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魔法通りの魔法を使わない時計屋さん

作者: 新城かいり


   Ⅰ


 ここは『魔法通り商店街』。

 その名の通り、魔法使いのお店が軒を連ねる商店街だ。


 飛び上がるほどに美味しくて本当に飛び上がれる魔法のレストラン。

 一瞬で思い通りの髪型や髪色にしてくれる魔女のヘアサロン。

 いつまでも枯れない花が買える魔法の花屋などなど、昼でも夜でも魔法でキラキラと輝くその通りに、ひっそりとその小さな時計屋はあった。


 『リリカ・ウェルガー時計店』――通称「魔法通りの魔法を使わない時計屋さん」。

 その通称通り、魔法使いなのに魔法は一切使わないという奇妙な時計屋だ。


 店主の名はリリカ・ウェルガー。歳は20歳。トレードマークは長く艶やかな黒髪と目元のほくろ。

 魔法学校では一位二位を争うほどの実力を持っていた彼女だが魔法使いなら誰もが憧れる就職先からのスカウトを全て断り、この魔法使いだけが出店を許される通りで時計屋を始めた。

 なのに仕事に魔法は一切使わない。皆が彼女を「変わり者」と呼んでも仕方のないことだった。


「ほんと、リリカって変わってるよ」

「なによ、急に」


 朝起きてからずっと片目にキズミを付け、古そうな時計を弄っている彼女のすぐ傍らで使い魔のハチワレ猫ピゲは溜息をついた。


「そんな修理、魔法を使えばもっと簡単なのにさ。もうお昼だよ」

「煩いわね。今丁度終わるとこ。――よし、これでどうかしら」


 彼女がキズミを外しながら顔を上げると、時計の中の小さな歯車がカチコチと規則正しく動き始めた。

 ピゲもそれを上から覗いて確認する。


「ほらね。魔法なんて使わなくても私のじぃじ譲りの手があればどんな時計も直るのよ!」

「ハイハイ。――あ、リリカお客さんみたいだよ」


 耳をドアの方へ向けてピゲが言った直後、カランコロンというベルの音とともにそのお客は現れた。


「いらっしゃいませ」

「ふぅん、君が噂のリリカちゃんか」


 ――あ、マズイ。ピゲは思わず耳を伏せた。


 帽子を脱ぎながら入ってきたのは20代半ばほどのやたらと美しい金髪碧眼の男で、身なりも良かったが何か含みのありそうな笑顔の貼り付いたリリカの一番嫌いそうなタイプのお客だった。


