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第13話   風心妃の異変 前編

 完全に日が暮れ、後宮内は宵闇に包まれている。


 そんな中、俺は鳳瞬と玉照宮へ通じる道を急いでいた。


「わざわざお前を連れ出してすまないな、鳳瞬」


 俺は顔だけを振り向かせ、後方からついてくる鳳瞬に告げた。


 玉照宮へと続く道には明かりが灯されていないため、今の俺は燭台の明かりを頼りに風心の元へと急いでいる。


「それは別に構わないのですが、この速度で歩いていては足元が危うございましょう。転んで怪我をなさっては一大事。燭台はわたくしがお持ちしますよ、大家たーちゃ


「馬鹿を言うな。宦官と医官長がともに後宮内を歩いていながら、医官長のお前が灯りを持っていたら周りに不自然だろう」


 そう、今の俺は皇帝の華龍瑛ではなく宦官の安仁に変装している。


 ならば役職の低い宦官が燭台を持って先に歩くのは当然だ。


「それに今は風心妃のことだ。まずは一目でも様子を見たい」


 事の発端は今日の昼前のこと。


 異国から仰々しい一団を連れて一人の妃が後宮入りしてきた。


 倭魅美という十六歳の妃だ。


 姓が「」で、名が「魅美みみ」という。


 そして「倭」という姓は倭国を意味しており、倭国での魅美の本姓はまた別だというのも知っている。


 華秦国の後宮に入るにあたり、倭国から来る妃なので姓を華秦国風に「倭」と改めるようにと朝廷が倭国側へ要求し、それを倭国側が承諾した結果だった。


 まあ、それはさておき。


 そのような倭魅美が龍翔門をくぐったとき、その現場にいた風心も侍女たちを連れて見学していた。


 その途中で風心は意識を失ったという。


 むろん、周囲は騒然としてすぐに医官たちが現れた。


 ちょうど養心殿に鳳瞬もいたため、すぐに風心を玉照宮に運んで診察したらしい。


 一方、俺はそのとき大玄殿で軟禁状態にあった。


 皇帝としての政務に加え、倭魅美を四夫人に相当する五夫人の妃にする妃位封賜ひいほうしの準備にかかりっきりだったからだ。


 なので風心が倒れたという話を聞いたのは夕方近くであり、すぐに安仁となって見舞いに行きたかったものの、完全に政務や雑務を終わらせていたらすっかり夜になってしまったのである。


 それでも俺は風心が倒れたと聞いて居ても立ってもいられず、重臣たちの目を盗んで宦官の安仁に変装して後宮へとやってきた。


 当然ながら風心の容態を確かめることに他ならない。


 ただ、宦官の安仁だけで徳妃である風心の見舞いなどできない。


 そこで俺は鳳瞬に頼んで一緒についてきてもらった。


 鳳瞬が同行してくれれば宦官の安仁である俺でも玉照宮に入れるからだ。


 そんな鳳瞬は走りながら風心の状態を説明してくる。


「風心妃の容態ですが、昼間に診察した限りでは何か重篤な怪我や病によるものではありません。おそらく立ちくらみか貧血ではないかと……」


「立ちくらみ? 貧血?」


 俺は立ち止まり、眉間に深くしわを寄せた。


 ちょうど玉照宮の正門前へ到着したこともあるが、鳳瞬の診察結果に疑問を抱いたからでもある。


「お前はそれでも医官長か? ただの立ちくらみや貧血で意識が戻らないということがあるか!」


 俺は皇帝の顔を表に出して鳳瞬を怒鳴りつける。


 医術の専門知識がない俺でも立ちくらみや貧血の症状ぐらいは知っている。


 どちらも軽度であれば四半刻(約30分)も経たずに回復するものだ。


 だが、龍翔門近くで倒れた風心は違った。


 糸が切れた人形のように倒れてからは、玉照宮の寝台に運んだあとでも意識が戻らなかったというのだ。


 一緒に歩みを止めた鳳瞬は表情を歪めながら頭を下げてくる。


「大家、恥を忍んで申し上げます。確かに風心妃は立ちくらみや貧血ではないかもしれません。ですが、それ以外の症状がお身体に出ていないのです」


「どういうことだ?」


「突如、人間が意識を失う原因は様々です。以前に風心妃はあやまって侍女に突き飛ばされ、頭を打って意識を失ったということがありましたね。あれならば原因は明白なので診察は簡単だったのですが、今回は外的要因がなく突然にお倒れになったといいます」


