2話 未知なる目覚め
『……ざめ……わが……めい……』
『目覚めよ。我が運命』
「……はっ!」
頭の中に響くどこか懐かしい思いを感じる声に呼応するように目が覚める。
ヒカリが瞼を開くと木の枠組みに布が張られた天井が見え、小さく蹄と車輪が不揃いな地面を進む音が聞こえてきた。
※
《あ、起きた》
《おはよう=)》
《結局マジでカット入らなかったな》
《まさかとは思ったけど本当にライブ映像なのか》
《何年準備してんだこれ、ricが結託しても難しいだろ》
《↑おまえはなんで陸民をそんな強者の溜まり場みたいに語ってんだ?》
「こ、ここは……?」
朧げな意識で周囲を観察すれば、そこはゆっくりと進んでいる馬車の中であると容易に察することができた。
少し視界の端になにか妙なものが映った気がしたが、それは一旦置いておきとにかく今の状況の把握を優先として情報を求めていると、馬車の後部から何者かが入ってきた。
「お、目ぇ覚めてんじゃねぇか。おいアダム! 起きやがったぞ!」
※
《あ、ミサイルさんだ》
《ミサイルさんやったー》
《マジデカいし筋肉すげえ》
《こんなにガタイがよくてなんでミサイル撃ってんだ?》
その人物は髪と瞳が絵に描かれた燃え盛る炎のように赤い男性だった。
その身長は190センチを越えている程だろうか。
肩幅やそれなりに厚い服装の上からでもわかる筋肉量がかなりの威圧感を放っている。
そして、昔の大砲を精巧に再現した彫刻らしきものを耳飾りにしていた。
そんな彼はヒカリが起きているのを確認し馬車の外に呼びかけると、彼に続いて気を失う前彼女を救ったアダムという男が乗り込んできた。
「……顔を見るに体調は悪くなさそうだな。君は3時間ほど眠っていたぞ」
※
《先輩!》
《アダム先輩ちっす》
《やっぱちっさくね?》
《横にいるのがデカすぎるだけだ あまり下手なことを口走るな》
先ほどはヒカリの目に入らなかったが、彼は左耳に翼の生えた頭が大きな剣を抱いている姿の美しい耳飾りを通していた。
「アダムよぉ、新種もそうだが他にも珍しいもんが見れたぜ、カズガラの巨人だよ。滅多に島から出てこねえって話だったが……奴らわざわざ海を越えてきやがったらしい」
「そうか気づかなかったな。なにかしていたのか? まあいい、それよりこっちが重要だ。それで君の拠点は? ここから遠いか? 必要なら送るが」
「……なんて言えばいいかしら」
実のところ彼女自身は今薄々自分が元いた日本とは全く異なる世界に来てしまったのだろうと察し始めていた。
しかしそれを正しい表現で、さらに目の前の人物に信じさせるための伝え方が今一つ思いつかなかった。
「……そういえば、これってなにかしら……?」
そのせいで言葉に詰まっていたヒカリだが、ふとまた目に入ったソレをしっかりと視界に収めてみる。
するとなぜか空中に浮かんでいる大小いくつかの画面のうち最も大きいものに、沢山の人間による書き込みと思われる文章が下から上へ次々と流れていった。
※
《!?》
《気づいた?》
《カメラの存在知らなかったん?》
《というか何で撮ってんのこれ》
《ドローンとかじゃねぇの?》
《ドアップ顔ありがとうございます!》
《だとしたら完全に無音で飛んでるぞ しかも最初の映像見る限り姿勢を安定させながら人体の自然落下と同等の急降下と急制動急反転してるから技術的にオーバーテクノロジーだ》
《↑早口で喋ってそう》
《てかちょくちょく場面転換してるしドローンだとしたら瞬間移動してるくね?》
《複数あるだろ普通》
「む? たしかに正体のわからんものがあるぞ……ロック、おまえ見たことあるか?」
「いや、覚えはねえし今の今までなかったはずだが……いきなり見えるようになったみてぇだな。おめぇの仕業じゃねえのか?」
「わ、私もこんなの知らないわよ!」
その画面をヒカリをはじめとしたその場の三人が認識したことで、接触を受けたという刺激からかそのコメントは数を増し始めた。
