わんこ系婚約者の大誤算
私、ディアナ・クラルヴァインには女にだらしない婚約者がいる…
名をウィルバート・ウェストハイマー。侯爵家の嫡男である彼は、その見た目の良さと柔軟な性格で女性からの評判がすこぶる良い。そんな彼の周りはいつも友人が囲っていた。
(友人…ね)
ディアナは疲れたように小さく息を吐いた。
囲っているのは大抵女性で、見せつけるかのようにウィルバートの腕に手を絡め挑発するように目を細めて微笑み返してくる。こんな不誠実な男、なぜ捨てずにいるのかと訊ねてくる者も多い。
(何故、婚約を破棄しないか…ね)
ディアナはクスッと口角を吊りあげ、不敵な笑みを浮かべた。
ウィルバートとディアナは、物心付く頃から一緒にいる幼馴染。幼い頃は女の子のように可愛らしくて、一時は同性の友達のように振舞っていたほどだ。まあ、すぐに「女の子じゃない」と泣かれてしまい、逆にディアナの方が両親にこっぴどく怒られてしまった。
婚約相手だと聞かされても「ああ、やっぱり」ぐらいの感覚だったが、ウィルバートは顔を真っ赤にして喜んでいたのを覚えている。
そんなウィルバートが変りだしたのは、学園に入学してから。
学園に入学するまで、自分の屋敷とディアナの屋敷を往復するだけの完全なる箱入り息子だったウィルバート。そんな彼が、初めて学園という大海原に足を踏み入れた。気が付けば、彼は学園でも片手の指に入る程の人気を誇っていた。
常に両側には女性を侍らせ、学園の中を闊歩する。そんな姿を木陰からディアナが見つめていた。
「今日も婚約者様は絶好調だな」
「ふふっ、可愛いでしょ?」
ディアナに声をかけたのは、級友のネフェン。これでもこの国の王子様だといのだから驚きだ。
「お前……その歪んだ愛情どうにかした方がいいぞ」
ネフェンは苦言を口にする。
「あいつも不憫な奴だよな」
「あら、婚約者という者がおりながら、現を抜かす方がおかしいのです」
「……嗾けたのはお前だろ?」
呆れながら口にするネフェンに、目を細めて含み笑いを浮かべた。
そう、ウィルバートが変った原因はディアナにあった。
あれは入学して暫くたった頃──
その時はまだ学園という場所に馴染めず、ディアナの後をついていた。
「ウィル、ごめんなさい。この後先生に呼ばれているの。先に教室に戻っていてくれる?」
「分かったよ」
その日、ディアナは担任に呼ばれていて、ウィルバートを先に教室に帰した。
プリントを手にしたディアナが教室に戻って、真っ先に目にしたもの。それが、女子に囲まれているウィルバートの姿。
ウィルバートは大勢の女子に囲まれて、顔を真っ赤にしながらも照れ笑いを浮かべていた。ディアナは持っていたプリントをギュッと握りしめ……ほくそ笑んだ。
ウィルは優しい…私の事を心から愛してくれているのも分かっている。──だからこそ、つまらない。
幼い頃から生真面目で、真っ直ぐな性格だった。何があってもディアナの事を第一に考えてくれていた。傍から見れば優男で不満などないように見えるが、彼には男らしさも私意すらない。
何をするにも「ディアナ」「ディアナ」……私は、貴方の母親か。
そりゃあ、構いすぎた私にも責はある。子供の頃は、自分の後を追いかけてくる姿が可愛いくて愛らしくて、幼心に母性が目覚めたほど。だが、それはケツの青い子供特有のもの。このままワンコのまま頼りないのでは困る。
だからディアナは学園に入学するにあたって、彼を矯正・教育することに決めた。今まで、ウィルバートの世界には自分とディアナの二人しかいなかった。その狭い世界に、多種多様な人間が入って来た。
初めての経験…初めて知らされる気持ち。今から卒業までに暇なく訪れるであろう日常。人生楽しんだもの勝ちだと言うし、ウィルバートにも楽しんで欲しい。
学園の定番と言えば、酸いも甘いも知らないヒヨっ子達の恋の駆け引き。こんなに面白い舞台はない。
そこで、ディアナは手始めに甘い罠を仕掛けてみた。
