俺の人生
「シュウ、遅刻だぞ」
遅れてバイト先に駆け付けた俺は、そう言われた。
「うっす、途中で西から来た刺客にからまれて」
俺は言った。襲ってきたのは修学旅行で来ていた関西のヤンキーだ。俺様の顔を知らないからって、十人がかりで因縁つけてきた。もちろん全員、返り討ちの刑にしてやった。だいたいおかしいだろ。こんな三学期が始まった頃に修学旅行なんて。しかも奴ら、『太閤殿下の命』とか『小田原攻略』とかほざいていた。ここは横浜だぞ。
そんな俺を、バイト先の先輩モーリーは呆れた表情で見つめてる。
「ちゃんと髪とかせ。頬から血が出てるぞ」
厄介払いするように腕を振る。
確かに自分でもそう思う。壁にかかった鏡に映る俺は、今から接客業する奴には見えない。バリバリと逆立った黒髪、ヤンキー丸出しの目付き、相手を威圧する派手なスカジャン。……いつもの俺様だ。頬の血は相手の返り血だろう。
ってか、なんでてめーにそんなこと言われねばならない。このハッタリ好きのオタク野郎が。
ムカつく気持ちを押し殺し、バイトの制服に腕を通す。
今更だが俺様の名は黒瀬修司、通称シュウ。市内私立高校に通う一年生だ。
そしてここは、俺のバイトするコンビニ。開けた国道から一本隔てた通り沿いにあり、近くには閑静な住宅街が広がってる。都会にしては静かな所だ。
既に辺りは闇に包まれている。店内は生活必需品や嗜好品、趣味を求める者や、退屈を持て余す者でそこそこ活気に溢れている。
「また来てるよあの連中」
呟くモーリー。その言い方は、俺に問題を解決して欲しい口調だ。俺は仕方なしに無言で頷く。モーリーは一応先輩。軽くぶち殺してもいいが、逆らうのはなにかと面倒。
そう思いながら、レジカウンターを抜けて、雑誌コーナーにすすんだ。そこにはヤンキー丸出しの茶髪と、小学生みたいなコゾーかいる。共に着込むのは俺と同じガッコーの制服。茶髪はその上に赤いブルゾンを羽織ってる。
「おう、シュウ。邪魔してるぜ」
「あはは、シュウ、怒られた」
俺の立場も考えず、間抜けなツラで言い放つ。
茶髪のヤンキーは沖田一弥。数ヵ月前まで、駅前の武装チームのリーダーをしていた男だ。俺とも幾度となく喧嘩してきた仲。
一ヶ月前のクリスマスの頃、俺はこいつらにナイフで刺された。刺されて、高架橋から落ちて、トラックに牽かれた。
だけど俺は生きていた、絆創膏一枚の軽症だった。
それをクリスマスの奇跡と勘違いしたこいつは、チームのリーダーを蹴って、俺に仲間入りした。あの怪我を絆創膏で治すなんて流石だ。俺はお前に惚れた。仲間にしてくれ』なんて本気で泣きながら。
こいつが誰より男気があるのは知ってる。だけど泣きながら言うなっての。
もう一人の小学生みたいなコゾーは、斎藤太助。同じクラスのいじめられっ子。とは言えそれは昔の話。あまりにも陰険ないじめをしてたから、俺がいじめっ子を成敗したんだ。
それ以来、俺にまとわりついてる。俺に頬寄せて『だからシュウ好きだ』なんてほざくこともある。
完璧なるお調子者だ。自分のこととなるとイジイジしてるくせに、他人の面倒には調子付く。そのくせ勝てない相手に、正論で押し通す癖もある。いじめられっ子って立場、まるで理解してない。因みにおかっぱ頭の後頭部は、いつもねぐせではねてる。
「おめーらも暇だな。客じゃねーなら、とっとと帰れ」
俺は吐き捨てた。実際迷惑だ。こいつらのせいで、俺はガッコーでホモ呼ばわりされてる。女との噂も面倒だが、野郎との噂も面倒。
だが一弥は気にする素振りはみせない。
「俺は客だ。フェリックスガムを買った」
見向きもせず雑誌に視線を落とすだけ。ムカつくが商品を買った時点で客だ。フェリックスガムって、数十円だが。ここでこいつをしばいたら、他の客が怯える。モーリーにチクられて、バイトがクビになる。この一年で、バイトを数十回替えた俺だ。またトラブルでバイト替えは嫌だ。実家は貧乏って訳じやない。だけど俺の治療費とか、壊した物の弁償代で、なにかと出費する。世知辛い世の中、金が全て。
