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迷いこんだ天使



「……シュウ、おいシュウ、いつまで寝てるんだ?」

 そのモーリーの声で飛び起きた。寝ぼけまなこで辺りを窺う。整然と置かれた商品の陳列棚、白く映える室内灯、暗黒に浮かぶ外の景色。全てがいつもの光景、いつものバイト先の表情。全ては幻だったようだ、眠気から出現した夢の世界。


 ごしごしと瞼を擦って、現実と向き直る。


 壊れたドアの隙間からは、心地よい匂いが流れ込んでいた。夢の続きだろうか黒い小動物の姿が浮かぶ。


「ミャァ」

 幻じゃないネコだ、黒い毛並みの子ネコ。ドアの壊れた隙間から侵入してきた。俺達は茫然自失でその様子を見つめる。


「ダメですよ、リキちゃん」

 続けて入店する白いネコ、はたまた天使か。……いやネコじゃない、天使でもない、単なる人間だ。白いコートを着込んだ俺と同じ年ぐらいの女。背丈は150センチぐらいか、俺よりは低い。


「こんばんは、お邪魔します」

 入り口で一瞬立ち止まり、ペコリとお辞儀した。肩まで伸びる亜麻色の髪が揺れる、ふわりといい匂いが鼻をくすぐる。


 その幻想的とも思える光景に、俺達は「いらっしゃいませ」と棒読みで返す。


「リキちゃん、大丈夫ですか」

 その間に女はコートの裾をはためかせ、奥のコーナーに進んで行った。


「かわいいな」

 しばらく後、モーリーが言った。鼻腔が開いて、口がだらしなく垂れ下がっている。こいつがこんな表情するのは好みの女を見た時だ。


 俺も改めて女を見つめる。まだあどけないが、左右シンメトリーの整った顔立ち。まあるい瞳と、柔らかそうな唇。俺がネコと間違ったのも仕方ないだろう。

 確かに世間一般的にいって良い女だ、奴が食いつくのも納得出来る。だけどこんな若い女がこんな夜更けに、ひとりで来店するなど普通じゃない。


「さぁリキちゃん、どれがお好きですか?」

 そして次の瞬間、俺は愕然となった。惣菜コーナー辿り着いた女が、突然商品のパッケージを開封し始めたんだ。しかも無造作に片っぱしから。


「この肉じゃがはどうでしょうか。本当ならお作りして差し上げたいんですけど」

 どうやらネコに食わせる気らしい。その屈託ない笑顔、完全に悪気はないようだ。



「先輩、荒らしですって」

 俺は言った。しかしモーリーは動かない。この男、仮想空間ハッタリは得意だが、現実世界リアルはからっきし苦手。怖い男とは眼も合わせない。綺麗な女とは話も出来ない。よくそんなんでコンビニの店員が勤まるもんだ。おそらく、俺様が居なきゃ、ソッコーでクビだろう。現に面倒なことは俺様に全部押し付けてる。


 その間に女は、次々とパッケージを破って床に並べていく。その周りは惣菜で溢れ、まるで宴会開場。これじゃ後片付けが大変だ。ってか、店としてのモラルに関わる。


 俺は仕方なく単身歩み出す。馬鹿な先輩なんか頼れない。いや、最初から頼りにはしてない。俺様からすれば、バイト先であるこの店は大事だ。この店は俺様が守る。



「おめー、お金も払わないでなにしてんだよ?」

 女に歩み寄って言った。

 だが女は少しも気にしない。

「ああ、店員さん、夜中までお疲れ様です」

 はっとしたように俺に向き直り、深々と頭を下げた。つられて俺も頭を下げる。礼には礼、当然だ。


「リキちゃん、どうして食べないんです?」

 女は再びしゃがみこんでネコを見つめる。物悲しそうな表情、それにはネコの方が戸惑うような表情だ。丸い眼をぱちくりさせて女を見つめてる。


 つられて俺も深くため息を吐く。ネコが言葉を話す訳がないが、なんとなく、『食えるかこんなモン』そう言ってる気がした。


「食う訳ねーべよ。ネコが肉じゃがや冷奴なんかさ。ましてやイカゲソなんてな」

 そのネコの本音を補うように言った。

 女が並べるのは、ネコには禁止とされる食い物ばかりだ。玉ねぎに青ネギ、それとイカ。これらは絶対に食わせてダメな食べ物だ。

 俺はネコを飼ってたことがあるから知ってる。実際、お袋にそう注意された経歴がある。『ダメだよシュウくん。ネコちゃんは繊細な生き物なんだよ。シュウくんが好きな食べ物でも、ネコちゃんには毒なんだから。血液が弱っちゃうの。そんなの嫌だよねシュウくん』なんてな。


