9話 深き影の跡
ドゥナダスを襲った魔獣を協力して倒したヒカリたちは傭兵ギルド等への報告を済ませて、ヒカリの傭兵登録は状況が大体落ち着くであろう明日まで持ち越すこととなった。
魔獣を討伐した分の報酬も後日となり、今日はもうギルドで仕事を受けられる状況でもなくなったことで、彼女らは昼過ぎからナツィラで時間を潰すことにしたのだった。
「まさか街に着いてからたった2日でこんな騒ぎになるとは思ってなかったわ……トリィもお疲れさま。そっちも戦ったんだったかしら?」
「まあね、一応倒しはしたけどさ。今はとりあえずヒカリちゃんの大健闘をお祝いしないとね」
「イズナも、改めて大丈夫だった?」
「は、はい……おかげさまでなんとか……ありがとうございました、ヒカリさん」
※
《おつかれ》
《めちゃくちゃおもろかったわあの戦い》
《いやさっきの件でどんだけ死人出てんのよ、流石に笑えんわ、未だに映画気分のやついるのか》
《いちいち突っかかるなー》
《俺は戦いの裏でくっそ湧いてた荒らしを撃ち漏らしもなく全滅させてくれてたノアの活躍も見逃してないぜ》
《ノア:荒らしとかスパムのBANは預言者に作ってもらったAIにやらせてるから気にすんな》
《さらっととんでもないこと言ってね?》
《もうなんでもありなの前提だと思っといたほうがいい》
この世界では性別に関わらず皆16歳で成人となり酒を飲むことも許されるが、ヒカリは自分自身の価値観に則ってアルコールの強いドリンクは控えていた。
女子組で集まって互いに労いあっていたが、少し離れたカウンターに座る2人の男性に目を向けると、彼らはあまり勝利を祝うという気分でないようだった。
「生物の骨じゃあなさそうだな。内部にかなり複雑な理論が組まれた魔力を感じるが……魔石みたいにただ魔術が込められてるってわけでもなさそうだ……だめだな、こいつは俺にゃお手上げだ。もっと専門的な研究者でも連れてこねぇと詳しいことはわからんぞ」
「そうか……」
彼らの話題の中心にあるのは、先ほど魔獣の残骸の中から現れた“傷のない死体”の衣服から見つかった“小さな髑髏”だった。
ヒカリはソレを見つめるアダムの小さな背中から、執念とすら言える怒りや暗い海のように深い哀しみ、さらにはただならぬ領域にある激情すらも強く感じ取れた。
彼女にとってそんなアダムの様子を見てそっとしておくという選択肢は考えられず、互いに心を開けるよう誤魔化しのない直球の気持ちをぶつけてしまおうと彼の隣に移動した。
「ねえ、あなたはそれがなんなのか知ってるみたいだけど、もちろん私たちにも教えてくれるわよね?」
「……君がわざわざ首を突っ込む必要はない」
「水くさいわね。私がいつか世界を救う女と知っての言葉かしら? 今更仲間外れなんて寂しいじゃない」
「いいじゃねぇか、より多くの人間に周知して情報を共有すれば、俺らだけじゃ見えなかったもんを見つけられるかもしんねえぜ?」
「……仕方ないな」
※
《頼もしい》
《器が富士山クラス》
《自己肯定感クソ高いのすき》
《あまりにも陽のオーラが強すぎる》
《これ暗い過去話始まる流れだよな 年齢制限かけた方がいいんじゃないの?》
《ノア:俺年齢とかで人を差別しないタイプだから》
《いやいやいやw》
《各方面から怒られちゃうぞ》
《ノア:この配信の目的からしても隠す意味がないし、親が真っ当に育ててればなにを見聞きしようが悪影響になるわけないだろ》
《草》
《明日には誰かしらお気持ちしそう》
ヒカリの姿を見て言葉を聞いていると、自分のどんな感情や境遇も全てを受け入れて包み込んでくれるという、広大な彼女の心の中を覗き込んでいるような感覚になってくる。
それは寛大さや器の広さなどでは今一つ説明がしきれない、どこか超然とした人間味の薄い雰囲気をアダムは感じていた。
しかしどうにもそれが、部外者から守ろうと分厚い氷に覆われているかのように閉ざされた心を優しく溶かしほぐす暖かみを感じさせるものであり、その心地よさを与えてくれる彼女のことを彼は信じようと思えたようだった。
「……まったく同じものを十年前に見たことがある。その頃俺には両親と妹がいたが、俺たち家族の運命が狂った元凶がこの存在だった……」
「……三人の名前は?」
