部分は興味をそそられるものだったが瀬川、その結論は意味不明だ。そう思ったのはオレだけじゃないようで、話に耳を傾けていた生徒達は全員ぽかんとしている。だが生徒達の反応は予想の範疇だったらしく、瀬川は表情を変えることなくさらなる説明を加えた。

「もちろん、実際に降るのは雨だ。雨に降られても濡れるだけで済むが、槍に当たれば命を失うかもしれない。雨に当たれば死ぬかもしれないと思って、雨から逃げるんだ。これはけっこうスリリングだぞ」

 あー、はいはい。ものの例えを現実のものと思い込むことで、現実では味わえない気分をバーチャルで楽しもうということか。 ……アホくさっ。

「……それ、面白そうだな」

 誰かがそんなことを言い出したもんだからオレは耳を疑った。だけど呆気に取られたのはオレだけのようで、瀬川の口車に乗ったクラスメート達はすっかりその気になってしまったようだ。あちこちで、自分もやるという声が上がっている。本気か?

「よし、散るぞ。生徒諸君の生還を期待する」

 軍人のような敬礼を生徒に向けて、瀬川は一目散に走り去って行った。生徒達も雨に怯えながら、方々に散って行く。オレは……ベンチに座ったまま、しばらく動けないでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