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秘湯

「んー、たぶんグリードグリズリー。いや腕先が黒いからブラッククロゥベア? 魔法を操るっていうエンブレムベアかどうかは……うーん、毛皮に紋様があるって聞いたけど、もう分からないな」


 デカい熊は空からの急襲で蹴り飛ばされ、そのまま鷲掴みで上空に運ばれて地面に叩き落とされるという壮絶な絶命を遂げた。今はメルセデスにかぶりつかれている最中だ。

 最初の蹴りで死んでいれば楽に逝けただろうに、魔物の生命力は凄まじいな。


「……あなたのどこが腰抜けなのだ?」


 隣で食事するメルセデスを眺めていたリルケさんの視線が、いつの間にか私の方へ向いていた。まるで私を嘘つきかなにかだと思っているような、呆れた表情だ。


「けしかけるのは無傷で勝てる相手だけです。それに人間と戦う気概はありません。腰抜けでしょう?」

「あなたの感覚は人よりも竜種に近いのだな」


 なんだか妙な感想を持たれてしまった。私、この世界の平均的な基準よりよほど平和主義者だと思うんだけど。


「しかし広々としたいい温泉だな。こんなに大きいのに、今まで見付からなかったのか」

「ハウザ側からだと完全に死角になりますからね。かなり深い場所ですから、ここまでは地元の狩人も来ないでしょうし」

「過去に見つけた者はみな、あの熊の餌食になったかもしれないな」


 うーん、笑えない冗談。

 たしかにあの熊、冒険者でも普通に戦ったら苦戦しそうな大きさだしな。こういう場所なら他にもモンスターはいるだろうし、何かの間違いで普通の人がここまで来てしまったとしたら、生きて帰れる保証はない。かなりない。



「さて、ではさっそく入浴といくか。わたしはあちらの岩陰で服を脱いでくるから、覗かないように」



 ぶっ、と吹きだしてしまった。


「い、いや。メルセデスが肉を食べ終わったら、私は一旦空へ飛ばせていただきますので、それからごゆっくりお入りいただければいいですよ」

「その飛竜が近くいてくれないと、他のモンスターがくるかもしれないではないか。わたしに裸で戦えというのか?」

「あああああ私だけではこの森で生き残れないいいい……」


 頭を抱える。たしかにこんな場所に女性を一人で置いておくなんてできないが、私一人が離れることもできない。

 ダメだ詰んだ。


「フフ。わたしがあの宿に泊まっているから気を遣ってくれているのだな。たしかに肌を晒すのは多少抵抗があるが、ハウザは基本的には混浴なのだろう? 旅先の文化に触れ、身を委ねるのも旅の醍醐味だ。湯浴み着ならあるから問題ないよ。あなたも遠慮せず、入浴の準備するといい」

