第1話 悪役キャラに転生?
「風心妃、大丈夫ですか!」
ふと気がつくと、私は間近で声をかけられていた。
(…………ここはどこ?)
山田ゆいこと私は、どうやら床に仰向けに倒れていて、そこから誰かに上半身を起こされているようだ。
そんな私は何度か瞬きをして声の主をじっと見つめる。
一秒……二秒……三秒……
時間が経つごとに朦朧としていた意識がクリアになり、ついに私は大きく目を見開いて自分でもわかるほど顔を真っ赤にさせてしまった。
私の目の前にいるのは、二十代前半ほどの絶世の美青年だったのだ。
女の私から見ても嫉妬しそうなほどの艶やかな肌。
きりりとした目眉。
ほどよく伸びている鼻梁。
あごの先端に向かうほどシャープになっている顔立ち。
そして、魂が吸い込まれそうなほどの純粋な輝きを宿す瞳。
(え……どうして私はこんな人と顔を突き合わせているの?)
考えれば考えるほど頭上に疑問符が浮かぶ。
それにもっと不思議だったのは、美青年の服装だった。
明らかに現代日本の格好ではない。
頭には髪全体を隠している黒色の変わった帽子をかぶり、着ている服は藍色の和服……ではなかった。
この服ってどこかで見たことがあった。
(たしか古代の中国で生きていた人の格好よね?)
正確なことは一切わからない。
どうして目の前に嘆息するほどの美青年がいるのかも、その美青年が古代中国人のような格好をしているのかも、何もかもわからないままだ。
私が動揺していると、美青年は私の身体を優しくゆすって「風心妃、本当に大丈夫でしょうか?」と心配そうにたずねてくる。
「ふ、風心……妃?」
一体、この美青年は誰と私を間違えているのだろう?
私の名前は「山田ゆい」よ。
今年で二十七歳になる、東京のメンタルクリニックで働いている臨床心理士。
彼氏いない歴イコール年齢……は、さておき。
身長は148センチで体重は……まあ、ごにょごにょ。
童顔で高校生に間違われることも多々あった。
私はさらに自身の記憶を深堀りする。
実家は神奈川で、両親は中学生のときに離婚。
父親のDVと浮気が原因だったため、私は母と暮らすようになり、そんな母も高二のときに同じ職場の男性と再婚した。
相手の男性もバツ1で、私より二つ下の女の子の連れ子がいた。
再婚相手の義父も義妹もとても人間ができていて、私たちはすぐに本当の家族になれた。
それから月日が経ち、私はなりたかった心理士になるべく心理学のあった大学と大学院を卒業。
臨床心理士の資格を取得したが、臨床心理士はあくまでも民間団体の資格である。
そのため私は東京のメンタルクリニックで働きながら、国家資格である公認心理師の資格を得るため、仕事が終わったあとにも勉強を続けていた。
(うんうん、思い出してきた)
さらにもっと記憶を深掘りしていく。
私は年末になって実家の神奈川に帰省した。
リビングに入ると、自他ともに認める生粋のオタクだった義妹が大型テレビで堂々とゲームをしていた。
プレイする人間が操作する女性主人公が、多種多様なタイプのイケメンな男たちに好かれる乙女ゲームというゲームだったと思う。
私はあまりアニメやゲームに詳しくなかったのでよくわからなかったが、義妹が言うには乙女ゲームは現代日本か架空の中世ヨーロッパ風の異世界が舞台になっていることが非常に多いらしい。
ところがリビングで義妹がプレイしていた乙女ゲームは、それら二つとは異なる一風変わった世界観の乙女ゲームだと本人が力説していた。
その一風変わった乙女ゲームの名前は……
直後、後頭部にズキンとした痛みが走った。
私は顔を歪めて後頭部をさすろうと手を動かす。
しかし、そのまま後頭部をさわろうとしたら何かに当たった。
(か、簪?)
