1.レベルゼロの魔法使いの弟子はお風呂を沸かす事件で悩みが多い(1)
『ラプランティ――レベルゼロの魔法使いの弟子は奇妙な事件で悩みが多い――レベル99の人を倒しちゃったんですけど』
〝The Sorcerer's Apprentice: Strange Case〟
1.レベルゼロの魔法使いの弟子はお風呂を沸かす事件で悩みが多い(1)
神聖リヴャンテリ王国の西のはずれ、タスケスパラ辺境伯領の端っこの隅っこの山の中で、魔法使いとその弟子が二人で暮らしていました。
なんでもその美しい女性の魔法使いは、世界で八番目の魔法使い〈ラ・ユイティエム・ソルシエール〉とされていましたから、その称号〈LHS〉からエラシェスと呼ばれ、畏れ敬われていたのです。
その弟子のラプランティはエラシェスの過失(呪いともいう)から、奇妙な事件に巻き込まれてしまうのでした。
*
ある時、エラシェスに王都から鷹が遣わされました。
開けられた窓から入った灰鷹が、カーテンを破らずに客席の笠木にとまりした。賢い使い魔です。
「ふう……。ああ……」
帝国時代より前の古代リヴャンテリの暗号を読みとったエラシェスが、溜息まじりに嘆きました。内容はその漆黒の髪と瞳と同じく、深い闇があるのでしょう。
(こんなときは近づかないほうがいい……)
拾い子だった弟子のラプランティは幼いころから師匠の気分に振り回されていましたから、こうしたときは逃げることにしています。
ラプランティが翡翠色の瞳を閉じて、気づかれないように背を向けました。緑髪が長く女の子のように麗しいですが、短パンを履いている幼い男の子です。
「ラプランティ」
王都がある東の方角から視線をずらさずに、エラシェスが呼びとめました。
「はい……」
バレてしまうのもいつものことです。なにしろ世界で八番目の魔法使いですからね。
「なんでしょう? お師匠さま」
「ちょっと出かけてくる。すぐ戻るからお風呂の用意をしなさい。お湯で」
そう言うと、クローゼットから勝手に黒い外套が出てきました。手を使わずに、魔法で羽織ります。
ラプランティには見慣れた光景ですが、弟子にそんな魔法は使えません。
エラシェスは身綺麗で、穢れを聞くたびに耳を水ですすぐタイプです。出先では厄介事が待っているのでしょう。
「前のように沸騰させないでね」
「はい……」
前といっても前回ではなく、もう二年半も前のことなのですけれど毎回言われるのでした。水だったのはそれより前です。
魔法使いがコートのベルトをとめると、ふっと浮きました。
ドアが自然に開いたとおもうと、ラプランティの前からエラシェスが消えました。
「さてと……」
ラプランティが両手にバケツを持ちました。裏の井戸に向かいます。
一個ですとバランスがよくありませんし、非効率です。
エラシェスが掘った魔法の井戸ですから、真夏でも清冽な泉のように滾々(こんこん)と湧いていて枯れることなどありません。
ただ、今のような長閑な春であっても氷のように冷たく、ラプランティの手はあかぎれでいっぱいでした。
浴槽に水を溜めるには、バケツ三十杯ぶん必要です。
幼いラプランティでは、バケツいっぱいまで水を入れると持てません。七分目だけ入れるとその分だけ水を汲む回数が増えます。
前はそれで疲れて、火の番をしている途中で眠ってしまったのです。
井戸から水を汲み、バケツに入れます。もう一つも。
えっちらおっちら裏口から運んでいくと浴室の前に、昨日の夜に洗った竹の箒が立てかけていました。
「お前が替わってくれたらなあ……」
ラプランティが溜息まじりに言うと、竹箒がかすかに震えました。
魔法の竹箒が、ラプランティの魔力――魔法の力に反応したのです。竹箒に口があれば「どうぞ」とでも言ったかもしれません。
「水を運んでくれるかい?」
一番簡単な魔法は、言葉による使役の呪文です。
生乾きだった竹箒が穂先を震わせました。猫が水浴びしたあとのように水滴が壁に飛び散りました。
「そうなの? やってくれるの?」
竹箒がラプランティの肩をトントンと叩きました。
「任せてくれって? じゃあお願いしようかな……」
竹箒がエッヘンと撓りました。
「じゃあ、水を運んで。井戸から浴槽まで」
言いおわると同時に、竹箒が飛んでいきました。魔法の竹箒ですから文字どおり空中を飛んでいます。
「ふう……拭かなきゃあ」
頭に水滴が落ちました。天井にも水しぶきが飛んでいました。
でもすぐに、外から竹箒が叩く音がしました。
急いでかけつけると、竹箒が地面を叩いていました。
「あっ!」
バケツはまだ浴室前にあります。戻って浴槽に水を入れると、井戸の前にもっていきました。
そのあいだ竹箒がダンスを踊っていました。スケルツォでしょうか。
井戸から水を汲んで、バケツに入れました。
竹箒が蹴ると、バケツが飛んでいきました。バケツも魔力を帯びたようです。でも要領がよくないのか途中で止まってしまいます。首をかしげるようにバケツが傾きました。竹箒が追いかけ方向を変えます。
「あっという間だ」
ラプランティが二杯目を入れおわる前に、空になったバケツが戻ってきました。
「これもできるのかな?」
水汲みも竹箒がしてくれると楽チンです。
竹箒が井戸の滑車を叩くと、滑車がひとりでに動きだしました。
「ふう……これでひと休みできる」
ラプランティは安心してバルコニーにある師匠の揺椅子に座って一息ついたのでした。
*
眠っていたラプランティが、来訪者の声に起こされました。
「ここは八番目の魔法使い〈ラ・ユイティエム・ソルシエール〉の家なんだろう?」
「……はいそうですが」
ラプランティが目をこすりました。まだ寝ぼけているようです。
来訪は、ハンサムな紳士でした。イイ声です。黒髪黒眼ですから、エラシェスの同郷でしょう。
「では、どうして暴走しているんだ?」
ラプランティが振りかえり、家を見ました。
「はい?」
廊下から玄関に滝のように水が流れているではありませんか!
「――あっ!」
びっくりしたラプランティが転げそうになりました。
そのとき魔法使いの弟子の肩を紳士がすっと押したので、ラプランティがロッキングチェアの上で一回転しました。
「大丈夫か?」
見ると紳士は空中に浮いています。水を嫌う魔術師は多いです。
(だ、ず、げ、で)
庭の池で女騎士(レベル99)が溺れていました。