甦った記憶
気が付いたら病院のベッドで寝ていた。
俺は生きていた。何故だか分からないが、刺された時の痛みも、嘘のように引いていた。カレンダーから察するに三日程寝てたらしい。
起き上がった俺を見て、親父は顔をくしゃくしゃにして泣く。『これは神様のおこした奇跡だ』
『シュウくんは、運がいいんだね』お袋は涙を溜めて、そう言って笑う。俺が生きてた訳は、犯人のナイフがなにかの弾みで逸れたから。だから運よく軽症ですんだ……
ふざけんなって思った。俺が軽症って、そんな馬鹿な話がある訳ねーだろ。あのとき俺は、本気で死んだって、思ったんだ。周りの奴らだってそう思った筈だ。
だってあの痛みは間違いなく本物。耳鳴りがして、死後の世界さえ見えた。
その光景は、今でも脳裏に焼き付いている。まるで映画でも観るように鮮明なビジョンだったから。
そこは血と硝煙の臭いが支配する不毛の大地。そこを死者の亡骸が延々と埋め尽くしている。流れ出す血はひとつに纏まり、赤い川を形成している。風は皆無だ、激しい臭気が鼻を衝く。元気なのは、それを食らうウジ虫とカラスだけ。がさがさと耳障りな響きで蠢いていた。
その真っただ中に、男がひとり、倒れていたんだ。禍々しい甲冑に身を包む黒髪の男。激しい死闘を物語るように、瀕死の状況に喘いでいた。指先さえ動かない、息をするのも億劫なようだ。それでもその狂気の眼光だけは健在、凄まじい覇気が辺りを覆ってた。
そしてそれを別の男が見下ろしていたんだ。白い衣服に、長い銀髪の端正な顔つきの男。ただ黙って、死にかけの男を見下ろしていた。ムカつくほど冷静で、口元に卑下た笑みを浮かべてた。
そこにあるのは絶対的な違いだった。動と静、光と闇、生と死、その全ての対比が、そこにはあった。
何故だろう、冷静に考えると、どこかで見た光景だ。よくよく考えれば、死にかけの男は俺だ。凛々しくて、男気に満ちてて、どう見ても俺だ。
そう思うと、それを見つめる男にも覚えがある……
「ルカーー!」
俺は吠えた。親父とお袋が、愕然と視線を向けてるが、この際関係なかった。
脳内に全ての記憶が甦った、生まれる前の遠い記憶、遥か前世の記憶。覚えていた、この男との間にある、前世からの熾烈な宿命を____
銀髪の名はルカーディア、通称ルカ。天界西の支配者の息子で"愛を司る神"。
そして俺の人生を監視する存在でもある。つまり俺はルカに監視されて生きているんだ。死ぬ程のトラブルに巻き込まれ、それでも死ぬことさえ出来ない運命の元に。
その理由は俺の前世にある。天界・人間界・修羅界・精霊界・魔界・冥界。その六つで六界になる。この世界の住人は、輪廻転生の下に生まれ変わりながら巡っている。六界のどこかにある、時の大樹、ってのがそれに関わってるんだ。肉体から魂を引き抜き、次の肉体にそれを宿す。
イメージでいえばその根っこが冥界、幹のとこに人間界や修羅界があって、てっぺんの場所に天界がある。人間界じゃ、世界樹、と呼ばれている。
魂は消滅しない、肉体が消滅しても魂だけはリサイクルされる。今は人間の姿でも、死んだら犬畜生かもしれない。罪を犯せば冥界かも知れない。それが輪廻転生。
俺の前世は修羅だった。修羅っても三面六臂のあれとは違う。闘いの中に生きる鬼神の意味。相手の血を求め、本能の下に戦い続ける。迷いは敗北を意味し、退くことは死を意味する。それが修羅だ。
その頃の俺は、多くの仲間と共に、修羅界の覇権を賭けて死闘を繰り広げていた。その勢いは烈火の如く、最強にして最悪の軍団だったんだ。
だがそんな俺も最後の時を迎える。天界西の精鋭部隊に討伐されたんだ。それを仕切っていたのがルカだ。
『喜べシュウ、貴様の首を討ち取りに出向いてやった』右手で銀髪を掻きあげて、ルカが浮かべた薄笑い。
思い出すだけで今でもムカつく。自分の手を汚すことなく、配下に討伐を命令したんだ。