「おめーは?」
馬鹿なヤンキーは無視して、太助に訊いた。
慌てて視線を向ける太助。
「おいら、友達と待ち合わせしてるんだよね」
テンパった顔して言った。
「待ち合わせだ?」
「隣のクラスの春菜。おいらに相談があるって」
「そんな相談、他でやれ」
「春菜が来たら、肉マンおごって貰うよ」
「……客か」
春菜ってのは、太助の中学時代の知り合いだ。この店にもたまに来るから俺も知ってる、かなりの上客だ。
俺は立ち尽くした。モーリーの命令とはいえ、こいつらを強制排除は出来ない。他にも時間潰しの邪魔な客はいっぱいいる。
まずは一弥の隣にいる二十代後半ぐらいの男。肩まで伸びたパーマがかった黒髪に、黒縁メガネの男。
来店して以来、一貫してエロ本を詠み漁っているんだが、その様子がおかしい。顔をしかめたり、腰を捻ったり、他から見たら完全に変質者だ。通報されたら警察に捕まるのは間違いない。
とはいえ、客として煙草やおにぎり、コーヒーなんかを購入している。もう少しだけ様子を見るとしよう。
次に目障りなのは、俺の直ぐ脇にいる、赤ん坊を背負ったやせ形の主婦。さっきまで店内をキョロキョロと窺っていたんだが、俺様の姿を見つめたまま硬直してる。
なんなんだこのババァ、影響妨害の上に、益々おかしい。俺は声をかけようと口を開く。
「あなた女難の相が出てるわよ」
だがそれを遮り主婦が言った。
「女難の相だぁ?」
「ものすごい危険な災難よ。天女の災い、堕天使の災い、小悪魔の災い、女帝の災い。とにかくものすごくよ」
言ってる意味がわからない。血走った目で、口角に泡を吐き出し、ブルドーザー並みの早口で口走ってる。だいたい俺は女は嫌いだ。そのうえ占いも嫌い。
関わりを避けようと、別の営業妨害に視線を向ける。
「本当どこまで付いて来るんです? 断ってるじゃないですか」
「そんなジャケンにしないでよ、少しでいいんだって一緒にお酒飲もうよ」
それはナンパしてる男、ちゃらけた金髪の野郎だ。嫌がる二十歳ぐらいの女に、しつこく食らい付いてる。
マジうぜー、こういう輩はぶっ飛ばすに限る。……いや、営業妨害だ。俺は、お帰り頂こうと身をもたげる。
その時、ドン、という甲高い音が響いた。
「壁ドン……」
女がぼそっと呟く。呆けたような恍惚の眼差しで、壁に突きつけた腕を見ている。
「あんま、調子のってんじゃねーぞ。やるなら他でやれ」
壁ドンしたのは一弥。左手を壁に突き立て、覚めた視線を飛ばしている。
「あんたは、沖田さん……」
されたのは金髪。ガクガクと震え、目の前の一弥を見いっている。
一弥は武装チームのリーダーしてたぐらいだから、ヤンキーの間じゃ有名人。この金髪もその類いだろう。
こうして金髪は、一弥にペコペコ頭を下げて、店から消え失せていく。ついでにあのメガネも、一弥にヒビったのか、あたふた消えて行った。
「流石はヤンキーのカリスマ。最強の追い込み方だ」
俺は言った。今でこそ壁ドンなんて言って、女共がときめくらしいが、実際はヤンキーがカツアゲする時や、ヤクザが追い込みする時に使っていたテクニックだ。
「シュウ、あれ」
不意に太助が言った。呆然と店の外を指差してる。
「さっきのババァだな」
太助が指差すのは、さっきの挙動不審な主婦。いつの間にか、腹の周りがパンパンに膨らんでいる。
「バナナとかキャットフードとか、いっぱい詰めてたよ」
どうやら太助は、万引きしてるのを目撃していたらしい。
「馬鹿野郎、そういうことは早く言え!」
俺は走り出した。俺様の前で堂々と万引きするなんて、許す訳にはいかねー。