これには驚きを隠せなかった。
自分の髪にしっかりとした形と冷たさを感じられる金属製の簪が何本も差されていたのだ。
普段はゆるくウェーブのかかった髪に細目のバレッタやヘアピンをつけるぐらいで、簪など二十七年の人生の中で一回も使ったことがない。
それに髪形もおかしかった。
絹のようなサラサラな髪を高く結い上げ、その結い上げた部分に何本もの簪が差されている。
(待って……ちょっと待って……)
私は自分の血の気が引いていく感覚に襲われた。
おそるおそる視線を落とし、自分が着ている衣服を確認する。
帰省していたときのセーターやスカートが一変していた。
インナーに近い薄手の衣服の上から袖の大きな水色の着物を着て、明らかに足よりも長い白のスカートは腰の位置に帯で固定されている。
他にも腰帯には手鏡が差されており、生地の感じや金字で刺繍された花の模様から、自分が着ている衣服がとても高級なものであることは明白だった。
まさか、リビングのソファで寝ている隙にオタクの義妹にコスプレをされたのだろうか?
いや、それはありえない。
義妹はXで有名コスプレイヤーさんのアカウントをフォローしたり、コスプレがテーマのアニメや漫画を読むのが非常に好きだったが、義妹自身は完全に視る側専門のオタクだった。
だとしたら、一体誰が私にこんな格好をさせたのだろう?
それに軽く周囲を見渡すと、自分がいる場所は実家のリビングとは似ても似つかない場所だった。
汚れ一つない純白の壁。
花と鳥が優雅に描かれた屏風。
壁際に置かれていた調度品や壺も一目見て高価そうなものだとわかる。
それ以上に私が驚いたのは室内の雰囲気だった。
まるで古代中国の王宮内にいるような部屋だ。
「風心妃、お目覚めになられて安堵いたしました。まもなく養心殿より医官が参ります。それまでご無理をなさらぬよう」
美青年の凛然とした声に心臓が気持ちよく跳ねた。
「あ、あのう……あなたは?」
やけに大きく高鳴る心臓の音を掻き消すかのように、私はたどたどしい口調で美青年の名前を訊く。
「安仁と申します。別の場所に用事があり玉照宮の前を通り過ぎようとしたとき、こちらの侍女の悲鳴が聞こえてきましたので、いてもたってもいられず参った次第です」
安仁。
キラキラネームとも違う変わった名前だ。
そういえば、義妹がプレイしていた乙女ゲームの攻略対象者たちも似たような名前だったような?
そう思いながらも、私は美青年が顔を向けたほうに視線を移す。
視線の先には全身を震えながら土下座している女の子がいた。
顔を床につけるほど伏せているので顔は見えない。
それでも全身の体型から十代半ばぐらいと予想できた。
着ている服は私と同じ水色の衣服だ。
「どうか、お許しください! あたしは風心さまに危害を加えるつもりはまったくありませんでした! ただ、お茶をお持ちしたさいに襦裙の裾に足を取られてしまい、誤って風心さまを突き飛ばすような形になってしまったのです!」
女の子は必死に謝罪の言葉を繰り返していた。
だが、私の関心は女の子よりも別なモノにあった。
女の子の後方、数メートル先には特大の姿見が置かれていて、その姿見には私と安仁と名乗った美青年の姿がはっきりと映し出されている。
私は金づちで頭を叩かれたような衝撃を受けた。
姿見に映っている自分の姿と、風心という日本人とは違う名前。
今はっきりと思い出した。
オタクの義妹がプレイしていた乙女ゲームの名前は、架空の古代中国の後宮を舞台にした『後宮遊戯』。
そして今の私の姿は『後宮遊戯』のヒロインを邪魔して、最後にはどの攻略対象者のルートでも破滅エンドを迎える最低の女性。
悪役毒妃と呼ばれる、蘇風心というキャラだった。
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