 たまにいるのだ。『魔法通りの魔法を使わない変わり者の時計屋』を見に来る興味本位の客が。


「そうですが、冷やかしならお引き取りください」


 あちゃ~、やっぱりとピゲは思った。見るからにリリカの顔が不機嫌だ。

 でもそのお客はそんなリリカの態度にも気を悪くする様子なく、クスクスと笑った。


「冷やかしじゃないよ。ちゃんとしたお客さ。是非、君に時計修理を頼みたくてね」

「……どちらですか?」


 お客なら仕方ないというふうに、リリカが訊く。

 その男性客は鞄から取り出したそれをリリカの前のカウンターに置いた。それは古そうな金の懐中時計だった。

 途端、リリカの目付きが変わる。職人の目、いや、小さな子供が玩具を手に入れたときの目だとピゲは思った。


「随分年代物ね」

「わかるかい?」

「えぇ」


 リリカはそれを手に持ち竜頭を押して蓋を開いた。ピゲも一緒に覗くと、確かに針は止まってしまっていた。


「実は他の時計屋にも行ったんだけど皆お手上げで、君の噂を聞いて来たんだ。どうやらその時計には魔法が掛かっているみたいでね、皆直せないっていうんだよ」

「魔法……?」


 リリカの声が一気にオクターブ下がり、目からは一瞬にして先ほどの輝きが失われた。


「君は優秀な魔女なんだろう?」

「……噂を聞いて来たなら、私が魔法を使わない時計屋だって聞きませんでした?」

「聞いたよ。でも君が魔女なのは本当のことだろう? だから君に頼みに来たんだ」

「お断りします」


 はぁ、とピゲは溜息をついた。……折角お金を持っていそうなお客なのに。

 リリカは時計の蓋を閉め彼に差し出しながらにっこりと笑った。


「魔法使いならこの通りに他にたくさんいますよ。そちらに頼んでみたらどうですか?」

「困ったなぁ。どうしても無理かい?」

「魔法を使わない時計修理ならいつでも」

「なんで魔法を使わないんだい? 折角の才能なのに」


 ピゲはハラハラした。このお客、まるでリリカの嫌がる質問を全て知っているかのようだ。案の定リリカの笑顔がぴくぴくと引きつっている。


「答える必要性を感じません。どうぞお引き取りください」


 するとお客はやっと諦めたのかフゥと小さく息をついた。


「仕方ない。また来るとするよ。それ預かっておいて」

「え」


 リリカが短く声を上げる。ピゲも一緒に声を上げそうになった。その間にもう彼は背を向けていて。


「じゃあね」

「え、ちょっと、これ! 置いていかれても困ります!」


 リリカが懐中時計を掲げて叫ぶが、その男は笑顔でひらひらと手を振り帽子を目深にかぶるとそのまま出て行ってしまった。


「……嘘でしょ」


 懐中時計を握った手を力なく下ろしたリリカに、ピゲは言う。


「名前も連絡先も、何も聞かなかったね」


 直後、ボーンボーンという振り子時計の音が12回店内に鳴り響いた。




   Ⅱ


 あの後すぐに外に出て彼の姿を捜したが結局見つからず、リリカは一先ずお昼を済ませてから、カウンター上の懐中時計をじっと見下ろしていた。

 ちなみに今日のお昼は近所の行きつけの魔法のお弁当屋さんで買ってきた《普通の》サンドイッチだ。魔法仕掛けのピカピカ光るサンドイッチは子供向けだからリリカはいつも《普通の》サンドイッチを買う。ピゲも使い魔の猫用ハムサンドを食べた。


「これ、本当に魔法掛かってるの?」


 ピゲは懐中時計をくんくんと嗅いでから仏頂面のリリカを見上げた。


「一応、試してみるか」

「魔法を?」

「なわけないでしょ」

「だよね……」


 リリカは長い黒髪を高い位置で一纏めにしてから懐中時計を手に作業机に移動した。

 椅子に座るとリリカの職人スイッチが入る。

 懐中時計の側面をぐるっと見てその場所を見つけたらしいリリカは「こじ開け」と呼ばれる専用工具を手に取り、見つけた隙間にそのヘラ先を差し込む。それを押し上げれば大抵の時計はパカっと裏蓋が外れるのだが、どうやら外れないらしくリリカの顔がどんどん赤くなっていくのをピゲは見ていた。