「父がハイネで母がリリー。妹はライラだ……父は重い病を患っていた母を治す方法を打てる限りの手を打って探していた。傭兵としての仕事を受けながら寝たきりの母や幼い俺と妹の面倒も見て、さらに病の治療法も調べる……父は強い男だったが、いつ倒れてもおかしくない状態だっただろうな……」
「あなたたちを愛していたからできたのよ。それくらい辛いとも思っていなかったでしょうね」
※
《エグいな》
《それはそう》
《たしかに愛がなかったら耐えられんやろな》
《過労とノイローゼ同時にきそうで笑えん…》
アダムは自らの語る言葉から家族と共にいた日々の光景を思い浮かべる。
今彼が傭兵業に携わっている理由の一つである憧れの父、身動きの取れない体でありながらそれでもやれることを尽くしてくれた母、家族のことが大好きで自分にもとても懐いていた可愛い妹。
それは彼にとってもかけがえのない存在であり、彼の人生の全てと言ってもいい宝物だった。
「そしてある日、父が“治療法が見つかるかもしれない”と言い出して奇妙な人間を家に招き始めたんだ」
「奇妙って、どんな?」
「黒装束で全身を覆って隠したり、父から倒した魔獣について執拗なくらい情報を得ようとしていたりと、不気味なところばかりの連中だったよ」
「ふぅん……どうしてお父さんはそんな人たちのことを信用していたんでしょうね。お母さんの病気を治す方法を見つけるには彼らの協力が必要だったのかしら」
「奴らにそう言われて、追い詰められていた父はそれに縋るしかなかったんだろう。手を尽くして探し続けてもどうしようもなかった母の病を治す最後の希望だったのかもしれないんだからな……」
思い返しても当時父であるハイネの様子はどう見ても憔悴していた。
それでも家族の前では弱っているところを見せないようなんとか踏ん張っていたのだろうが、大人になった今の彼にとっては簡単に察せてしまえるほどの変化だった。
「疑う心を知らなかった子供の俺はこれで母の体は良くなるのだと信じていた。だが、奴らは……母の病を必ず治してみせるなどと嘯いておきながら、初めからそんなつもりは少しもなかったんだ……!」
「それは、一体なにが……」
「きっかけは父がしばらく家を留守にしなければならないと言い出したことだった。少し遠出しなければ手に入らないものが薬の材料になるんだと言って、家のことは友人に任せて、父は俺たちの引き留めも聞かずに飛び出していった」
*
「……おとうさん、まだかえってこないね」
「どこにいっちゃったんだろ……」
そこは街の中にあるごく普通の民家の寝室。
備え付けられた寝具のそばにアダムとライラが座って表情を沈ませており、横になっている顔色の優れない女性が力なく微笑んで二人の頭を撫でる。
「あの人はきっと戻ってきますよ。とても強く勇敢な方ですから……二人はそんな彼のような傭兵になりたいのでしたね」
「うん!おとうさんみたいなつよくてかっこいいようへいになって、ぜんぶのまじゅうをたおすんだ!」
「わたしはたくさんひとをたすけて、せかいじゅうのみんなをしあわせにしたいの」
「ふふっ……二人とも、とてもいい夢ですね。なら、そのために頑張ってる二人は、お父さんが帰ってくるまで寂しくても我慢できますね?」
「もちろん!ぼくはへーきだよ!」
「うん、わたしも……おかあさんがいるから」
屈託のない笑顔を向けてくる二人の我が子に応えながら、リリーは胸中に渦巻く不安を表に出さないよう努めていた。
そんな時彼女は昨日の朝方、ハイネが家を出る前黒装束の者たちに渡された物の存在を思い出した。
それは治癒魔術を応用して作られた万能薬の試作品のようなものらしく、彼らはリリーに一晩明けた頃に飲むよう言いつけてハイネと共に出て行ったのだった。
「二人ともー、晩ご飯できたよー。リリーの分と合わせてこっちの部屋に持ってきちゃおっか?」
「ううん、大丈夫。二人ともちゃんと食卓についてきなさい……カーナ、食事の用意までしてもらって本当にありがとう」
「いいんだって、今日からしばらく休業で暇になるとこだったし」
寝室の扉を開けて声を掛けてきた女性はハイネの友人であり傭兵としての同僚でもある人物だった。
アダムとライラが食事のために部屋を出ようと歩き出すのと同時に、リリーは懐の袋の中に保管していた万能薬を取り出す。