 鳳瞬は医官特有の淡々とした口調で続ける。


「今の時期が真夏ならば熱中症の疑いもあったのですが、春の季節に熱中症は考えにくい。事実、私が診察したときも熱中症の症状は見受けられませんでした。それどころか呼吸も正常であり、脈拍も正常。頭部にこれといった外傷もなければ、誰かに毒などを盛られた症状もありませんでした」


「毒を盛られていないとしても、たとえば人知れず毒矢などを射られた可能性は?」


 風心は皇后に次ぐ権力の四夫人の一人だ。


 他の三夫人たちによる権力争いに巻き込まれたこともありえる。


「いえ、それもありません。私は侍女たちの立ち合いのもと、風心妃の露出していた肌の部分をはじめ、吹き矢が刺さりそうな箇所を徹底的に調べました。けれども風心妃の肌には毒矢などを射られた形跡はありませんでした。これはわたくしの首をかけても誓えます」


 俺は鳳瞬の瞳をじっと見た。


 鳳瞬の瞳には嘘偽りのない光が宿っている。


 俺は血が上っていた頭を冷やすため、深く長く息を吐いた。


「すまない。俺はお前の診断結果を疑うつもりはないんだ……ただ、俺はどうやら自分が思っていた以上に風心妃が心配になっているようでな」


 嘘ではない。


 今の俺の脳裏には風心が棲み着いてしまっている。


 最初は単なる好奇心だった。


 いつものように宦官の安仁として後宮内をうろついていた矢先、玉照宮の前で侍女の只ならぬ悲鳴を聞いた。


 あのとき、俺は好奇心以外の感情を持ち合わせていなかった。


 たとえ宦官の立場を超えた無礼な行いと咎められたとしても、事情を知っている者たちによってすぐに事は穏便に済まされる。


 それを承知で玉照宮へと入って風心の元へと向かい、俺は刺激された好奇心のままに気を失っていた風心を介抱した。


 今でも鮮明に思い出せる。


 風心の黒い噂は少しばかり耳にしていたが、後宮内で妃同士が陰険な争いをするのは日常茶飯事。


 その中ではどんな清らかな花も黒く澱むのは当たり前だ。


 風心もそんな黒く澱んだ花弁の一枚。


 などと思っていたが、実際の風心は黒く澱んでいるどころか穢れを知らない純白で聡明そうな女だった。


 特にそう強く思ったのは養心殿での一件だ。


 風心は自分が皇帝に寵愛されなかったときは、生家に帰って恵まれない貧しい者たちを救うことに人生を捧げると言い放ったのである。


 あれから俺は風心のことが脳裏にちらつくようになり、安仁として後宮内を散策するときは風心のことばかり考えるようになった。


 自分自身も驚いている。


 こんな異様な感情は生まれて初めてだった。


 同時にこう思うようになった。


 この女ならば自分の正妻にしてもいいかもしれない、と。


「大家がそこまで風心妃のことを考えておられるとは思いませんでした。以前に虎月と話していたときは冗談交じりでしたが、これは正式に風心妃を寵妃に……いえ、立后されると考えてよろしいのでしょうか?」