「やっぱり無理そう?」

「~~、なんで時計に魔法なんか掛けるのよ!」


 リリカは勢いよく立ち上がって髪をするりと解いた。……早々に諦めたらしい。


「また来るって言ってたわよね、あのお客」

「言ってたね。いつかは言わなかったけど」

「次来たら絶対文句言って突き返してやるんだから!」


 金の懐中時計をカウンターの引き出しに仕舞おうとしているリリカにピゲは声を掛ける。


「でもさ、気にならない?」

「何が」

「なんのために時計に魔法なんか掛けたのかって」


 するとリリカは一瞬だけ引き出しを閉めようとしていた手を止めた。


「……そりゃ、ちょっとは気になるけど」

「なら」

「だーけーど! 私は時計修理に魔法は絶対使いません!」


 パタンと引き出しを閉めてしまったリリカにピゲは半眼になる。


「頑固」

「じぃじ譲りのね!」

「掃除とか洗濯は全部魔法で楽するくせに」

「折角の才能ですから?」

「意地っ張り!」

「なによ、やたら突っかかってくるじゃない。そんなに気になる?」

「気になるよ! それにあのお客お金持ちそうだったし。直してあげたらいっぱいお金もらえるかもだよ?」

「私はああいうヘラヘラした人は苦手。何か裏がありそうで嫌な感じ」


 ……それは、ピゲも否定できなかった。



 結局その日はもうそのお客は現れず、別のお客から預かっていた時計修理を全て終わらせて、リリカとピゲは店の二階の寝室で眠りについた。


 ――その夜、ちょっとした事件が起きた。




   Ⅲ


 最初にその異変に気付いたのは猫のピゲだった。リリカのベッドの足元で丸まって寝ていたピゲはその音に気付いて耳をピンと立てた。


 ――カタカタ、コトコト。


 そんな音が下から聞こえてくる。


「リリカ、リリカ起きて!」


 ピゲがリリカの耳元で呼ぶと、リリカはすぐに目を覚ましてくれた。超絶不機嫌そうに。


「なぁに? まだ夜中じゃない」

「下で変な音がするんだ。泥棒かもしれないよ」


 ガバっと勢いよくリリカが起き上がった。耳を澄ませてみると、確かに聞こえてくる。


 ――カタコト、カタカタ。


「リリカ、どうしよう」

「なにビビってんのよ。私を誰だと思ってるの? お城の護衛に来ないかって話もあったくらいなんだから」


 言いながらリリカはベッドから降りて、ゆっくりとドアへと向かった。

 その後ろをおっかなびっくりついて行くピゲは、リリカがドアを開けたときのキィという音にちょっとだけ跳び上がってしまった。


 リリカは出来る限り足音を立てないよう店への階段を降りていく。この時ピゲは自分の手に肉球が付いていて良かったと思った。

 その間もカタコトという音はずっと聞こえていて……。

 階段を降りきったふたりはごくりと喉を鳴らし、カウンターを覗いた。――途端、その音はぴたりと止んだ。


 シンと静まり返る暗い店内をふたりは見まわし、そして目を合わせた。


「誰も、いないね」

「……」


 リリカは小さく息をついてからスタスタとカウンターへと向かい、そこでその目をいっぱいに見開いた。


「これ、あんた?」

「え、何が?」


 ピゲはぴょんとカウンターに飛び乗る。そしてリリカが見つめているものに気づいた瞬間、ぼわっとその長い尻尾がタヌキのように膨らんだ。


「な、ななななんで、これがここにあるの? リリカ引き出しに仕舞ってたよね?」

「……あんたじゃないなら、この時計が勝手にここに出てきたってことになるわね」


 カウンター上の金の懐中時計は今はうんともすんとも言わず、ただ静かにそこにあった。




   Ⅳ


「呪いだよ! 黒魔法が掛かってるんだよ絶対!」


 翌朝、カウンターの一番端っこからピゲはもう何度目か同じ台詞を叫んだ。

 ――あの後、また起こされたらたまらないと時計をカウンター上に置いたままリリカは二階の寝室に戻りさっさと寝てしまった。でもピゲは怖くてなかなか寝付けず、久しぶりにリリカの隣に潜り込んで明け方近くになんとか眠ることが出来た。お蔭で寝不足だ。