彼女のいつも閉じられている瞼の中には光を映さない瞳しかないため、それが髑髏の形をしていることを知りもせずにその薬を飲み下してしまった。
そして、変化は数秒後に現れた。
「……ぅ? あ、ぁ……!?』
胸を押さえて苦しげな声を出し、服の内側の肉体が沸き立つように蠢き肌の色が変わっていく彼女の様子は、静かだが目に映れば明らかな異常が起こっているのだと確信できるほど異様な変容だった。
しかし子供たちは食事に気を取られ部屋から出るところで背後の光景に気づいておらず、その変化に気が付いたのは外から部屋を覗き込む形になっているカーナ1人だった。
「リリー……? どうした、の……」
『––ゥ–––ガ––––!』
「ッ!? 危ない!!」
「わっ!?」
肉が裂け骨が砕ける音を鳴らしながら、まるで人の皮を蛹とするかのように目の前の人間の気配がまったく別のものに変わっていく。
ソレが動き出す直前に発した肌に刺さるような殺気が自分たちの方へ向けられたのを察知し、カーナは咄嗟に近くに来ていた子供たちを瞬時に遠ざけるため、放り投げるように背後へと移動させた。
『––––––!』
「がッ……!? あ、ぐ……ッ!!」
それから異変に対処しようとソレがいる部屋へ向き直ったのだが、次の瞬間彼女の腹部を太く鋭い6本の爪らしきものが貫いた。
前傾姿勢で飛び込むように腕を突き出しているソレが顔を上げると、それは何種類もの獣を混ぜ合わせたように歪な頭の生物だった。
カーナは激痛に耐えながら反撃をしようと腰にある剣を取ろうとするが、ソレの顔から覗く友人と全く同じ瞳と目を合わせてしまったことでその手が止まってしまう。
その隙に付け入るように、ソレの背中から数本の鉤爪の生えた触手が伸びてカーナの背中を突き刺した。
「ぎ……がはッ!! う、アぁぁぁぁぁッ!!」
彼女は背後で声も出せずに呆然とこちらを見る子供たちを守るため、血を吐き出しながらも両手に剣を持ちソレの腹と首元に刃を突き立てた。
『–––––––––!!』
そうして致命傷を負ったソレは爪や触手が溶けるように消え去り、少しづつ元の人間の姿に戻りながら体の力が抜けたように崩れ落ちていった。
「リ……ご、めん……ね」
既に生気のないリリーの体を支えて身体中の傷から血を流すカーナは、この場で何が起きたのかわからないまま、ただ自らの手で友人の命を奪ってしまったという絶望の中涙を流しながら、ゆっくりとその瞼を閉じていった。
「お、おかあ、さん……? カーナ……?」
そんな光景を目の前で見ていた子供たちは混乱の極致とも言える精神状態だった。
しかし親譲りの賢さ故か結果として己の母親と友達が殺し合い、そして今両者共に息を引き取ってしまったのだと理解できてしまったために、その心にどれほどの時が過ぎようとも決して消えない傷が刻まれてしまったのだった。
「むー!? んー!」
「へ……?」
そして何か行動をすることもできずただその場にへたり込んでいたアダムだが、後ろから突然聞こえてくるくぐもった声に驚いて振り向いた。
するとそこには妹の体を抱え込んで口を押さえた、見覚えのある黒装束の人間が家から立ち去ろうとしているところだった。
「ら、ライラ!? ライラぁ!!」
*
「俺はライラを拉致した黒装束を追って街の中を走り回ったが、何もできないまま……結局父は何年経っても帰ってこなかった。俺はその日、なにより大切な家族をみんな奪われたんだ……」
「ひどいわね……」
※
《まじか…》
《きっついな》
《その助けてくれた人偉大だな》
《カーナさんも意味わからんまま子供を守ろうとやらなきゃいけなかったの辛いな…》
《父親も妹もそれからずっと行方不明なのか 十年間苦しかっただろうな》
《リリーが化け物になった原因ってまさか…》
静かにアダムの話を聞いていたヒカリは、一連の情報を呑み込んでも上手く言葉が出てこなかった。
軽率なセリフや形だけの気休めを口にすることが憚られたのもそうだが、今の彼にとって下手な慰めが傷口に塩を塗る行為にしかならないと察したからでもあった。
そしてそんな悲劇が起きる原因となった物こそ、正体のわからない人間から渡された未知の薬だということは、少し考えれば彼女にも見当が付いた。
「じゃあやっぱり、このドクロは……」
「ああ、間違いない。これはあの黒装束の奴らが作り出した……”人間を魔獣に変えてしまう薬”だ……!」