「あ、ちゃんと湯浴み着は用意してるんですね」


 それはそうか。私と温泉を探してそのまま入るつもりだったのなら、それくらいの用意はするだろう。

 リルケさんが岩陰へ向かう。私はその背を見送って、むぅと眉をひそめた。

 まあ私もあのアニーの宿に行き着くまでは、混浴文化に戸惑いつつも温泉を楽しんでいたころがあった。彼女が良いと言うのであれば、一緒に入るのを断る理由はない。


 私は食事中のメルセデスに声を掛けると、少しだけ止まってもらって鞍の横に付けた荷物を降ろす。

 底の方から以前使っていた湯浴み着を取り出すと、一回だけ周囲を見回してから、手早く服を脱いで着替える。






 私はひょろっとしていて肉が薄い体格をしている。筋肉が薄いので、あまり人に見せて誇らしい身体ではない。

 正直、だから混浴を避けていた面はあった。

 自分の肉体に対するコンプレックス。人に言えば笑われる程度の悩みかもしれないが、やはりムキムキな兵士や冒険者、肉体労働者と比べられるのはちょっとなぁと思う。


 ただまあ。そんなふうに肉体にコンプレックスを持っているのは、私だけではなかった。






 まずは指の背だけをつけてみる。一応試してみたが、特に皮膚に痛みや痒みは感じない。手で掬って臭いを嗅いでみてもクラッとは来ない。

 泉質はハウザの温泉に似ている気がする。素人なので断言はできないが、たぶん大丈夫ではないか。熊も入っていたし。

 意を決して、足先から入っていく。


「ふぅー…………」


 思わず声が出た。温度はアニーの宿の湯より高めだが、それも調整されていない自然湯というのが感じられて良い。秘湯感がとても良い。

 ゆっくり熱さに慣れながら浸かっていく。ああこれは長く入るのは無理だなと悟りながら肩まで。

 これはゆっくり楽しむなら、半身浴などを挟んで休みながら入るのがいいだろう。もしくは緩やかだが流れがありそうなので、下流へ移動すればもう少し冷めるかもしれない。


「もう入っているのだな。湯加減はどうだ?」


 声を掛けられて心臓が跳ねた。

 ……いや、落ち着け。なにも問題はない。いい歳をしてこんなことで恥ずかしがることの方が変だ。なるべく早く心を落ち着かせて、不自然にならないように振り向く。


「少し熱いですが、危険はなさそうです。リルケさんも――」


 言葉が、止まってしまった。

 止めてはいけなかったと思う。


「以前、魔物にやられてな」


 リルケさんの胴部には、首元から腹にかけて広範囲に酷い火傷痕があった。

 黒ずみ焼け爛れ引きつった皮膚は痛々しく、おそらくは生死の境を彷徨ったであろうことは一目で分かった。胸や腰を隠す湯浴み着などでは全然隠せていないそれに、私は絶句する。

 この世界には治癒魔法なんてものもあるが、どうだろう。これほどの深手で、しかも負って時間もたっているとなると、元の肌に戻すのは魔法でも難しいのではないか。


 以前、彼女は冒険者だったと言っていた。怪我を理由に引退したとも。ハウザに来たのは湯治のためで、怪我が治る秘湯探しもそのためかと一応は考えていた。けれどこれは予想していなかった。

 思えば、アニーの宿に泊まっていたのはこの傷が理由か。この火傷痕を、少なくとも異性に見せたくはなかったのだろう。


「この火傷を負って以来、激しく動くと痛みが走るようになってな。戦闘に支障が出るようになり、冒険者としては引退するしかなかった」

「それは……たしかに難しいでしょうね」

「しかし、引退したからといって嫁入りしようにも、この肌ではな」


 ……反応しにくい。


「フフ、そんな顔をするな。冒険者を選んだときから命の覚悟はしていたからな。生きていただけ儲けものだ」

「うーん、死生観」


 この世界の人はすごいな。

 死を覚悟して生きているというか、生きるために死を視野にいれているというか。


「それにこの秘湯はもしかしたら、わたしの古傷を消してくれるかもしれないのだろう?」

「それがあなたの目的だったんですね」

「ああ。だから、あなたに感謝しているよ」


 リルケさんは足先を湯につけて温度を確かめると、ゆっくりと湯に入っていく。私はそれを見つめる。

 ふくらはぎが潜り、太ももが浸かり、腰まで入る。火傷のある腹部が沈んで、そのまま肩まで。

 ――緊張に、ゴクリ、と喉が鳴る。


「これでも年頃の女だ。あまり見られると恥ずかしいのだがな」

「あ……す、すまない!」


 慌てて後ろを向く。思わずガン見してしまっていた。


「フフフ。いや、冗談だ。あなたはこんな肌を見て喜ぶ物好きではないだろう? この温泉でわたしの火傷が治るのか、心配してくれているのは分かっているとも」

「……もしここじゃダメだったら、本命の秘湯に辿り着くまでいくらでも付き合いますよ」

「ああ、ありがたい。だが、その必要はなさそうだ」

「え――」


 振り返る。リルケさんの腹部を見る。

 湯の中にある彼女の肌は、まるで奇跡のように火傷痕が消えていて。


「ああ――まったく。あまり見られると恥ずかしいと、言っただろう?」


 その言葉に私は慌てて、また後ろを向いたのだった。

秘湯探し。ええ、オッサンが自由に空を飛んでやることと言えばこれでしょう。彼は今後、誰も知らない秘湯を探すのが趣味になります。

さて、この作品は不定期更新です。なので新しい話を書きためましたら、また。

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ええハナシや~(TдT)
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