アダムやロックと呼ばれた男はその宙に浮く謎の存在を警戒していたが、傍目に観察する限りどうやら攻撃をする意思や機能らしきものはない可能性が高いと判断し、その画面に流れる理解できる文字列に興味を持ち始めた。
※
《撮影方法教えてくれませんか?》
《最新ドローン?》
「え、ドローンって……どこにも飛んでないけど」
※
《嘘乙》
《理由考えてないの草》
「はあ? 考えるもなにも……」
「少し落ち着け。そもそもだが君はソレに書かれている文字と会話しているのか?」
「なんかおもしれぇな! まさか人間が大勢閉じ込められてんのか!?」
※
《NOA:全部本物だって証明してやるよ》
《?》
《↑なんだこいつ》
《どこからどこまで?》
《NOA:全部だよ全部》
ドローン撮影かと言われ周囲を見回すもそれらしきものは見つからず。
バカにされたようなコメントに対して少し腹を立て反論しようとするもアダムに宥められる。
ヒカリも状況をうまく呑みこむことができず苛立ちが溜まり始めた時、そのコメント欄に1人だけハンドルネームのようなものが付属した存在が現れ、他のコメントに押し流されることなく画面に留まり他にはない流暢な人工音声で文字を読み上げていた。
※
《NOA:この配信のチャンネル主だ。とりあえずそこの女子の右手後ろ側、なにもない空間にカメラ飛ばすぞ》
《なんて?》
《いやもっとちゃんと説明しろよ》
「右手の後ろ……?」
ヒカリはその言葉に記される場所に顔を向ける。
すると馬車の中という空間を外と区別するための布意外になにもない場所に、突然パッと実体のない電球のような光源が現れた。
「……!」
「ほう?」
「おおっ?」
アダムたちもその瞬間を見ていたようで、予想より外部に干渉できる存在なのかと少し警戒感を引き上げたようだった。
ヒカリがコメントが流れる画面に目を戻すと電源が付くように新たな画面がそばに現れる。
そこには今もヒカリの右後ろにあるであろうカメラが彼女のコメントを見る様子を後ろから映し出していた。
※
《!?》
《これまじ?》
《カメラもドローンもなかったよな?》
《NOA:そこにある光はカメラを意図的に可視化してるだけで普段は透明だからな》
「……確かにカメラみたいなものはどこにもないわね」
※
《NOA:簡単に言えばこの配信はそっちの世界の技術も利用してるんだよ》
《どういうこと?》
《魔法ってことか?》
《どうやって?そもそもお前は誰だよ》
《NOA:必要以上の情報は明かさん。ただその女子が日本からこの異世界にやってきたこと、その世界はこっち側の漫画や小説にありがちなファンタジー世界であること、その他諸々の状況が真実だと証明する方法はいくらでもある》
「……なにやら妙な事態になってきたようだな」
「だがこれまでより面白くなる予感がするぜ。こういう予測できない混沌こそ人生の妙味だな!」
「あんたは呑気でいいわね……」
NOA……ノアという名を掲げるその何者かは異世界の存在を詳しく認識しており、さらに彼女たちを撮影するこの謎の技術を使って配信をしているらしい張本人のようだった。
ヒカリには聞きたいことが山ほどあるが、どうもノアは他者に有無を言わせるつもりはないらしく、この配信や映し出されている世界や魔法の存在が本物であることを実証することに集中しているようだった。
「あー、もう頭がこんがらがってきたわ……もう少し休ませて……」
「そうしておけ、街に到着するのは三日後の朝だ。夜にしっかり眠れるよう昼寝はほどほどにな」
ヒカリは興味深そうに肩を寄せて画面を覗き込んでくる男2人に対応する気力も湧かず、脳を休ませるために身体を投げ出して横になった。
「それで、おまえが何者かは知らないがこの……配信、というのか?これの主人だと言っていたが」
※
《ノア:これなら分かりやすいか?》
「ああ、ノア。話が長くなるようだから、とりあえず俺の拠点で彼女を保護しよう。その後腰を据えて話をしようじゃないか」
※
《ノア:その方が互いに都合がいいだろうな》
