修羅と桜
午前零時を過ぎた店内は、客の姿もなく静寂に包まれていた。ときおり酔ったサラリーマンや夜遊びしてたヤンキーが来店するぐらいで、退屈そのものだ。
最後まで粘っていたあのメガネも、既に消え去っていた。あいつはあれだけエロ本読み漁って、なにがしたかったんだろう?
……まぁ、考えるだけムダだ。
俺はレジカウンターにうな垂れて、夢見ごこちでいた。視点の合わない視線でウインドーの外を眺める。
元々閑静な住宅街に建てられた店舗だ。通りを行き交う車は少なく、街路樹脇の街灯が力なく灯っているだけ。まさに暗闇の世界、寒さだけが支配する冬の世界。
それに対し店内は暖かい空気に包まれている。睡魔に誘われ、ゆっくりと瞼を閉じた……
俺の見る夢の多くは、過去の記憶だ。つまり志半ばで最後を遂げた修羅界の夢。
このくだらない人間界。殆どの奴は見える世界だけを全てと信じて、前世のことなんて気にもしないだろう。故にその場の空気だけを信じて、あるべき本質を見誤ってる。
本当は誰しもが、人間界っていうちっぽけな器に閉じ込められた咎人なんだ。
たった百年の寿命に縛られて、小さな世界に固執している。
もちろん中には、うっすらと本質を見極めている奴もいる。
そいつは世界の秩序から堕ちてた。この世の摂理に疑問を感じて、自ら闇に居場所を求めた。
そいつは言った。
『希望に満ちた夢ってのは、しょせん夢さ。夢ってのは浅い眠りの時見るもんだろ? 本気の覚悟がない、だから実現しないってことさ。だけど深い眠りの夢は例外だ。それは深層心理で見るもんだからさ。それこそが世界の本質なんだろうな、人間が持つ本気の欲望。だけど笑うよな、深層心理で見る夢は例外なく悪夢なんだからな……』
今になって、つくづく思う、確かにその通りだって。俺は志半ばで人間の姿に堕ちた、だから修羅界の夢なんて、所詮は夢でしかない。手をかざしても掴めない天空の月と同じ。歯痒いだけの悪夢だ____
修羅界は不毛な荒野だ。度重なる戦火で大地は痩せこけ、殆どの緑を焼失していた。
代わって大地を覆い尽くすのは人々の血。修羅界全てを覆い尽くす程の戦士の血が、大地を真っ赤に染めていた。
故に元気なのは、ギャーギャーと死骸をついばむカラスと、もぞもぞ動くうじ虫だけ。
辺りに無造作に捨てられている白い物、それは石ではない。誰にも供養されぬしゃれこうべ。まるで路傍の石のように、自然に身を任せて朽ちていく。
いずれは自分もそうなる運命。それは殆どの修羅が痛感していた。死という観念が間近にあったのだ。
それでも人々は生きていく。オギャアと生まれた瞬間に、命の儚さを感じる赤子がいないように、誰もが生きる為に生まれて来るのだから。
街道沿いには木と藁で造られた粗末な家が建ち並び、小さな村が造られていた。
辺りには作物が植えられて、僅かばかりの緑地を形成している。
「邪魔だてするな!」
怒号が響いた。
馬に乗った巨漢の男が、大きく青竜刀を振り落とす。
それに煽られ数人の人々が後ずさった。
「貴様ら"持たざる者"風情になにが出来る? おとなしく作物を渡すのが賢明だと思わんか」
巨漢は銀色の甲冑に身を包んでいた。その後方には仲間と覚しき男が五人。馬上にあらず、それぞれ武器を手にしている。
「持たざる者、結構。それのなにが悪い。お主ら蛮勇ばかりで、この世界が成り立つと思うか」
その手前に立ちはだかるのは、野良着を着込んだ村人五人。それぞれ鍬や鎌で武装している。
察するに巨漢達は野盗。作物を奪おうと村に襲撃を掛けたようだ。
「そもそもこの地は、"覇王リキ丸様"より拝借された土地。そうと知っての狼藉か?」
村人の真ん中、ひげ面の男が村長らしい。
「リキ丸……」
卑下たように呟き、後方の仲間達を見回す巨漢。