ウィルバートが密かに人気を集めている事には気が付いていたが、常に隣に婚約者のディアナがいたら話しかけることも出来ない。そこで、ウィルバートが一人になるこのチャンスを狙っていた。
(さて……)
ディアナはドサッと敢えて大きな音を立ててその場にプリントを落とした。
その音に気が付いたウィルバートが駆け寄ってくる。
「ディアナ大丈夫!?」
「ええ……少し驚いて……」
わざとらしく顔を曇らせ泣きそうな顔で伝えれば、ウィルバートは驚いた様な表情を一瞬浮かべたが、すぐに嬉しそうに口を覆った。
「え、え、もしかして、妬いてるの?」
「……」
黙ったまま顔を俯かせているディアナに、ウィルバートの表情はみるみる明るいものに変わっていく。
今まで、自分に興味がないように見えた婚約者が自分にヤキモチをやいてくれているという事実が喜びとなり、全身を電流のように駆け巡った。
その後は、まあ、テンプレのようにディアナが焼きもちを焼く姿が見たいが為に自分に寄ってくる女子を囲うようになった。
「本当、健気で愚かで可愛い私のウィル」
クスクス微笑むディアナを若干引き気味でネフェンが見ている。
「なんです?」
「完全に悪役みたいな台詞だぞ?」
「嫌な言い方ですわね。私以上にウィルを愛してる者などおりませんわ」
得意げに鼻を鳴らしているが『愛してる』その一言で簡単に片付けられるようなものではない。ネフェンは、こんな女を愛し愛されているウィルバートを憐れに思った。
「…ですが、最近は少々おいたが過ぎているようですね」
険しい顔でディアナが呟いた。
ディアナが危惧しているように、最近のウィルバートはやりすぎている節がある。必要以上の接触や放課後のお誘い。毎日欠かさず登下校していたのに、最近ではそれもない。
ネフェンから言わせれば、そんな風に仕向けたのはディアナなのだから自業自得だと思っている。
恋の駆け引きなんて言っているが、単純に自分の気持ちを変な方向に拗らせて素直になれだけに見える。
卒業まで残り半年と言うこともあって、お互いに焦りが出てきた結果だろう。
「何か言いたそうな顔ですわね?」
「いいや?」
ディアナが怪訝な表情でネフェンの顔を覗き込むと、胡散臭い笑顔で否定してきた。
「兎にも角にも、そろそろ仕置が必要ですわね」
頬に手を当て、剣呑な眼差しでウィルバートを見つめていた。
それから数日、校内ではある噂が立ち始めた。
「おい、聞いたか?ディアナ嬢が遂に見切りを付けたらしい」
「最近は殿下と仲睦まじい姿をよく見るしな。まあ、当然と言えば当然だよな」
教科書を腕に抱き、涼しい顔で歩くディアナの耳にヒソヒソと聞こえてくる。
その先には噂の相手であるネフェンが、優しく微笑みながら手を差し出している。その手をディアナは躊躇することなく取り、お互いに見つめ合いながら微笑む。その姿はまさに恋人そのもの。
見ている者たちも思わず顔を赤らめるほどお似合いで、うっとりと見蕩れてしまう。
こんなに堂々と二人でいるのを、ウィルバートが知らないはずもなく、何度もディアナに詰め寄ったが返ってくるのは『お友達』だと言い張るだけで、すぐにネフェンの元へ行ってしまう。
ウィルバートは本当に自分が愛想を尽かされたのかと、全身の血の気が引いた。
「いつか愛想を尽かされるぞ」
クラスメイトからは散々言われていた。それでも、もう一度ディアナに嫉妬してもらいたくて…自分が愛されていると感じたくて、身勝手な行動を取っていた。
ディアナの気持ちを弄んだ罰…自業自得。そう自分に言い聞かせようとしたが、ネフェンに微笑みかけるディアナを見ると、どうしてもやりきれず胸が苦しい。
「どうやら、卒業パーティーのエスコートも殿下がするって噂だな」
「ああ~、完全に終わったな」
ウィルバートに聞こえるように、クスクスと嘲笑う声がする。
卒業パーティーと言えば、学生にとっては一大イベント。エスコートは婚約者がするものと決まっている。そんな場面で自分ではなく、他の者がディアナをエスコートすると言うことは…
ガタンッ!!
