狩りの時間
「おお、すばらしいな! さすが飛竜!」
バサッ、とメルセデスが羽ばたく。私たちを乗せて空へ飛び立つ。
ハウザでは私とメルセデスはかなり認知されている。さすがに町中ではないが、門を出てすぐのところで呼び出しても問題ない。けっこう久しぶりなのに門兵たちが顔を覚えてくれていたのはちょっと嬉しかった。
「上空から探すのは得意ではありますがね、下を見るときはあまり身を乗り出さないようにしてくださいよ!」
ハウザは山脈に囲まれた、まあまあ辺鄙なところにあった。それでも観光地として人気なのは、周辺地域の安定した情勢と安全な陸路の確立、そして素晴らしい泉質のおかげである。
おそらく普通の温泉としても上等だろう。そして、飛竜なんてものがいるこの世界には魔法とかもあるので、なんだかマナとかも関係してさらにすごいらしい。
火山の力を存分に含有したとっても良い温泉が湧く地。それがハウザだ。なんか生命力がどうとかで怪我とか腰痛とか疲労回復に効く。
私は温泉好きだが温泉について詳しいわけではない。なのでふわっとした理解しかしていないのだが、ハウザの温泉に入ると身体の調子が良くなるという実感はあった。今回も身体がバキバキだったからここを選んだのだしな。実際に昨日一回入浴しただけでも、全身の血行が良くなった気がする。
そんな上等な温泉が売りのハウザには今、さらに泉質の良い秘湯が山脈の奥地にあるという噂があるのだそうだ。
「なんでも旅の冒険者がたまたま発見したらしくてな。入るとみるみる内に怪我が治り始めて、出る頃には古傷まで綺麗に消えてしまったらしい」
「そいつはすごい。肩こり腰痛にも効きますか?」
「さて、なにせその冒険者も一回入っただけで、戻ることはできていないらしいからな。だが君は効能だけで温泉の良し悪しを判断するのか?」
「お? それは私への挑戦か? 甘く見てもらったら困るなリルケさん!」
女性はリルケ・エンという名らしい。
近隣の国で冒険者をやっていたが、怪我を機に引退。ハウザには湯治で来たのだそうだ。
そんな彼女だから、怪我が治る湯などと聞いたら気になるだろう。
ちなみに私は怪我はないが、節々が痛むので大変気になる。なんなら特に効能とかどうでもいいから秘湯というだけで気になる。
「私は一年ぶりにハウザに来ましたが、以前は秘湯の話は聞かなかったです。噂は最近のものですよね、信憑性は?」
「その冒険者は元はハウザの客でな、元々は顔に大きな古傷があったそうだ。それが山から戻ったら綺麗に無くなっていたという」
「なるほど面白い」
どうやら嘘ではなさそうだ。俄然その温泉を見つけたくなってきた。
そもそもよく考えれば、この辺りの温泉は火山性だろう。山脈の周辺で他の温泉が湧いていてもおかしくはないのだ。それを空から見つけるなんて楽しそうなこと、どうして今まで気づかなかったのか。
「それで、その冒険者はどの辺りで温泉を見つけたんです?」
「それが帰り道で魔物に襲われて、逃げ惑ううちに道など分からなくなってしまったそうだ」
魔物がいるのか。まあ山脈の奥地だしな。
メルセデスがいれば大抵の魔物は寄って来ることすらないが、やはり私のような腰抜けには少々恐い。しかし秘湯の魅力はそれに勝る。
「残念。では手がかりは奥地ってだけですか」
「そういうことだ。まあ、上空から探せばすぐだろう?」
「たしかに!」
メルセデスの手綱を操り、山脈の奥へ飛翔してもらう。
上空から探せばすぐ、というのは少し甘い見立てだ。上からでも木々に隠れていたりとか、崖や谷の影などは死角になる。それにあまり高度がありすぎると小さなものは見逃してしまうかもしれない。
とはいえ、魔物のうろつく山脈を当てもなく探し回るよりは遙かに効率が良い。
元々、ハウザで数日は休息日を満喫してもいいのではないかと思っていたところだ。見付かるまで付き合うのも悪くない。
なぜか成功報酬だしな。やっぱり酒が入ってるときに商談は控えるべきだった!
「あった!」
早ぁ!
「あそこを見てくれ。けっこう大きい水場があるだろう。温泉っぽくないか?」
「ええ、どこですか? ……おお、たしかに」
まるでそこだけ地盤が陥没したかのような場所だった。実際に陥没したのかもしれない。
山脈のまだ背の高い木々が覆っている辺りに、崖と言うほどではないが、急な傾斜に囲まれた窪地が合った。歩いて探していたら見つけにくいだろうそこに、周囲に木々が生えていない水場があった。
温泉の温度や泉質は植物を育てるにはあまり向かない。周囲に木々が見えない水場は温泉の可能性がある。湯気も出てるみたいだし。
「たしかに温泉っぽいですね。ですが、あれが噂の秘湯な証拠はありますか?」
「なに、入ってみれば分かるだろう」
「嫌いじゃないですけどね、そういうの!」
メルセデスの手綱を操る。その窪地へと向かう。
「ですがそういえば、温泉ってものによっては毒ガスが発生したり、身体が溶けちゃうようなものもあるそうです。その辺りはどう判別するか考えてますか?」
「ほう、物知りだな。あなたは賢者かなにかか?」
「職業柄いろんなところへ行くし、いろんなお客さんを乗せて話すので、広く浅く知識が付いてるだけですよ」
「なるほど。ではその杞憂について答えよう。あの温泉に問題はない。なぜならすでにデカい熊が入浴しているからだ」
私は改めて温泉へと目を向ける。さっき見たときは遠すぎて分からなかったが、たしかになにかいた。
目をこらしているうちに距離が縮まり、それが大きな熊だと分かって、なるほどたしかに心配などなさそうだと納得した。むしろ驚いたのはリルケさんの方だ。
「すぐにあそこを見つけたときも思いましたが、目がいいですね」
「フフン、わたしは弓使いでね。視力には自信があるんだ。――さて、できればゆっくりとあの熊の上空を飛んでくれないか? 上から矢を射かけられる状況ほど容易い狩りはない。すぐに仕留めてみせよう」
「あ、それは必要ないです」
弓を取り出して弦を張ろうとするリルケさんを、私は手を軽く挙げるだけで制止する。
そして。
「よしメルセデス。狩りの時間だ」
ポン、と私は飛竜の首筋を叩いてやった。