万引き犯だったから挙動不審だったんだ。バレそうになったから、女難がどうだとか言い訳してたんだ。
主婦はバナナを食らいながら、停めてあるスクーターに悠然と乗り込んでいる。得意げな表情、多分手慣れたプロだ。
だが俺様に見つかったのが運のつきだ。この手でその悪行を終わらせてやる。気合いと共に加速する。
「はぎゃ!」
だがなにかに足元をすくわれ、頭から一回転して、入り口ドアに身体ごと突っ込んだ。全身に走る激しい痛み。ガシャーンという破壊音が店内に響き渡った。
「なんだよ今の?」
意味が分からず辺りを見回す。俺の足元には、バナナの皮が無造作に投げ捨てられていた。あの万引き犯が残した証拠品だ。俺はそれで足を滑らせて転んだみたいだ。
その間に万引き犯は、悠然と夜の街に消えて行った。馬鹿野郎、同じ占いすんなら足下のバナナを教えろ。
「あーあ、店がメチャクチャだな」
モーリーが言った。入り口ドアは俺が突っ込んだせいで、ガラスにヒビが入っている。所々砕け落ちて床に散乱していた。
「こりゃー相当な被害だぞ。一応、防犯用の強化ガラスなのに」
「マジっすか」
「弁償だな」
「勘弁して下さいよ。先月だってバイト代、かなり引かれてんすよ」
こうして俺は弁明に励む。一弥と太助の覚めた視線が痛い。
これが俺のいつもの光景。ただ歩くだけで犬が寄ってくる。ただいるだけで馬鹿な奴らが集まってくる。
とはいえこの手のトラブルは、ごく普通のことだ。俺にしたら日常茶飯事。生まれた時から最悪だったんだ。
俺の人生は、生まれた時から最悪だった。
『あなたが生まれたのは、酷い嵐の日でね。あたしは近くに落ちた雷に驚いちゃって、それで産気づいたの。救急車で病院に行って、緊急手術になったのよ。手術も大変だったわ。雷で停電しちゃってね、二日がかりの大出産よ。あなたの首にはヘソの緒が幾重にも絡まっていてね、あなたは外そうともがいていたわ』お袋はそう言って笑う。確かにその後の俺の人生に比べれば笑い話。
とにかく俺は、こうしてこの人間界に生を受けた。
幼稚園年長組の時、親子揃ってのピクニックに行って、修羅場に巻き込まれた。
まーくんのママと園長先生は不倫してたんだ。俺はそんなことも知らず、転がったシュウマイを追いかけて、その間に飛び出した。そしたらまーくんのママに捕まって、首にナイフを突き付けられた。俺は逃げようと暴れた。結果、崖から落ちた。
結局そのあとまーくんは引っ越し、園長先生はクビになった。
別れの時、まーくんのママはお詫びだって、崎陽軒のシュウマイを持ってきた。だけど俺はそれ以来シュウマイが嫌いになった。
小学一年の頃、近所の犬と激闘した。仲間内で有名だったんだ。ヤクザが飼い慣らすドーベルマン。飼い主に似て見境なく吠えてガキを威圧する奴って。
そんなわけで俺は、クラスメートからその討伐を依頼された。コーラ一本で引き受けた俺が馬鹿だった。太陽がそうさせたんだ、とにかく喉が渇いていた。
奴は数十頭の仲間を引き連れていた。数時間に及ぶ激闘の末、俺は勝利した。
だけどそれから犬はライバルになった。噂じゃあのドーベルマン、犬界隈の君主的存在だったらしい。
小学六年の頃、箱根に家族旅行に行って、謎の組織に捕まった。いわゆる国際テロリスト集団。俺は総理大臣の息子と間違われたんだ。普通に考えれば分かる筈だ。俺みたいなくそガキが、エリートの息子の訳ないだろ。
だけど奴ら日本語も分からない外人部隊だった。だから俺の言い訳も信じずに大々的に声明文を報じる。
当然日本政府は黙認、マスコミをもねじ伏せた。テロリストには屈しない、それが政府の謳い文句だから。
それでも俺は逃げ出したんだ。奴らの見張りを気絶させ、狙撃手を半殺しにして、命からがら交番に駆け込んだ。結果その組織は壊滅。俺は難を逃れた。
だけど政府はこの事件を黙認した手前、事件自体を隠蔽する。