「……まだわからん。そこまではまだ決めかねている」


 これも事実である。


 今の俺は風心に対して他の妃には持ち合わせていない感情を抱いていた。


 とはいえ、だからすぐに風心を皇后として任命するかは別である。


 しかも異国の妃である倭魅美を後宮に迎えたばかりであり、その倭魅美を四夫人に相当する妃位を与える式典もまだ行っていないのだ。


 仮に風心を正妻として指名するにしても、宰相や大鴻臚たいこうろの顔を立てるために最低でも妃位封賜ひいほうしを行ったあとにしたほうがいい。


 俺が思い詰めていると、鳳瞬は俺の心情を察してくれたのか「わかりました。では、そのお話はまた後日に」と話を終わらせてくれた。


 その後、鳳瞬は正門を叩いて見張りの侍女に事情を話した。


「ありがたいことです。こうして医官長自らが何度も診察してくださるとは」


 見張りの侍女たちに感謝されつつ、俺たちは玉照宮へと入って案内役の侍女たちと風心の元へ向かった。


「医官長の鳳瞬さまとお連れの方が来られました」


 侍女たちに案内されたのは、天蓋付きの寝台のあった風心の寝所である。


 寝所の中へ足を踏み入れると、俺は寝台に横たわっていた風心を見た。


 風心は腹の部分に薄い絹製の布が掛けられていて、意識を失っていながらも掛け布が規則正しく上下している。


 ということは身体に異常はないということだ。


「鳳瞬さま、こんな時分にいかがされました?」


 寝台の横には子猫のような子供の侍女がいて、俺たちに気づくと慌てて駆け足で近づいてきた。


 確か専属侍女の寧寧という名前だったか。


「夜分に申し訳ありません。失礼とは思いながらも、どうしても風心妃さまの容体が気になりましてね」


 鳳瞬は毅然とした態度で事情を説明する。


「そんな滅相もない。鳳瞬さまならば何度でも来られて構いません」


 寧寧はぱっと表情を明るくさせたが、それも一瞬のことで俺の顔を見た途端に怪訝な表情になった。


「鳳瞬さまはともかく、どうして安仁さんがここにいるのですか? 風心さまのご様子を見られるのなら鳳瞬さまだけでいいはずでは?」


 寧寧は遠回しに「宦官はさっさと帰れ」と目で訴えかけてくる。


 その考えは正しい。


 医官長の鳳瞬が容態を診に来たのなら夜分だろうと歓迎されるだろうが、そのお供に医官でもない宦官がいては訝るのは当然だ。


 だが、そんなことは最初から想定済みである。


 鳳瞬は一度だけ咳払いすると、前もって示し合わせていた建前を口にする。


「寧寧どの、こちらの安仁どのが帝の側仕えの宦官ということは知っていますね?」


「は、はい……それは知っています」


「ならば、その帝の側仕えの宦官がわたくしと一緒に風心妃さまの容体を診に来たという意味はおわかりになりませんか?」


 寧寧は大きく目を見開いた。


「ま、まさか……帝が安仁さんに風心さまのご様子を見に行くように命じられたと?」


 思っていたよりも察しがよい娘で助かった。


 皇帝が自分の側仕えの宦官に風心の様子を見に行くことを命じた。


 それはすなわち、帝が他の妃よりも風心に関心を示している証。


 侍女の立場だとして、主人が帝に関心を示されているというのは自分のことのように嬉しいはずだ。


 なので前もって宦官の安仁が玉照宮に入れる口実を考えていたのだが、寧寧の反応からすると功を奏したようである。


 鳳瞬はにこやかな笑みでうなずく。


「ご理解が早くて助かります。そういうわけで安仁どのにも診察の様子を見てもらいますがよろしいですよね。彼も帝へ詳細を報告する義務がありますので」


「わかりました。そういうことでしたら是非とも――」


 と、寧寧が寝台に横たわる風心を見たときだ。


「う……ううん……」


 風心は小さく呻き声を上げながら意識を取り戻した。


「風心さま!」


 寧寧が大声を上げて風心に駆け寄っていく。


 俺と鳳瞬も急いで寝台へと近づいた。


「ご気分はいかがですか?」


 寧寧が問いかけると、風心はゆっくりと上半身を起こした。


 何度か瞬きをして周囲を見回す。


「ご安心ください。ここは風心さまのご寝所ですよ」


「わたくしの寝所……ああ、そう……そうなの」


 風心はボソボソと消え入りそうな声量でつぶやく。


 このとき、俺は妙な違和感を覚えて眉根を寄せた。


 目の前にいるのは、どこからどう見ても風心だ。


 着ている衣服は薄い水色の寝衣しんいのみ。


 光沢のある黒髪を結わずに流し、最低限のおしろいや化粧もしていない。


 それでも顔つきや体型で間違いなく風心とわかる。


 しかし、俺には何かが引っかかった。


「風心妃さま、少しだけ話をしても構いませんか?」


 俺は宦官という立場を忘れ、ずいっと身を乗り出して風心に声をかけた。


 その直後である。


「……ぶ、無礼者ッ!」


 風心はキッと目つきを鋭くさせて怒鳴った。


「たかが宦官風情がわたくしに気安く話しかけるな!」


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