「よし、どうやら他にもこの場を見ている者が大勢いるようだが聞いての通りだ。しばらくは移動だけになる。三日後の朝早くに俺たちが拠点としている街に到着するから、本題はそれからだ……少しの間身体と頭を休めよう」
※
《かしこい》
《了解です》
《アダム先輩まじかっけー》
《先輩コミュ力おばけかよ》
《すげえ 今一番混乱してるはずの立場なのに姿も見えない正体不明の存在を相手に場を仕切ってやがる》
《じゃあ朝早くに目覚ましセットして今日はここまでかな》
《俺は見続けるぜ 異世界って話がマジならこんなに歴史的な瞬間を1秒も見逃せないだろ》
《おまえら本気で信じてんの?ちょっと手の込んだフェイク映像だって近いうちバレるだろこんなの》
《↑じゃあお前が偽物だって証明しろよw ワイは面白そうやから定期的に見物させてもらうわ》
《ノア:この配信は基本的に中断することはない。例外がない限り24時間この世界の光景を記録し続けてるからな。一応言っとくとその娘の寝顔は映さねえぞ》
《そんなー》
《ちょっと期待した漏れの純情を返せ》
《※コメントは削除されました》
《ノア:テメェは出禁だクソ野郎》
《草》
《いや草》
《悪いけど草》
《そういえばチャンネル主だからBAN権限持ってるわあぶねえ》
《ノア様は最高ですサー!》
《経験則だがこういうタイプは過度に媚び売ってくるやつも嫌いだぞ》
《ノア様は普通ですサー!》
《さては怒らせたいだけだろw》
「……」
「ははは! なかなか愉快なやつらじゃねぇか! 俺サマは気に入ったぜ!」
「少し、忙しくなるかもしれんな……」
彼らはまだ目の前で流れていく文字の洪水の意味を完全には理解できていない。
しかしそれが無害であろうことと、込み入った事情があるらしいこの少女と深く関わっていると察することは簡単だった。
彼ら二人には一度関わった人間として、この少女の抱える問題から目を背けるつもりは初めからあり得なかった。
そうして彼らはこの未知の技術とそこからこちらを覗く無数の客人を含めて、全てを受け入れ理解するための心の準備を始めたのだった。
*
それから彼女たちはたった三日とはいえ濃密な旅を経験した。
炎が流れる大河川とそこに生息する多様な生物を避けて通り。
猛毒の湿地帯を通り抜けるために鋼の皮を持つ大蛇の抜け殻を利用し。
色とりどりに輝く鉱石が剥き出しになった岩山で約1名が興奮して採掘作業が始まりかけたり。
元の世界では決して体験できないだろう様々な一面を見せる異世界の自然環境にヒカリは喜楽の感情が収まることがなかった。
そしてそれはこの様子を映した配信を見る者たちも同じであり、その世界を信じる者、全て作り物だと疑う者、どちらであろうと面白ければよいという者など、皆一様に画面の向こうで広がるとても鮮明で壮大な世界の姿に魅了されていた。
「そろそろ街が見えてくるぞ」
「んー……もうそんな時間? 待ちわびたやら名残惜しいやら複雑な感覚……」
※
《おはー》
《おはよう》
《俺はほとんど起きて見てた》
《まだ続いてんの?これは録画説消えたな》
《まだわからんだろ 何年も準備すればいける》
《ノア:自動で1時間ごとにタイムスタンプ張られるから自由に見返せ》
《サンガツ》
《ありがてぇ》
《自動ってどういう技術だよ》
《↑それこそ魔法じゃねぇの?》
そして日が登ったばかりの早朝、御山光纚がこの異世界に迷い込んでからほぼ三日が経ち、ヒカリや多くの視聴者たちが起床し各々の生活を始める。
彼女らの乗る馬車は今そこらじゅうで溶岩が顔を覗かせる地帯で整備された道を進んでいた。
「馬車はだいぶ速かったわよね。何キロ走ってきたのかしら?」
「キロ? 距離のことなら三日走ってきたから……大体六十六か七コウルといったところだと思うが」
「コウルってなによ?」
「知らないのか?距離と速度の単位だ。馬足で一時間」
※
《なんて?》
《馬足の基準が分からんのよ》
《ほとんど休まず走ってたし何百キロはいってんじゃね》
《馬車を走らせるのにいい速度は10キロぐらいってどっかで聞いた》
「……じゃあ、あそこにある岩まで馬が走って掛かる時間は?」