そんな訳で、テロリストの間では、今でも俺の手配写真が流れてるらしい。
実際トラブル人生なんだ。自転車に乗ると事故る。遠足は大雨。おみくじは常に大凶。たんすの角に小指をぶつけた事数え切れず。出会った不良は先ずは敵。バナナの皮で数多くこけた。本当に信じられぬ人生。なんで俺って、こうトラブルに巻き込まれるんだ、っていつも疑問だった。
だけどその疑問は、ある事件と共に一気に解消されるんだ。
それは中学二年の頃の話。やけに暑い夏の日の昼下がり。雑踏は幾多の人々で埋め尽くされている。太陽が眩しくて、溶けたアスファルトの臭いが鼻につくのを覚えていた。
俺は仲間達と繁華街の通りを闊歩していた。当時の俺は市内の中学の半数の覇権を手にしていた。幾多の不良が襲ってくる。その都度返り討ち。その結果に過ぎない。ついた渾名は、魔王。統治者の意味だ。
突然、数メートル程先の人だかりから叫び声があがった。俺はその方向に視線を向けた。だけど込み入る人々が邪魔で、様子が見えない。
再び悲鳴が挙がった。頭に響く逼迫した声。ざわめく人々。誰もが予測不能の出来事に混乱し、なにかを叫ぶ。蜘蛛の子を散らすように駆けている。
その時、目の前で小学生ぐらいのガキが転んだんだ。逃げようとしたサラリーマンに押されたようだ。俺はムカつく気持ちを押し殺して、そのガキを引き上げた。その間にも大勢の奴らが押し合うように走ってくる。誰もが自分のことで精一杯だ。
ガキが『お兄ちゃん、ありがとう』って言った。
続けて誰かがなにかを言った。『俺は神だ』そう聞こえた。
俺は振り返った。見知らぬ男が、胸元にぶつかってきた。二十歳ぐらいのやせ形の男。くぼんだ目付きで吐く息が臭い。意味不明な言葉を発し、ふらふらと後退る。微かに寒気を覚えた。遠くの方で耳鳴りがする。
底知れぬ怒りが込み上げ、男の腕を握り締めた。男の表情が青ざめる。俺のことを、見たことない生き物でも見るような表情で見据えている。乾いた熱気が鼻につく。むせるようなアスファルトの臭い。
男が泣き出した。泣きながら俺の胸元に視線を集中させている、ぶつぶつと懺悔の台詞を呟いている。
流石に違和感は感じた。男だけじゃなく、ガキも、そして通りの人々の視線も、俺の胸元に注がれていたから。
ゆっくりと自分の胸元に視線を落とした。白い開襟シャツが赤く染まっていた。とめどなく溢れるそれは、ポタリポタリ滴り、乾いたアスファルトに染み込んでいく。熱気で弾けて、ユラユラと陽炎が昇っていた。
ようやく理解した。これは無差別の通り魔事件。この男は通り魔で、俺はそれにナイフで刺されたんだと。
ドクンドクンと身体中の血が蠢く。脳内麻薬が爆発する。込み上げるのは怒りの感情。
狂気を撒き散らし、男の頬に拳をぶち込んだ。男は唾液を滴らせ、後方に吹き飛ぶ。ゴミ箱をなぎ倒し、地面に倒れ込んでガクガクと痙攣した。
だが俺の怒りは治まらない。男に馬乗りに飛び掛り、その頬に拳をぶち込む。
男の意識がぶり返す。口から真っ赤な血飛沫を吐いた。それでも俺は、躊躇うことなく奴の顔面に拳をぶち込む。返り血で真っ赤に染まり、幾度となく拳を打ち込んだ。
その状況に堪りかね、仲間達が後ろから羽交い絞めする。俺はそれで少しだけ落ち着きを取り戻した。
仲間達は青ざめた様子だ。まるで死人でも見るような悲痛な表情。
……激しい痛みが身体中に走った。視界がおぼろげになった。息をするのも辛くなる。意識が混濁し、全ての感覚が消えた気がした。
そして仲間の腕の中で、がっくりと崩れ落ちた。薄れゆく意識の中、かすかに覚えているのは、ざわめく人々の叫び声と、遠くから鳴り響く救急車のサイレンだけ。
仲間達からすれば、辛い出来事だったろう。だけどそんな奴らの思惑と、俺の思いは違った。
やっと死ねる。このふざけた世界からやっと解放される。そう思った……