ウィルバートは大きな音を立てて椅子から立ち上がった。
「ディアナ!!」
いつものようにネフェンと一緒にいると、険しい顔をしたウィルバートが声をかけてきた。
「ウィル?どうかした?」
そろそろだなとは思っていたディアナだが、敢えてとぼけたように振舞った。
ウィルバートは、ディアナの隣にいるネフェンにチラッと視線をやると「来て」とディアナの手を掴むと、足早にネフェンの視界から消えていった。
ドンッ!!
人気の無い裏庭に連れて行くと逃げれないように壁に追いやり、更に覆い被さるようにして詰め寄った。
「どういう事?」
いつものような柔らかい表情ではなく、鋭い眼光で睨みつけてくる。声色もワンオクトーブ低い。こんな状況、普通の令嬢ならば恐怖に怯え必死に誤解を解こうとするに違いないが、ディアナは違う。
むしろ、この状況を待っていたと言っても過言ではない。
「僕と婚約破棄するって事?」
怒っている様にも見えるが、どちらかと言えば捨てられる子犬のように悲痛な表情で今にも泣きだしそうだ。
この顔をすればディアナは許してくれる。いつも僕が泣きそうになると抱きしめてくれた。……とでも思っているのだろう。
「ねぇ、何とか言ってよ…!!」
だんまりを貫くディアナの肩に顔を埋めて、言葉を待った。しばらくしてディアナが小さく溜息を吐き「ウィル」と落ち着いた声色で声をかけると、ウィルバートの肩が跳ねた。
「おかしいですわね…何故、私が責められているのかしら?」
「え?」
ディアナは冷たく突き放すようにウィルバートを自分から引き離し、冷ややかな視線を向けた。ウィルバートは分かり易く狼狽えている。
「もとはと言えば、貴方の行動が原因なのでは?」
「ッ!!」
「私を責めるのは筋違い。むしろ、嫌われないと思って?随分とおめでたい頭だ事」
クスッと嘲笑ってやると、ウィルバートの顔色は次第に悪くなっていく。「違ッ」とか「だって」とか必死に言葉を引き出そうとしているが、ディアナの威圧に負けて言葉が出てこない。
(このままでは私は手に入らなくてよ?)
ディアナとて正直ここまで言うつもりはなかったが、震えて怯えるウィルバートが可愛くてつい口から出てしまった。
「私とて血の通う人間…自分が愛されないと分かれば離れるのは必然でしょう?」
口元が緩むのをグッと堪え、最後に畳み掛けるように言葉を続ける。
「殿下はとても誠実で頼りになるのよ?それに、とても男らしく私の手を引いてくれる…」
ネフェンを思い出すように空を見上げて頬を染めてやれば、ウィルバートは絶望の表情を浮かべている。
「答えはもう出ているはず…そうでしょ?」
問いかけてみるが、ウィルバートは顔を俯かせて黙ったままだ。
「それじゃ、私はもう行くわね。殿下を待たせるもの」
踵を返し、その場を後にしようとしたが──
「……………………行かせない」
か細い声が、微かに耳に届いた。それと同時に腕を力一杯引かれ、壁に打ち付けられた。「痛ッ」と思わず声が漏れた。
「痛かった?ごめんね?けどね、僕も胸が痛いんだ。誰のせいかな?」
明らかに雰囲気が変わったウィルバートに、ディアナはドキドキと胸が高鳴る。
「ディアナは殿下の方が良くなっちゃたのかな?……よそ見しちゃって、いけない子だなぁ」
ウィルバートはディアナの細い首を指でなぞりながら、狂気じみた目で問いかけてくる。
「ねぇ…ディアナが好きなのは誰?教えて?まあ、誰が好きだろうと関係ないけどね。ディアナは僕のものだ。誰にも渡さない…!!」
いつの間にか、ディアナの首を絞めながら瞳孔をガン開きにし責め立ててくる。空気を求めて口を大きく開けるが、上手く取り込めず涎ばかりが垂れてくる。
死に対する恐怖よりも今、この状況にゾクゾクとした悦びで心が踊っている。
「もう一度聞くよ?ディアナの好きな人は誰?賢い君なら分かってるよね?」
完全に脅しのような言葉だが、ディアナは声を振り絞り「……ウィ……ル……」と呟いた。