普段の俺ならば、負ける筈などなかっただろう。だけどその頃の俺は、少しばかり混乱状態にあった。逆賊との激戦の最中だったんだ。その隙を突かれて無惨にも惨殺されたんだ。
とはいえそれを言い訳にする気はない。己が不利な状態にあろうと、相手が姑息な手段を用いようと、必ず勝利するのが大阿修羅。残念ながら、当時の俺にその力量がなかっただけだ。敗者の言い訳なんか無様なだけだ。……まさかルカがあんな姑息な手段を用いるとは思いもしなかったし……
俺とルカは腐れ縁の関係にあった。親同士も知り合いで、ガキの頃からの関係だった。
ルカはその頃から嫌なガキだったさ。自意識過剰で自己チュウな性格。プライドばかりが高くて、何事も一番じゃなきゃ気がすまない。そのルックスに自惚れて、異界の女まで口説くような女好き。女神だろうと、魔女だろうと、見境なく手込めにするんだ。
その一方で嫉妬深い性格でもある。好みの人魚姫が、俺に好意を持ってるってだけで、俺を逆恨みする。硬派な俺とは真逆なタイプなんだ。
そんな訳で、俺達はしょっちゅう争っていた。眼が合っただけで言い争いになる。女がどうしたとか、男としての生きざまとか、六界最強は誰だとか、俺はデベソじゃないとか、口論は激しさを増していく。そしてお決まりの激しい喧嘩だ。酷いときは三日間ぶっ通しで殴り合いをしたもんだ。
もちろん俺の方が強かった。確か俺の1000勝999敗。なんせ俺は最強の大阿修羅だから。ルカのようなクソ野郎に負ける筈もない。つまりはルカの野郎、その腹いせで俺を闇討ちにしたんだ。弱い野郎の考えそうなことだ。
こうして修羅としての最後を迎えた俺だが、その後の裁きが最悪だった。
転生する次の世界、それを吟味したのがルカだったんだ。奴は馬鹿デカい椅子にふんぞり返り、堂々と吐き捨てる。
『高貴な血筋の特権だ。貴様の転生する次の世界、直々に吟味してやろうぞ』なんちゅう傲慢な野郎だっての。罪人として身体を拘束されてなきゃ、ぜってー殴ってた。しかも反論しようにも、呪文を唱えられて声が出ない。
普通この世界で死んだ奴は、閻魔王の裁きを受けるもんなんだ。前世での罪状を読み上げられて、次に転生する世界を決める為。
それを特権を持ち出すってなんだよ? そんなんじゃルールもへったくれもねーだろ。
『ということで貴様を裁く。……そうだな修羅な貴様には、人間界がお似合いかも知れん』そしてその台詞で愕然となった。
通例ならば、多くの咎人は冥界、つまり地獄に落とされる。様々な責め苦を受けて、自らの過ちを償う為だ。逆に人間界は気楽な世界だ。のほほんと生まれ落ちて、寿命が来るまでバカンス気分で生きていけばいい。神様の加護の下、平和に暮らせるんだから。
『勘違いするなよシュウ、人間界と言っても、少しばかり異質なんだ。"時の大樹の恩恵"により、試験的に創り出された空間なのだからな』そんな風に思う俺を、ルカの鋭い視線が貫く。
『しかも貴様が背負うのは、特別な種子。幾多のトラブルを惹き付けて、苦痛に喘ぐ修羅場な人生のな。その試練に耐える為にも、身体だけは頑丈にしてやろう。普通なら致命傷でも、数日で治るような身体をな。その代わり痛覚だけは敏感だぞ、まるで神経がむき出しになったような過敏さ。どうせだから頭の中身は石ころにしてやる』やっぱりそれには裏があったんだ。人間界に転生する条件、それはトラブル続きの人生。生きている限り続く、修羅場な人生。幾多の痛みを伴い、苦痛に喘ぐ人生。
『当然あっさりと死ぬなんて真似はさせない。そのトラブルの最中で死にそうになっても、俺がちゃんと治してやる。痛みに悶え、死にそうな少し手前でな。もちろん自殺など言語道断だ。自殺など、この六界において一番最悪なる行為。そんな馬鹿げた行為をしようものなら、時代を遡って、赤ん坊からやり直しだ。つまり永遠のループの中に陥るのさ』ルカは俺を殺すだけじゃ飽き足らず、生まれ変わった後まで監視する気だったんだ。