異世界特有の単語に直面してヒカリも視聴者も困惑していたが、扱い自体はキロと変わらないようであるため必要なのは1コウルをキロに直した場合の数字を確かめることだった。
ヒカリはとりあえず目算で100メートルほど離れた場所にある岩に馬が到達する時間から速度の基準を割り出そうと考えた。
「あそこまでなら……全速力なら四秒弱くらいか。馬車では、十二秒ほどだろうな」
「全力がだいたい時速100キロほどで、馬車は30キロぐらいってこと?」
※
《はえええw》
《馬は100kmもでねぇよ》
《コウルはなに》
《↑ヒント、異世界》
《三十は馬に負担かけすぎだと思う》
「コウルの基準は?」
「十二秒の方だな。ちなみに一時間掛かるのがコウルで、その中の一分の単位がカル。十秒がカフルだ」
「ってことは1コウルが時速30キロメートル。その速さで1分なら500メートル進んで、10秒なら大体83メートル進む。それらは大きい方からコウル、カル、カフルの単位があるわけか……つまり66か7コウルってことは、約2000キロも移動してきたってことなのね……」
※
《はえー》
《計算早すぎぃ》
《どこ卒っすか?》
《その距離は馬車で3日じゃ無理だろ それに30キロ出すにしてもかなり頻繁に休憩を挟まないと馬がもたないはず》
《だから異世界だっつってんだろ細かいことばっか突っ込むな》
「おまえたちの世界の馬がどうだかは知らんが……最近の馬は品種改良が進められて速力・筋力・持久力に回復力とあらゆる身体機能が飛躍的に向上しているらしいからな……ということは、技術力はこちらの世界の方が優れているということかな?」
※
《ぐぬぬ》
《発展してる分野が違うだけ》
《科学者じゃないけどなんかくやしい》
《しゃあない科学じゃ魔法には勝てんわ》
アダムは馬車を継続的に走らせるため睡眠時間を極力削って手綱を握り続けていた。
他の二人が眠っていた時間も配信を見ていた視聴者と触れ合っていたせいか、早くも視聴者のコメントと会話をするという全く新しい体験に慣れ始めている様子だった。
「それにしても暑いわねぇ……本当にもう少しで到着するの? なんだか火山を登ってるように見えるんだけど」
「心配するな、大規模な噴火を起こす山はこの辺りにはない。この山を超えた先にある盆地だ」
「溶岩が噴き出す山に囲まれた盆地にある街って大丈夫なわけ?」
※
《あつそう》
《地面で卵焼き作れそう》
《なんかで溶岩対策してるってこと?》
《してなきゃ住めんわ》
《はいはい魔法魔法》
アダムは冗談を言っている素振りもなくこの溶岩地帯に街があるのだと一貫している。
ヒカリとしては信じ難いことだったが、しばらくして小さな山を越えた先に石造りの関所らしきものとそれに連なる壁、さらにその向こう側に広がる彼女の想像を遥かに超える大規模な街並みが広がっていた。
「ようこそ、”火の上の街”ドゥナダスへ」
※
《ワオ》
《すげえええええ》
《いいねこれ》
《映像の真偽を議論してる兄弟はこの光景が見られるだけで十分だって思い知っただろ?》
《なんてクールな街なんだ これだけで有料級だよ ギフチャットやサブスクリプションはできないの?》
《ノア:そこらへんはややこしくなるから後でな》
「……これを、本当に溶岩の上に……?」
「耐熱加工を施した石を結合させることで高い強度を持つ土台の上だけで街を築き、また広げていくことができる……大半の魔獣は溶岩地帯には好んで近寄らないからな。先人たちの生存戦略というやつだ」
その盆地ではやはりというべきか、地面から溢れ出したものとそこを囲む火山が噴き出す溶岩が溜まっている。
そのためか街は地上から20メートルほどの高さになるまで大きな柱によって持ち上げられており、その構造を維持している様からこの世界の建築技術の高さが見て取れるようだった。
そうして彼女たちは火の上の街と呼ばれるドゥナダスへ向かっていった。
ちなみにもう一人の男は未だに眠りこけていたためアダムに叩き起こされていた。