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今回のお客さん

「おおー……」


 身体を洗って旅の汚れを落とし、湯に足を入れる。それだけで声が出た。

 開放的な、広い露天風呂だ。ちょうどいい熱さの湯で、まずは腰まで。それから湯を囲む岩の縁に背を預け、ずり落ちるように肩まで浸かる。

 日頃の疲れが溶けていくようだ。手足の力を抜いて、湯から顔だけ出した格好でダラリと大の字になる。


 ハウザの町の温泉は基本的に混浴だが、この宿では男湯と女湯に分かれていた。それが私のお気に入りポイントの一つだ。

 もちろん、女性と一緒にお風呂なんてハレンチでけしからん、なんて真面目ぶったことを言うつもりはまるでない。ただ混浴だと湯浴み着を身につけないといけないし、こんな風にだらけた姿を晒すのもはばかられるから、存分に湯を堪能できないのである。私も最初のうちはいろんな宿の湯を巡ってみたが、結局この宿が一番であるということで落ち着いてしまった。

 温泉は誰に気兼ねすることなく、ゆっくり裸で入るのがいいのだ。


「まあ、女性客にとってもありがたい店なんだろうけど」


 この辺りは開放的な気質だからか、だいたいの女性は湯浴み着があれば平気らしい。だが他の土地からやって来た女性は、男性に肌を見せることに抵抗のあることも多かった。

 そういう人たちにとっては、こういう宿の方が安心できるに違いない。事実としてこの宿は女性客の方が多いようで、男湯よりも女湯の方が広いと看板娘のアニーから聞いたことがある。


「さっきの人も旅人かな」


 廊下でぶつかりそうになった女性を思い出す。

 旅人だったならこの宿を選んで正解だ。けっこうな美人だったから、混浴に行ったら湯浴み着を身につけていても注目の的だっただろう。


「もしそうなら、お客さんになるかもしれないな」


 湯から両腕を出して、頭上でグイーと伸ばす。肩がボキボキ鳴った。

 旅人だったなら、帰るときに飛竜タクシーを利用してくれるかもしれない。アニーが客を紹介してくれると言っていたけれど、もしまた会ったら自分からも営業をかけておこうかな。