その言葉を聞いて安心したのか、ようやく締めていた手が緩み解放された。一気に空気を取り込み、ゴホゴホッとむせるディアナ。
「ああ、ごめんよ。苦しかったね?」
優しく背中を擦りながら介抱し、涙を一杯溜めている目を拭うようにキスをする。いつものように優しいウィルバートに戻ったように見えるが、目は全く笑っていない。
「いい?覚えておいて。君は僕だけのもの。他の誰のものでもない。次、他の男と一緒になるなんて言ってご覧よ。四肢を切り落として逃げれないようにしてから、誰のものかその身体に教え込むしかないね」
そういかれた忠告を口にするが、ディアナは頬を染め恍惚とした表情でウィルバートを見つめていた。
その姿は子犬のような愛らしさなんてものはなく、自分の大切な者を取られんと依存する猛犬のようだった。
そして、卒業パーティー当日──
「あるべき所に落ち着いてくれてよかったと言うべきか?」
ウィルバートにエスコートされて会場へ入って来たディアナに声をかけたのは、今回当て馬役として付き合わされたネフェン。
「その節は大変お世話になりましたわ」
「本当にな。……まぁ、友人からの頼みでは仕方ない」
「ふふっ、ありがとうございます」
お互いに微笑み合い、柔らかい空気が二人を包みこむ。そんな空気をぶち壊すようにウィルバートが間を割って入って来た。
「殿下、ディアナは私の婚約者です。軽々しく声をかけてこないでください」
「ほお?先日まで散々彼女を放っておいたのに、今更婚約者面か?」
煽るように口にすると、敵意むき出しでネフェンを睨みつけてくる。
「あはははは!!冗談だ、そう睨むな。そう言えば、お前を囲っていた女共はどうしたんだ?」
「……彼女達にはしっかり伝えましたよ。大切な人がいると…その人に心配かけたくないとね」
「へぇ?随分と聞き分けが良かったじゃないか」
「……」
ネフェンの言う通り、そんな簡単に引いてくれる者は少なかった。当然と言えば当然だ。上手くいけばウィルバートと婚約できるかもしれないのに、そう易々と身を引くはずがない。
「遊びでもいい」「二番目でもいい」と言い出す子もいたらしく、これにはウィルバートも困り果てていた。
「仕方ないので、私がお願いしましたの」
含みのある笑みを浮かべながら伝えると、ネフェンは何かを察したようで「ああ……」と苦笑するだけで、詳しくは聞いてこなかった。聞かなくとも、顔を強張らせ遠巻きにこちらを見ている子達を見れば容易に想像はつく。
「さて、俺は行くかな」
ネフェンは卒業生でもあるが、王子として壇上に上がる事になっているので、色々と準備があると言っていた。
「あ、そうだ」
何かを思い出したのか膝を返してこちらに向かって来た。
ディアナの前まで来るとニヤッと微笑んだかと思えば、グイッと腰を引くとその勢いのまま唇を合わせた。
「キャー!!!」と周りの者達からの黄色い悲鳴が飛び交う。
「俺はタダじゃないからな。駄賃は貰ってくぞ」
呆けているディアナに一言だけ伝えると、颯爽とその場から離脱していった。
ざわざわと困惑する声や疑惑の声が聞こえる中、背後から「ディアナ」と酷く冷たく低い声が聞こえた。ディアナが顔を上げると、蔑むように目を細め見下ろしてくるウィルバートと目が合った。
「ちょっといい?」
必死に笑顔を作ろうとしているのが分かる。
「本当に駄目な子。……お仕置きだね」
ディアナの手を取りながら耳元で呟いた。その言葉にゾクッとしながらも頬が染まり、期待で胸が膨らむ。そのまま、ウィルバートに手を引かれて会場を後にして行った。
ネフェンはその二人の後姿を見ながら溜息を吐いた。
「これからパーティーだと言ってるだろうに…全く」
ディアナはウィルバートを矯正すると言っていたが、あれは矯正と言うより、奥そこに眠っていた本来のウィルバートを呼び起こしただけに見える。
この結果がこれから先、どう転ぶのか。茨の道か…はたまた蛇の道か。どちらにせよ、ディアナが幸せならそれでいい。
「まあ、煽った俺も大概だしな」
そう呟きながら二人の幸せを祈った。