「確かにあれは強い。"大阿修羅王"に、一番近いって言われるのも理解する。この勢いで修羅界を獲っちまう勢いだ」
その名は修羅界においては知らぬ者がいないほど有名だ。大阿修羅"リキ丸"。覇王と呼ばれ、修羅界統一にもっとも近いとされる男だから。
過去何万年と遡っても修羅界の統一を成した者はいない。一騎当千の戦士、戦略に長ける知将、名だたる猛者をもってしても、それを成し遂げることは出来なかった。それを実現させようとする者こそリキ丸だ。
スーッと一陣の風が吹き込んだ。作物の緑をざわざわとうねられて、空に飛翔していく。
「だったら……」
焦れったさを覚えたか、訊ねる村長。
「だが、それだけだ。この世界は広大だぞ。西の大阿修羅"アラタ"、東の大阿修羅"ジン"。それ以外にも多くの大阿修羅が生まれて、挙兵してる。この修羅界の統一など、夢物語なんだ」
どうやら巨漢は引くつもりはないようだ。欲しいものは奪う、それが修羅の本懐だから。
因みに大阿修羅とは名だたる修羅の俗称。それを統一する者が大阿修羅王だ。
ぐっと唇を噛みしめる村長。引くつもり、聞く耳を持つなら、村を襲う訳はない。最初から分かっていたことだ。
「だがダメだ。ここの作物はまだ未成熟だ。収穫には1ヶ月は早い」
辺りに植えられた作物は、結実して日も浅いものばかり。食べられぬ訳ではないが、美味くはないだろう。
「はっ、俺達に、そこまで待てと?」
苦笑混じりに言い放つ巨漢。
「待てる訳がなかろう。待てばその間に、他の強者に奪われる。それを知って、待つ馬鹿がどこにいる」
それにつられて他の仲間達も爆笑する。
「そうはさせん!」
しかしその村長の怒号が、笑い声を吹き飛ばした。
「ここに実る作物は、俺達の未来なんだ。種を宿して、それを貰えるなら、その実はいくらでもくれてやる。種さえあれば、未来を生きる糧となるからな。だがそれさえも認められぬなら、俺達は命など惜しくはない!」
彼らの覚悟は本物だった。修羅として、戦の中に身を投じはしない。だが未来の為なら命も惜しまない。そういう生き様だ。
「所詮俺らは修羅か」
やれやれとばかりに頭を振る巨漢。
「ならば貴様らをぶち殺して、根こそぎ頂こう!」
大きく青竜刀を振り上げた。
「そこまでだ!」
別の声が響いた。
続く街道を一騎の黒馬が駆けてくる。
「あれはシュウ様」
村長がいった。馬の鞍上には漆黒の甲冑を着込んだ若武者の姿。
「シュウ?」
怪訝そうに視線を向ける巨漢。
その間に若武者、"シュウ"の駆る馬は、すぐ側まで来ていた。
「なるほど、リキ丸のところの兵隊か」
口元に笑みを浮かべる巨漢。
「名前なんてどうでもいい」
すかさず答えるシュウ。腰に差した刀を引き出す。
呼応して青竜刀を手間にかざす巨漢。
「よく覚えて置きな。俺の名は……」
刹那、シュウの繰り出す刀身が、その腹部を貫いた。
「な、に……」
その一瞬の出来事に、ワナワナ震える巨漢。やがて意識が吹き飛び、地面に転げ落ちた。
「言った筈だ。名前などどうでもいいと」
シュウの顔は返り血を浴びて真っ赤に染まっていた。それを覚めたように左腕で拭う。
「シュウ!」
そこにもう一騎、馬に乗った武者が走り込んでくる。
戸惑う野盗の間を軽やかに走り抜けると、野盗が手にする武器を峰打ちで叩き落としていく。
「遅いぞイチ」
視線も向けずに言い放つシュウ。
「お主が早すぎるのだ」
イチと呼ばれた凛々しい武者が答えた。
既に勝敗は決していた。野盗達はあたふたと逃げ出そうとする。
「このデブも連れてけ。置いてかれたら迷惑だ」
そのシュウの一言で、巨漢を担いで逃げ去っていった。
こうして場は平穏を取り戻した。
「助かりました。シュウ様、イチ様」
村長始め、村人達が頭を下げる。
