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あの屋上での騒動があった後、タバコを吸ってた連中は親呼び出しをくらった挙句に全員退学処分となった。まあ親を呼び出されても気にも留めない連中だったから、高校を退学になったところで屁とも思わないんだろうが。学校側は問題児がいなくなったと喜んでいるみたいだった。オレは……別に、何も思わなかった。
屋上での出来事からタバコを吸ってた連中が退学になるまで、ちょうど夏休み前に起こった出来事だった。今はもう夏休みに入っていて、オレは部活にも入ってないから休み明けまで学校へ行くことはない。安穏とした退屈な時間、それがオレにとっての夏休みだ。だけど今年は少し勝手が違うらしい。自宅の玄関を開けた途端目に入った担任教師の顔に、オレはそんな予感を抱いた。
「……何ですか?」
「家庭訪問に来た」
学校と同じくスーツ姿の瀬川は笑顔で言ってのけたけど、高校って家庭訪問があるのか? 一年の時は、確かなかったような気がする。それにこういうことって事前に知らされてないとおかしいだろう。
「母は留守です」
瀬川がいきなり来るから、本当に母親は不在だ。ということで、オレは瀬川を上げることなく玄関を閉めた。だけど瀬川は諦めなくて、しつこいくらいにインターホンを鳴らし続ける。それが教師のとる行動か?
苛立ちながら再び玄関を開けると、やっぱり瀬川はまだそこにいた。出てきたオレを見て観念したと思ったのか、瀬川は勝手に上がりこんでくる。またインターホンを連打されてもたまらないから、オレも仕方なく瀬川を受け入れた。
母親がいないから、オレが瀬川にお茶を淹れてやる。夏真っ盛りだけど熱いお茶にしてやった。だけど瀬川はオレのささやかな抵抗を受け流して「ありがとう」とか言っている。どうやら嫌がらせが足りなかったらしい。凍らせた麦茶とか、すぐには飲めないものを出してやれば良かったか。
「母は留守です」
飲んだらさっさと帰れという意味を含ませて、オレは同じ科白を繰り返した。だけど瀬川には、オレが暗に伝えたかったことが伝わらなかったらしい。「さっきも聞いた」とか言って笑ってやがる。まさか母親が帰って来るまで居座る気じゃないだろうな。
「いったい何の用なんですか? 家庭訪問っていうのは嘘でしょう?」
「嘘じゃない。夏休みでも高野が健全な生活をしているか様子を見に来たんだ」
瀬川の言い草に呆れてしまった。健全な生活って何だ? 休みだからってオレが夜遊びでもしてると思ってたのか? それに今時、夜遊びなんて小学生でもやってる。
「見ての通り、フツウにしてますよ。だから帰ってください」
「長居はしない。だが顔を見ただけでは生活の様子が分からないからな。少し話を聞かせてくれ」
長居をしないと言うわりに、瀬川はスーツの上着を脱いで自分の脇に置いた。オレに何を語らせたいのか知らないけど、うざいな。こんなことになるならあの時、余計な話をしなきゃ良かった。
「……話って、何を話すんですか?」
「そうだな、休みに入ってから何をしていたのか聞かせてくれ」
「何って……別に。フツウにしてただけですけど」
「高野の『普通』を聞かせてくれればいい」
瀬川は簡単なことのように言うけど、フツウを説明するのが一番難しい。国語の教師なんだからそのくらい解っていて欲しいよ。日本語が難しいの、あんたの方が良く知ってるはずだろ。
「朝起きて、夜寝ます」
いちいち説明するのが面倒だったので、極論で答えた。オレとしては早く愛想を尽かして欲しかったのに、瀬川は思いのほか真面目に応じてくる。
「それは、健全だな」
「……もういいです」
そこまでまともに受け答えされると抵抗してるのがバカらしくなってくる。早く瀬川を追い返したくて、オレは夏休みに入ってからの日々をかいつまんで教えてやった。
「勉強して、友達と遊んで、一人で買い物に行った、と。その中に楽しいと思えることはなかったのか?」
