吟遊詩人
恐怖は慣れるものだ。どれほど恐ろしい物事のただ中にあっても、同じことがずっと続けば感覚は麻痺していく。凄惨なホラーものだって同じ展開が何度も繰り返されれば、またか、となるから趣向を凝らすのだろう。
「それで、お客さんはいったいどうしてハルバブルグへ? 観光ですか?」
飛竜の背に跨がって空を飛ぶなんて多くの人は恐がるが、実際に乗っていればみんな意外と早く慣れる。
それはメルセデスが大人しいからでもあるし、上空の風や寒さ、気圧を防ぐ結界のおかげで快適なのも関係しているのだろう。早い者なら十分もたたずに恐怖に飽きて、眼下に広がる景色に目を奪われる。
そんな余裕のできてきた頃合いで、話しかけた。これ以上は暇をさせてしまうし。
まあ……実はこれ、メルセデスが全速力を出せば吹き飛んでしまう程度の脆い結界なのだが。それは言わぬが花ということで。
「いえその……実は故郷でして。久しぶりの里帰りになります」
首を巡らせて後方の景色を眺めていた金の髪の少女が振り向いて、よく通る声で返答してくれる。
どうやら落ち着きは取り戻してくれたようだ。
「おや、あちらの生まれの方でしたか」
まいったな、ならパクスの話をしたのは恥ずかしい。あちらの土地の事情は、彼女の方がよほど詳しいだろう。
「実はわたし、詩人でして。歌で稼ぎながら腕を磨く修行の旅をしていたのですが……」
「へえ、まだ若いのにそりゃあすごい」
見たところ彼女は二十歳にもなっていないように見える。
この世界はどうも治安がいい方だとは言えなさそうだし、恐ろしいモンスターまでウヨウヨいる。女性が一人で旅するだけでも危険だろう。なのに、旅費も音楽で稼がなければならないとは。
もしかしたら魔歌の使い手かもしれないな。この世界には歌で魔法のように不思議なことを起こす吟遊詩人がいると聞いたことがある。あまり詳しくはないけれど。
「じゃあそのキタラで弾き語りしながら、いろんなところを渡り歩くわけですか」
ちらりと後ろを振り返って、彼女の荷物を見る。鞍の横にくくりつけられた背嚢ではなく、大事そうに抱えるようにして持っている物。ギターに似た楽器。
「そうです。ですが、最近になって実家から手紙が来まして……」
「手紙?」
簡単に言うが、旅の吟遊詩人なら一つのところに長く留まりはしないだろう。どこに居るのか分からない彼女の足取りを追って探し回って、長い距離を旅してきた手紙にはきっと、かなり重要な事が書かれていたに違いない――
「どうやら兄が結婚するそうで……その結婚式が、明後日らしいんです!」
――思ったよりも軽かった。いや、家族の結婚は重大事か。
まあ親が亡くなったとかの重めのやつでなくてよかった。
「実家とはよくご連絡をとられているのですか?」
「はい。次に立ち寄る最寄りの町が決まったら、手紙を出すんです。返事はそこにって」
うーん、家族仲がよさそうでとてもよろしい。いい子なんだろうね。
「では、お祝いに歌わなければなりませんね」
「はい! 修行の成果を見せるときです!」
各地で旅をしながら修行した音楽で、お兄さんの結婚式を祝う。うん、素晴らしい。少しくらいは料金を負けてあげてもいいくらいだ。
「だから噂の飛竜タクシーさんに乗れて、すごくありがたいんですよ。結婚式、陸路でも海路でもぜんぜん間に合わない日程なので。ダメ元で探してみて良かった!」
「そりゃまあ、明後日なら早馬でも船でも無理でしょうねぇ……って、私たち噂になってます?」
「もちろんです! 世界中のどこへでもひとっ飛びだなんて、他で聞いたことのない移動手段ですよ。わたし、ほとんど作り話だと思ってましたもん!」
飛竜の使役なんて派手なことをやっていれば、噂にもなるか。同業者なんて他に聞かないもんな。
クルル、とメルセデスが少し誇らしげに喉を鳴らす。うん、お前はすごい奴なんだよ。
「あの、ぜひぜひ教えてほしいんですけど、おじさまはどうして飛竜を操れるんですか?」
「んー、友達だから、かな」
その質問は適当にごまかす。たぶん言ったところで詩作の参考にはならないだろうし。
「なるほど種族を越えた友情ですか! それで、召喚術ですか? それとも魔物使い?」
「いや友情なんだけど……うーん、たぶん魔物使いかなぁ。メルセデス以外はスライムも使役できたことないんだけどね」
「なんと、ならばこの子とは運命の出会いをしたのですね! おじさまは魔物使いとして、すごく飛竜と相性がよいのでしょう!」
まあそれでいいか。
「おっと、この先は少し気流が乱れているようです。危ないですので、鞍にしっかり掴まっていてください」
話をそらしたいだけの、ちょっとした嘘。メルセデスが意図を汲み取って軽く背を揺らしてくれると、金の髪の少女は慌てて鞍に掴まった。
うん、本当に賢い相棒だ。あとでパクスをたくさん買ってやらないとな。