「いや、助かってるのは我々の方だ」
イチが言った。
「貴殿方が作物を育ててくれねば、我々は生きてはいけない。その為に戦うのは、当然のことさ」
戦いに明け暮れ、幾多の名声を得ようとも、所詮単なる修羅だ。
空腹では勝てる戦も勝てはしない。その点で言えば、一番の功労者は、作物を育てる農民だ。
その理は理解していた。
陽は西に傾き、空は夕焼けで真っ赤に染まっていた。
その空の下をシュウとイチの駆る馬が、並んで歩いていた。
「さっきの奴らって、国境沿いを根城にしてる奴らだったな」
シュウが言った。
「らしいな。あそこリキ丸様に敗れてから、無法地帯と化してるからな」
「あれだけ痛め付けたのに、性懲りもない奴らだ。さっさとリキ丸に恭順すればいいものを」
彼らは覇王リキ丸の正規軍軍勢だった。彼らの勢いは烈火の如く。一気に進撃し、修羅界全土を飲み込んでいった。
「まぁ、それが一番なんだがな」
苦笑するイチ。それは理解してるが、そうは行かない。儘ならぬ思いが垣間見える。
修羅界統一、口で言うのは簡単だが、それは一筋縄ではいかぬ所業だった。
次から次に起こる争乱、連日連夜の死闘。修羅界は広大な世界だ、未開の土地には未だ幾多の蛮族が潜んでいた。リキ丸の軍勢が、撃破した輩の遺恨の火種もくすぶったまま。
誰もが長く続く戦乱の世に、飽き飽きしていたのも事実。戦えど戦えど先は見えず、捻じ伏せようと叩き潰そうと、新たなる敵が出現する。まるで出口の見えない迷路、虚ろなる幻想、浅い夢でも見ている心境だった。
「時の大樹への謁見、進んでるんだろ?」
イチが言った。
「ああ。うまく行ってる」
シュウが頷く。
六界の慣わしとして、各界の王は時の大樹に謁見する。リキ丸もそれに習い、修羅界の王として謁見を果たしていた。つまりそれは修羅界の王として、他の世界の承認を得たも同然。
「これで全てがうまく行けばいいんだが」
「行かすさ。刃向かう輩は力でねじ伏せればいい。文句を言う奴は全部逆賊だ、尽く捻り潰せばいい。元々修羅は戦いこそが全て。目指すは修羅界の統一。それを成してこそが、大阿修羅王。俺達が、その称号を奪わずなんとなる」
「おいおい、エラク大それた台詞だな」
苦笑するイチ。
「もっともそれが、お前らしい言い種だが」
二人は、大きな樹木の下まで歩んでいた。
樹木は立ち枯れて、一枚の葉もない状態。
それに歩み寄るシュウ。右手で太い幹を撫でる。
「この桜。来年も咲かないよな」
骨組みと化した枝を見上げ、しみじみと呟く。
「寿命なんだろうな。……昔はここでよく花見をしたな」
同じくしみじみ伝えるイチ。
この場所は、彼らがよく花見をした場所。その頃は空まで埋め尽くす程の大輪の花が、鮮やかに咲いていた。
「桜の花ってのは、俺達修羅に似てないか?」
「そうだな。似てるかもな」
つくづく思う。桜というのは、修羅の生き方に似ていると。ある日一斉に咲いて、命の限りを尽くして咲き誇る。
そして全ての花弁を振り撒いて、潔く一斉に散っていく。
まさに修羅の生き様に相応しい。
感じろ修羅の宿命。想像しろ、延々と続く屍の大地、真っ赤に染まった血の荒野。まるで舞い散る桜の花弁。その直中で酒を煽って宴を開く。それこそが修羅。
「リキ丸が大阿修羅王になった曉には、皆で酒でも酌み交わそうか」
「もちろんだ。あの頃みたいに盛大にな」
彼らはその宿命のもと突き進んだ。同じ戦場に戦い、志ひとつに歩む同士。死ぬ時は同じだと固く誓った仲間だから。
信じていた。必ず修羅界を統一できると。誓った、必ずリキ丸を最強の大阿修羅王にすると。
その時までは__
設定として、シュウが寝たり、意識を失うと、書き方を変えてます。
普段は一人称だけど、三人称に切り替わる。
所詮夢なんで、俯瞰になります。