「まあでも、しばらくは温泉だなー」


 この際、数日仕事を休んでここに滞在するのもいいかもしれない。私は心地よい湯に浸かりながら、青い青い空を仰ぐ。






「こんばんはおじさん、おじさんを紹介してほしいってお客さんを連れて来ましたよ」


 温泉と美味しい食事を堪能して、窓辺で夜風を感じながらハウザの懐かしい味のする酒を軽く入れて、そろそろ寝るかというところでノックがあった。

 この宿の看板娘のアニーだ。どうやら早速お客さんを連れて来てくれたらしい。

 ……ありがたいが、もう数日ここの温泉を楽しみたかったな。数日後の予約とかだったらいいんだが。まあ行った先にハウザ行きを希望する客がいるかもしれないし、いいか。


「はいどうぞ、入ってもらっていいよ」

「失礼しますね」


 以前はこちらが返事をする前に部屋へ突撃してきていたけれど、成長したものだ。


「おや、噂の飛竜タクシーの主とは、あなただったか」


 扉を開けたアニーの向こうには見覚えのある顔がいて、目が合うとニコリと微笑まれる。

 なんとなくこの人かもと思っていたが、まさか的中するとは。……まあ他にここに泊まってる人で印象に残ってる顔がいないだけだけど。


「先ほどはどうも。仕事の話なのにお酒が入っているのは申し訳ない」

「いやいや、夜分に急に訪れたのはこちらの方だ。明日記憶に残っていないほど酔っているのなら、朝に改めて訪問させてもらうが」

「ハハハ、そこまでは飲んでいないから大丈夫ですよ」


 私は飲みかけのお酒を置いて立ち上がり、今回のお客さんを迎える。

 廊下でぶつかりかけた女性だ。思わず見とれてしまいそうな金髪が印象深い、礼儀正しくて落ち着いた美人。


「あらお二人とも、もうお知り合いだったのですね」

「廊下ですれ違ったとき、少し会話した程度だけれどね」


 アニーの言葉に訂正する。知り合いと言っても名前すら知らない間柄だ。


「それで、お客さんはいったいどこまで?」


 普通、商談と言えば椅子に座って落ち着いてからするものだろう。けれどタクシーに必要な情報は行き先だけで、お客さんに値段を伝えて納得してくれれば商談は成立する。そんなふうに最速で終わるのなら、わざわざ座ってもらうのも申し訳ない。

 もちろん飛竜が安全かどうかとか、いったいどれくらいの時間で着くのかとか、詳細な説明が欲しいというお客さんはいて、そういう雰囲気を感じたら椅子を勧めるのだが……。


「それなのだが、実は目的地は決まっていないというか……どこにあるか分かっていない。この辺りの近場にはあるらしいのだが」


 おや。これは椅子を勧めるパターンだけれど、珍しい内容だな。


「詳しくお話を伺いましょう。どうぞ、おかけになって下さい。ああ、アニーはお茶を二杯お願いできるかな?」

「はい、もちろん。ではご用意させていただきますね」


 私が注文すると、アニーがパタパタと部屋から退出する。

 懐かしいな。この宿に滞在していた頃の、いつもの流れだ。


「さて、どうやらこの近くで探し物があるようですが、もしかして空からの目をご所望ですか?」

「その通りだ。話が早くて助かる」

「では先にお話させていただくと、そういった依頼は内容によってお請けできない場合があります」

「ほう? いったいどんなときだ?」


 勧めた椅子に女性が座って、私もその対面に座り、まずは業務説明。この辺りはしっかりしないと。


「以前、戦場の上空に行かされそうになりましてね。ご依頼者は敵情の偵察をしたいようでしたが、こちらとしてはそんな危ないところへ行って矢を浴びるのも、相手の国に恨みを買うのも嫌ですからお断りしました」

「ああ……なるほどな。空から俯瞰できるなんて戦争では凄まじい強みだ。というか、馬より移動速度があるだけで伝令として重宝するだろう。なぜあなたは民間人を乗せて運ぶお仕事を?」

「よくぞ聞いてくれました。戦いとかサッパリできない腰抜けだからです」


 少し酒が入っているからか、調子が軽くなってしまっているな。まあ私が腰抜けなのは事実だ。


「フフ、ただの弱者は自信満々に自分を弱いとは言わないよ。それに、腰抜けに飛竜を御せるはずもない」

「おっと、過大評価ありがとうございます。では今の仕事が合っているってことにしておきましょう」


 おきましょうもなにもその通りでしかないが。

 少なくとも戦争に関わるより向いているし、メルセデスだってわざわざ人間の戦いに駆り出されたくはないだろう。


「あなたの懸念は理解したよ。だが安心してほしい。わたしの目的は戦争だのなんだのといったものとは関係ないよ。むしろ、あなたが興味をもって前向きに協力してくれるような用件ではないかと思っている」


 ほう、私のことなどなにも知らないだろうに私が喜んで協力するなどとタカをくくってるとは、そちらこそやけに自信満々だな。

 もしかして自分が美人だから優しくしてくれるとでも思ってるのだろうか。だがこれでも私は、相手が美人だからって料金を勉強したりしたことはない。地上のことには関与しない、お客さんには平等にが私のモットーだ。

 さてさていったいどんな案件なだろうか。面倒で時間がかかりそうなものだったなら、容赦なく割増料金をもらわなければならないが。



「あなたは、ハウザの近辺にある秘湯の噂を知っているか?」

「詳しくお聞かせいただけますか?」

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手のひらくるくる〜じゃないですか〜!
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