拐われた俺様
気が付くと俺は別の場所にいた。
慌ててソファーから飛び起きる。ぼやけた視界に映るのは、アルミ製の机とスチールロッカーが数個、それとソファーを含めた応接セット。その殺伐とした造りから、どこかの事務所らしい。両手は後ろで縛られている、完全なる拘束だ。
壁際にはスーツに身を包んだ男達が数人。俺が起きたのを確認すると、ひとりがドアから消えていく。
「なんの真似だ? 俺様を拉致るなんてよ」
ムカつきを覚え問い質した。だが奴らはなにも答えない、ただ煙草の煙を吐き出すだけだ。
「チッ、シカトかよ。勝手にしろや」
俺は考えた。この男達はさっきの強盗の仲間か。拉致られたのは俺だけか、他の奴らは無事だろうか。
それともうひとつ気になることがある。
「おめーはいつまで、俺様の頭に乗ってんだ」
それはあのネコだ。こんな状況だってのに俺様の頭の上に乗ってやがる。おそらく、あのどさくさで連れてこられたんだろう。そして俺が起きた直後に、咄嗟に乗り込んだ。とは言えこの状況じゃどうだっていい。
そのとき隣の扉が開いて新たな奴が現れた。黒いスーツに身を包む四十歳程の男。髪をオールバックで撫で付け、俳優のような端正な顔つきをしてる。他の男達と違い、着る服も身から放つ雰囲気も、気高い高貴さを放ってる。っても、ゆるく言ったら金持ちのオッサンだ。
「てめーがボスキャラか?」
ムカつきを籠めて睨みを利かす。しかしオッサンは答えない、怪訝そうに眉をひそめるだけ。おそらく頭の上のネコがおかしいって思ってんだろう。それに後方のデカイ男が耳打ちする。『捕まえようとしたのですが、すばしっこくて』そう言った。
それを聞き入り、再び俺に視線をくれる。
「怪我は大丈夫なのか?」
言って歩み寄った。
「掠り傷さ、たいしたことねぇ」
「どうやらそのようだな。まったくたいした回復力だ。医者も舌を巻いていたよ」
そして目の前のソファーに腰掛けた。
「医者だって、俺を医者に診せたのか?」
俺は首を回して、自分の腕に視線を向けた。確かに奴の言う通り、腕には真新しい包帯が巻かれている。かすり傷なのに大袈裟な処置だ。
「医者に診せる為に、俺様を気絶させて、拉致って紐でふん縛った訳じゃねーよな?」
再びオッサンを睨む。
「そうだな、キミを殴ったのはすまないと思っている。ウチの島木が興奮してな『お嬢が、お嬢がぁ』なんてテンパってしまって、つい仕出かしたことなんだ」
オッサンの後方のガタイのいい男が、島木っていうらしい。ヘラヘラと苦笑して、気まずそうに頭を掻いている。
確かにこんなデカい男に殴られれば、意識もぶっ飛ぶだろう。そう思って奴を見据えた。そのデカい風貌どっかで見た覚えがする。
「貴様を縛ったのは成り行きだ。いきなり殴られて、違う場所に連れてこられたら暴れるだろ普通」
オッサンか言った。確かにそいつも納得だ。縛られてなきゃ、ここにいる奴ら全部、半殺しだ。
「だが、もうその心配もあるまい。島木、縄を解いてやれ」
こうして俺の拘束は解かれた。
「とにかく、何故俺を拉致った? コレじゃ犯罪だ。誰かが通報したらどうする気なんだよ」
強張った身体を解きほぐそうと、コキコキと首の関節を鳴らす。ネコを引き剥がしてソファーに置いた。
確かにこいつら、悪い奴らではなさそうだ。少なくとも、俺に危害を加えるつもりはないだろう。
だがやっぱり、ここまでする意味は分かんねー。モーリーが通報でもすれば、警察が動くことは間違いない。
そんな俺の思惑も他所に、ネコは満足げな様子だ。ペロペロと毛繕いしてる。
「警察は動かんわ。店は元通りに直した、強盗共は拐ってカニ漁船に乗せた。数日後にはベーリング海だろ。じゃから証拠は残っておらんでのう」
だがそのオッサンの台詞で絶句した。
「娘は隣の部屋で寝ている。もうひとりの店員は、口止め料を払ったらヘラヘラして口を噤んでくれたわ」
実際有り得ない返答だ。こいつらは俺だけじゃなく、あの女も拉致ったって訳だ。あのモーリーのクソ外道が金で売った結果だ。マジムカつく、無事に帰れたらぶち殺す。
「それと、お前には礼を言っとく。娘を助けてくれてありがとう。お前は娘の命の恩人だ」
そう考える俺に、何故かオッサンが深々と頭を下げた。同時に場が沈黙する。その場の全ての視線が俺に注がれた。
「命の恩人って」
その意味が分からず俺は言った。
しかしオッサンは堂々たる態度。煙草を口にくわえ、傍らの男が差し出すライターで火を点ける。
「そうだ恩人だ。白城マリアの」
その表情が綻ぶ。口元を緩ませ目尻が落ちてる。そいつの顔を思い出してニヤケているらしい。
ネコが大きく欠伸した。右後ろ足を挙げて耳裏をカサカサと掻く。
「………………誰だそれ?」
「誰だって、可愛いマリアちゃんだよ」
「だから誰だって聞いてんだ。マリアなんて奴、俺様が知る訳ねーべよ」
俺は言った。実際意味が分かんねー、マリアって誰だ。自分が知ってるからって、他人が知る訳ない。俺様にとって他人は他人だ。
オッサンのこめかみがピクリとうごめく。戸惑うように身動きを止めた。
「さっきまで一緒にいたじゃろ。言うにこと欠いて、あれほど可愛いマリアちゃんを知らんとは、摩訶不思議な奴じゃな?」
煙草の煙を吐き出し、語気を荒げる。
俺はその煙を右手で払う。
「もしかして、あの醤油女か?」
さっきまで一緒だったとすると、あの女しか思い浮かばない。一応助けたといえば助けた。多分そうだ。
「醤油女だぁ?」
しかしその台詞にオッサンの表情が一変する。
「島木、日本刀持って来い。このガキ斬り伏せる!」
灰皿に煙草を揉み消して、ソファーを立ち上がって吠えた。
「はぁ? 俺様の台詞、どっかおかしいか?」
呼応して俺も身体に力を籠める。
実際こいつ意味が分かんねー。やること大胆、言葉遣いもおかしい、しかも情緒不安定。まるでヤクザだ。
「暴れないで下さいボス」
その状況に堪り兼ねたか、島木が言った。
「黒瀬さん冷静になってくだせぇ。あのお方は、白城マリア様。貴方の学校に転校したお方ですよ」
そして俺に向き直り言った。
オッサンはハァハァと息急ききるだけだ。誰もが固唾を飲んで、俺様の返答を待ち構える。流石にこれ以上、こいつらを刺激するのはヤバいかも知れん。
仕方なしに俺は考えた。頭にいくつかのキーワードが浮かぶ。先ずはこの島木って男、どっかで見たことある。多分あの時の男だ、黒塗りの高級車を運転してた男。
それにその時に漂ってた匂い、それにも覚えがある。さっきコンビニに漂ってた匂いと一緒だ。
そう思うとマリアって名前も聞き覚えがある。太助達が言ってた転校生の名前だ。
「成る程な。あの女、ウチの転校生なのか」
俺は理解した。あの醤油女がウチのガッコーに転校してきた女、つまりオッサン達が言ってるマリア。俺はそれを助けたってことだ。