ああ……やっぱり、その話なんだな。だけど残念ながら、楽しいと思えたことはない。勉強は義務だからやってるだけであって楽しいなんて感じないし、どこかへ出かけるにしても行き飽きた場所ばかりで面白味がない。大抵の『遊び』は、昔やったからな。今はよっぽど新鮮なことでもないと、楽しむことが出来なくなってしまったんだ。
「先生は生きてて楽しいですか?」
オレが『生きてて』とか言ったからなのか、瀬川は急に深刻そうな顔になった。でもきっと瀬川が思うほど、オレの言葉は重くない。大人って何を楽しみに生きてるのか、ちょっと聞いてみたくなっただけだから。
「高野は人生がつまらないと思っているのか?」
瀬川から返ってきたのは答えじゃなくて質問だった。答えにくい質問をされた時、よく使う手だよな。そうやって自分のことは語らないで他人の胸の内だけ暴こうとする、瀬川も面白味のない大人なのか。まあ、最初から期待なんかしてないからどうでもいいけど。
「楽しいことがまったくないとは言い切れないですけど、つまらなさそうですよね。まあそれも確実な未来ではないですし、考えたところで変わることもないだろう将来を話し合うのって時間の無駄だと思いませんか?」
しかもオレの未来は瀬川にはまったく関係のないことだ。それはオレだけが考えればいいことであって、瀬川に介入されるいわれもない。言わなきゃ永遠に気付いてもらえなさそうだったから、オレははっきり「迷惑だ」と告げた。
「教育熱心なのは悪いことじゃない。だけどそれは、オレには必要ありません。前にも言いましたよね?」
これだけ言えば、さすがに解ってもらえただろう。小さく首を振って嘆息した瀬川を見て、オレはそう思った。だけど瀬川はその後、真面目な顔をして真っ直ぐにオレを見据えてくる。
「高野、君にはどうやら特別指導が必要なようだ」
「……はい?」
瀬川が突拍子もないことを言い出したから、大袈裟じゃなく愕然とした。あれだけストレートに言って、まだ解ってもらえないのか。しかも特別指導って何だ。
「先生は夏休みでも休みじゃないから、指導は日曜に行う。来週から始めるから、そのつもりでいるように」
勝手なことを言い放ちながら瀬川は帰り支度を始めている。このままじゃ本当に胡散臭い特別指導とやらに付き合わされる羽目になってしまう。それだけは避けたかったので、オレは似非優等生ぶるのをやめることにした。
「勝手に決めてんじゃねぇよ」
久々にドスを利かせた低い声を出し、立ち上がってソファに座ってる瀬川の傍へ寄る。その流れで、オレはソファの背もたれ部分を足蹴にした。当てないようにはしたけど、意外と瀬川に近い場所を蹴ったな。腰を浮かしかけてた瀬川はソファに座りなおして、オレを見上げてくる。ダメ押しで、もう少し脅かしとくか。
「お前、うざいよ。もう俺に関わんな」
爽やか正統派ですって感じの瀬川にならこれで十分だと思ったんだけど、オレを見上げてきている瀬川の瞳には変化がない。何かが変だと思った刹那、瀬川が立ち上がりざまにオレの足をすくい上げる。浮かした状態の足をさらに持ち上げられたもんだからバランスを崩して、オレは背中から床に倒れた。
……いてぇ。でもそれ以上に驚きで、天井を見つめながら瞬きを繰り返すことしか出来なかった。今、何が起きた?
「親に養ってもらってる分際で調子こいてんじゃねーぞ、ガキが」
オレの視界に入ってきた端正な顔が、無表情のままに毒を吐く。その顔の作りは見慣れた担任教師のものなんだけど……誰だ、お前。
「大丈夫か、高野?」
オレを転倒させた張本人に助け起こされながら、オレはまだ混乱していた。しゃがみこんで目線を合わせながら心配そうな顔をしてるのは、オレの担任である瀬川。じゃあ、さっき、冷徹な無表情でオレを見下ろしていたのは……?
「来週のことだが、待ち合わせは盛り街駅にしよう。時間は十八時。遅れないように」
いつもの爽やかスマイルを浮かべ、瀬川は自分の言いたいことだけ言って立ち上がる。そのまま呆けているオレを残し、ニセの家庭訪問を終えた瀬川は何事もなかったかのように去って行った。