神様なら、天罰とか試練と称して災難を与えることも可能だ。その災難の全てを、俺の人生に背負わせる気だったんだ。つまりそれは俺からすれば生き地獄。人間の姿で、修羅界か冥界に落とされたも同じ。ホントなんちゅう執念深い野郎なんだ。
『もちろん俺にだって慈悲の心はある。愛を司る神であるからな。貴様が天寿を全うせずとも、その罰から逃れる手立ては用意してやろう。……そうだな、世界で最も最悪な痛みを伴う死、ならば、その罰から放免してやる、貴様に死の烙印を与えてやろうぞ』そしてルカは満面の笑みを見せる。俺をここまで馬鹿にして、さぞご満悦といった具合だ。
それを聞き入り、俺は背筋が凍りついた、息をするのも忘れて喉がからからになった。最悪の痛みを伴う死、ってなんだよ? そもそも、その基準がおかしいだろう。クソでサディストなルカのことだ、そんじょそこらの痛みで済む筈はない。地球が崩壊するとか、六界が炎上でもしない限り、許す筈もない。
だけどそこで俺は名案を思い付く。だったら天寿を全うして、人生大往生するばいいって。それで再び修羅界に転生すればいい。だいたい人間の寿命は八十年から百年ぐらい。人間からすれば永くも感じるが、修羅の寿命からすれば十年ぐらいだ。その間だけガマンしようって。おそらくはそれが、修羅として再び舞い戻るまでの一番の近道だ。
そう考えると、これはこれでラッキーだ。たった百年耐え凌ぐだけで、修羅界に転生できるんだから。冥界に落とされていたら、数百年、下手すれば数千年、次の世界へは転生できなかった。
『……なんだ貴様、その悟りを開いたような馬鹿面は?』その俺の思考を読みといたのか、ルカが言った。確かに奴からすれば馬鹿面かも知れん。一方的な物言いにはムカつくが、そん時はそれでもいいと思った。
暫しの沈黙が続く。全てを見透かすように、覚めたように鋭い視線のルカ。その視線を一身に浴びて、俺は針のむしろにでも座らされた心境だった。……ってか、本当に丸裸でむしろに座らされてたけど……
『貴様、今でも女は嫌いか?』トントンと響き渡る雑音。ルカが眉をしかめて、指先でこめかみを叩いている音だ。
確かに俺は女は嫌いだ。愛は束縛であって、恋は隷縛だ。英雄色を好む、なんて言葉があるが、そういう奴に限って足元をすくわれる。国家転覆の陰には女の存在がある。女を巡っての泥沼の争いなんかまっぴらゴメン。正直、女なんてなにを考えてるか分からない。
『ならばもうひとつ、貴様を許す条件を追加しよう。貴様がたった一人の女にでも、恋すること、愛することを知れば、それを放免してやる』それがルカが告げた最後の台詞だったんだ____
とにかくそんな理由で、俺は罪を背負ってこの世に生まれた。ルカっていう愚かでわがままで、親のすねをかじる馬鹿な神様の嫌がらせで。
あの通り魔事件をきっかけに、俺は仲間を従えつるむことを止めた、統治者の意味を捨てた。喧嘩とかてっぺんとか支配とか、そんなことは修羅場を引きつけるだけだ。
街に巣食う悪党達は、そんな俺を『魔王は死んだ』という。ムカつくけど、それでいいと思った。人間なんか、俺から見たら小動物の一環に過ぎない。そんな存在のてっぺんなんか、なきに等しい。砂上の楼閣にも似た浅き夢。しょせん人間の一生なんて、天上の神々からすれば、一夜の夢にしか過ぎないんだから。
だから家で引き篭もって平穏な一日を過ごそうと考えたこともあった。だけど無理。強盗は多発するし、家に車が突っ込むことも多々あった。
楽に殺してくれる猛者を求めて、喧嘩をふっかけることもあった。だけど無理。俺より強い猛者はほとんど皆無。本当に強い奴は殺しなんかしねーしな。
だから仕方なくひとりひっそりとその辺を散歩してみた。そしたら街のギャングやヤクザとか暴走族と殴り合いになる。街の奴らは、その姿を見て、『魔王の徘徊』と呼ぶ。俺からすれば散歩してるだけなんだ。
結局俺は生きているだけで修羅場ってことだ。