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革命キス  作者: sadaka
8/10

 八月に入って二週目の日曜、オレは担任教師である瀬川と久しぶりのキスをした。一応断っておくと瀬川とキスをしたのが久しぶりなのではなく、ディープじゃないキスをしたのが久しぶりだったということだ。いや、それ以前に、キス自体も久々だったかもしれない。ソフトなキスも舌を絡ませるディープなキスもし飽きていて、このところキス自体をしたいと思わなかったからな。だけどオレは、瀬川とのキスで目覚めてしまった。あれからずっと、したくてたまらない。

「どうした、高野?」

 人込みの中、オレの隣に佇んでいる瀬川が何気なく顔を傾けてきた。ちょうど目の高さが瀬川の口元だから、オレの目はそこに釘付けだ。この形のいい唇で、ヤツはオレの唇を奪ったわけだ。今日の瀬川からはタバコの匂いがしないが、キスの余韻のようにまだ香っている気がしてならなかった。

「高野?」

 ヤツの唇がオレの名前の形に動く。呼ばれていることに気がついて、オレはハッとした。

「何か言ったか?」

「呆けているから、どうしたのかと訊いただけだ」

 涼しい顔をしている瀬川は、今日は『教師』の顔をしている。先週、帰りの車内でもそうだったんだが、瀬川はもうオレとキスしたことなんて記憶から消し去っているんじゃないかと思うくらいアッサリしていた。

 あまりにも瀬川の顔を凝視していたことに思い至って、オレは視線を泳がせた。顔を正面に戻すとそこには、異様に広い空間がある。芝やダートのコースがあるここは、紛れもなく競馬場だ。八月第三週の特別指導は土曜にするって言うから何かと思えば、こういうことだった。馬券を買うには成人していないとダメだから、これも大人の楽しみと言えば大人の楽しみなんだよな。

「一応、ギャンブル遍歴を聞いておこうか?」

 オレが競馬場も初めてじゃないことをすでに察しているらしく、瀬川はそんな質問を投げかけてきた。ギャンブル遍歴か……昔、色々やったな。

「競馬、競輪、競艇、パチンコ、パチスロ、麻雀、賭け将棋に賭け碁。あとはトランプとか花札とかチェスとか、まあ、一通りやったな」

「将棋や囲碁もか。それだけのルールを覚えようという熱意がすごいな」

「基本的なルールを覚えただけだから詳しいことは知らない。大体が初めだけのめりこんで、すぐ飽きるから」

「高野は熱しやすく冷めやすいタイプなんだな」

「……そうだね」

 ここは反論の余地がない。確かにオレは、熱しやすく冷めやすい。だからこそ色々経験しすぎて先行きがつまらなく思えてきてしまったんだ。だけど今は、一つだけ熱中してしまいそうなことがある。

 話をしているうちに出走の時間が迫ってきて、競馬場にファンファーレが鳴り響いた。本日のメインである11Rのスタートだ。ファンファーレが終わると競走馬が一気に走り出してきたが、オレは馬券を買っていないので興味は薄い。競馬は情報量がものを言うから、しばらく離れているとダメなんだよな。

 盛り上がる観客の中に身を置きながら、オレは隣にいる瀬川を盗み見た。瀬川は顎に手を当てて考えこんでいるような格好のまま、芝のコースを注視している。瀬川は馬券を買っていたから、勝敗の行方が気になるのだろう。とは言っても、そんなに大層な金額をつぎ込んでいるとは思えないが。

 口元にある瀬川の指を見つめていると、あの時のことを思い出す。あの指が絡んできたあたりからオレはおかしくなってしまった。男相手にドキドキするなんて嘘だ。でもオレは、また瀬川とキスしたいと思っている。

 レースが終わると瀬川はため息をついた。どんな予想を立てていたのか知らないけど、きっと外したんだな。

「そろそろ帰るか」

 瀬川が顔を向けてきたのでオレは頷いて見せた。オレの返事を受けてすぐ、瀬川は踵を返す。まだ残っているレースがあるんだがメインレースは終わってしまったので、オレたちの他にも出口へ向かう人は大勢いた。こんな状況じゃ、瀬川にオレの願望を伝えることは出来ないな。女が相手なら人込みでキスしても構わないけど、相手が男だとさすがに人目が気になる。

「瀬川、来週は?」

 今日は諦めることにして、別の話題を振った。しかし瀬川は、オレが思いも寄らなかった科白で問いの答えとした。

「来週は課外授業があるからな、特別指導は今日で終わりだ」

「えっ……?」

「来週はもう夏休み最後の週だろう? 新学期に向けて、そろそろ準備をしておけ」

 競馬場という特殊な場所で聞くには、瀬川の言葉は不釣合いなほど先生らしいものだった。オレは……ひどく、驚いていた。そんな風に驚いている自分にも驚きだ。

 そうか……この特別指導とやらは夏休み限定の代物だったんだな。そしてその夏休みも、もう終わるんだ。新学期が始まれば、オレと瀬川は元の教師と生徒に戻るのだろう。無感動な瀬川の口調がそう、言っていた。

 おかしいな。意味不明な特別指導なんて、嫌だったはずなのに。瀬川に付き合ってやったのも、単なる暇つぶしくらいの気分だったはずなのに。それがどうして、こんなに重苦しい気持ちになるんだ?

「課外授業、参加してみるか?」

 瀬川に問われたけど、すぐには答えられなかった。いまさら、他の生徒もいる課外授業に参加してもな。楽しいと感じられるとは、思えない。

「まあ、気が向いたら来てみろ。集合は午後一時。場所は光公園駅だ」

 オレの返事を期待しない科白を一方的に放って、瀬川は閉口する。それから会話をすることもなく競馬場を出て、オレと瀬川は駅で別れた。

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