 そんな俺を、女はきょとんとして見上げてる。透き通るような大きな瞳。混じりっけなしで、下手すりゃ吸い込まれそうな驚異を覚える。


 どうやら俺様、まだ眠気が残ってるらしい。気合いを籠める意味で、自分の頬に平手を入れる。


「もしかしてこいつ、おめーのネコじゃねーのか?」

 流石に違和感は感じてた。食わしていい食材とダメな食材ぐらい、ネコを飼ってる奴なら大体分かる筈。それが理解不能ってことは、ネコを飼った経験がないってことだ。


「そうなんです、実は」

 しゅんとして項垂れる女。小さい身体がますます小さく見える。



 止めろってそんな落胆した表情。まるで俺がいじめたみたいじゃねーか。フーッと息を吐く。空気を変えようと話題を替える。


「こいつ、リキって名前なのか」

「咄嗟に思い付いたんです」

「咄嗟にしてはいいネーミングだ。どっかで拾って来たのか」

「ありがとうございます。そのリキちゃんが、アパートの外でニャーニャー鳴いていたので」

「のらネコってことか」

「世間一般的にいって、そうですね」


 つまりこの女、外でノラネコが鳴いているのに気付いてここまで連れてきたらしい。確かにこいつ、泥で汚れているし右目の上に大きな傷痕がある。飼いネコならここまではならないだろう。


 俺は呆れて息を吐いた。

「金は持ってんだろうな」


 視線をあげる女。こくりと頷く。


「子ネコなら、暖かいミルクで充分だべ。もちろん散らかした商品はお買い上げ頂くけどな」

 言ってドリンクコーナーを指差した。普通ならキャットフードだろうが、さっきの万引き犯に全て奪われた。明日になったらちゃんと手配しなきゃ。



 キラキラした視線を放ち立ち上がる女。


「ありがとうございます」

 一礼してミルクを吟味始める。とはいえ何故か醤油やマヨネーズまで手に取って、まじまじとにらめっこしてる。見てる俺の方がハラハラ状態だ。


 それでも悩みに悩んだ末、ミルクと醤油を両腕で抱きしめてこっちに歩み寄ってくる。


「すみません、これでお願いします」

 そしてニコニコと笑みを浮かべてそれを差し出した。


 とんでもねー女だが金を払えば客だ。俺は黙々と商品にバーコードリーダを通す。もちろんパッケージを破った商品は買い取りだ。モーリーにぶつくさ言われながら俺がパッケージし直した。こういう衛生的なことはモーリーには任せられない。いつだったか、あの女子高生かわいい、と言って、ホットドッグに唾を吐きかけたことがある。もちろんそれは、俺様の手で未遂に終わらせてやった。


 一方の女は財布とにらめっこしてる。


「百円玉は銀色の穴の開いてない方。開いているのが五十円で、小さいのが一円玉……」

 ぶつぶつと呟き、なれない素振りで硬貨を確認する。まるで初めてお金の存在を知った小学生レベルだ。

 それでも俺の興味は別の方にあった。微かに見える財布の中身、ぶ厚いなにかが覗いていた。正常な心理で見つめればそれは札束。だが本気で普通に考えればそのこと事態があり得ない。


 ネコはうまそうにミルクをぴちゃぴちゃ舐めてる。モーリーが気を利かせて暖めたんだ。普段は文句ばかり言うくせに、女の前だと何故か気が利く。


「誰か優しいお方に、飼って頂けたらいいんですけど」

 その様子を見つめてふっと浅い息を吐く女。その台詞から察するにアパートじゃペットは飼えないってことだろう。


 だったらこんな偽善、早いとこ止めとけ、って思う。酷だけど、弱肉強食、それがこの世の摂理。自ら生きる強さがなければ生き残れない。

 もちろんここが修羅界じゃないのは、重々承知してる。だけどそんなの言い訳だ。どんな世界だろうと、それは本質、変わらぬ摂理。それが嫌なら、他人に媚びへつらい、その傘下に下るか、地べたを這いずって死ぬしかない。



 そして沈黙が支配する。店の外からはガタゴトとかすかな音が響いてくる。さっきより少しばかり風が強くなったらしい。ウインドー越しに木々の黒影がなびく姿が見える。



「シュウの家って、確か一戸建てだよな」

 突然モーリーが言った。

「はぁ? 確かに一戸建てだが」

 確かに俺んちは一戸建てだ。まだまだローンが残る木造建築の古い中古物件。何度か車が突っ込んで、所々継ぎはぎだらけ。それでもお袋と親父、それと俺様の三人が住むには問題ない。


「シュウはネコ派か、犬派か?」

「まぁ、ネコっすね」

 犬は俺様のライバル。完全なネコ派だ。

「決まりだな。そのネコの飼い主はシュウ」

 そして大胆にも言い放つ。


 俺は耳の穴をかっぽじった。この外道、ドアの一件を理由にして俺様にネコを押し付ける気だ。そうして己の的確さをアピールして、他人への男らしさを強調する。この場合、この女がターゲットだろう。


 マジさっきまで一弥の追い込みに、恐れおののき、硬直してた奴とは思えない。流石にムカつきを覚えた。誰が主導権を握っているか、少しは教えてやる。


「てめー、マジ調子こいて……」


「本当でしょうか!」

 だがその俺様の台詞を女が遮った。

「ミャァ」

 ネコもなにを血迷ったか俺様の頭の上に飛び上がる。俺はマジンガーZか。


「ほら、ネコもシュウがお気にだってさ」

「素敵です」

「ミャァ」

 その二人と一匹の和やかな会話を訊き、俺は立ち尽くす。


 なんなんだいったい。ここはマジでコンビニなのか? 壊れたドア、貼られたガムテープ、惣菜の散らばった床、辺りに漂うミルクの匂い、頭にネコを乗せた店員、それを和やかに見つめる店員と女。


 知らない客が来たら戸惑うぞ。

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