「そんな悪い感じはしないけど」

「もう触らない方がいいってリリカ!」


 リリカはカウンターに頬杖をつき、もう片方の手に持った金の懐中時計を眺めている。

 昨日全ての修理を終わらせてしまったので今のところやるべき仕事はない。要するに暇なのだ。

 いつも通りピゲの忠告など聞かずにリリカは竜頭を押して文字盤を開いた。


「2時28分」

「え?」

「2時28分で止まってる」

「あぁ」

「そういえば昨夜のアレ、丁度このくらいの時間じゃなかった?」


 ぞわっとピゲの全身の毛が逆立った。


「ねぇ! やっぱり何か呪いが掛かってるんだって。もう触るのやめなよ!」

「……誰が、あなたに魔法を掛けたの?」


 リリカが懐中時計に向かって囁きかけたそのとき、ピゲの耳がぴんっと立った。


「リリカ、お客さん……あっ!」

「あっ!」


 ふたりはカランコロンという音と共に現れたそのお客を見て同時に声を上げた。


「やぁ、調子はどうだい?」


 昨日のやたら顔の良い金髪碧眼の男が帽子を脱ぎながら入ってくる。昨日と同じ笑顔を貼り付かせて。

 リリカはカウンター前までやって来た彼を睨み上げ、持っていた懐中時計を突き出した。


「これ、お返しします」

「直った?」

「直ってないです」

「え~、困るんだけどなぁ」


 全然困ったふうではなく彼は言う。目の前に差し出されている時計を受け取ろうともしない。


「困るのはこちらです! これのおかげで私たち今日寝不足なんですよ」


 リリカはしっかり寝ていたけどな、とピゲは思いながらカウンター端からふたりを見守っていた。


「寝不足? なぜ」

「なぜって、これが昨日勝手に動いたからです!」


 すると、その男から初めて笑顔が消えた。どうやら驚いている様子だ。


「勝手に、動いた?」

「そうですよ。夜中にカタカタと、うちの猫が怖がってしまって可哀想なので、もう持ち帰ってもらえませんか?」


 ピゲはそんな余計なことまで言わなくていいのにと思いながら男の方を見て、あれ? と思った。ふいに、その男をどこか別の場所でも見たような気がしたのだ。


「うちにあるときには、そんなこと一度もなかったんだけどな……」

「知りませんよ。あなたの元に早く帰りたいんじゃないんですか?」


 男は口元に手を当てて少し考え込んだあとで、また例の笑顔を浮かべ口を開いた。


「きっとその時計も君に直して欲しいんじゃないかな」

「は?」

「うん、そう思う。引き続き修理を頼むよ」

「いやいやいや、直せませんって言ってるじゃないですか」

「直せないんじゃないだろう? 君になら、直せるはずだ」


 その挑戦的とも取れる物言いに、リリカは一瞬言葉を失くした。


「魔法使いの時計屋さんは君しかいないんだ。頼むよ、リリカちゃん」

「無理です!」

「え~、どうしても?」

「どうしても!」


 すると男はうーんと天井を見上げた後で良いことを思いついた、というようにリリカに告げた。


「じゃあ、直してくれるまで僕もその時計と一緒にここにいていいかい?」

「はぁ!?」


 ピゲも同じ声が出そうになった。代わりにあんぐりとその小さな口を開けた。

 男はお客さん用の椅子に深く腰掛けると、にっこりと笑った。


「今日は昨日より時間があるんだ。ここでゆっくり待たせてもらうよ」

「じょ、冗談じゃ」

「あ、お構いなく。仕事の邪魔はしないよ」


 そこにいるだけで邪魔なんだけど! というリリカの心の罵声がピゲにははっきりと聞こえた気がした。




   Ⅴ


 仕事と言っても丁度暇な時間を過ごしていたリリカは、仕方なく普段はしないような作業台の整理をし始めた。

 男はというと、手帳のようなものを広げ先ほどからペンでなにか書きつけている。

 そんな無言の時間がかれこれもう1時間は続いていてピゲはカウンターの端っこで丸まりながらもう何度目かの溜息をついた。――と、その耳がぴんと立ちドアの方を向いた。


「こんにちは、リリカちゃん」


 カランコロンというベルの音と共に現れたお客さんにリリカの顔がぱぁっと輝く。


「ミルさん! いらっしゃいませ。時計直ってますよ」


 一週間ほど前に腕時計の修理に来た上品なおばあちゃんだ。

 リリカは引き出しから預かっていたその腕時計を取り出し、カウンター上に出した。それを見て、おばあちゃんの顔が嬉しそうにほころぶ。


「まぁほんと。良かったわ、まだ動いたのね」

「前回お掃除したのが5年前だったので、また5年はちゃんと動くと思いますよ」

「そう、嬉しいわ。おじいさんが大切にしていたものだから腕に無いとどうも寂しくってねぇ。流石は、ウェルガーさんのお孫さんね」


 その言葉にリリカは頬を赤らめはにかんだ笑みを浮かべた。彼女にとってそれは一番の賛辞だ。


「本当にありがとう。じゃあね、ピゲちゃん」


 腕時計を早速着けたおばあちゃんはお代を置いてピゲを優しく撫でてから店を出て行った。

 と、そんな彼女たちのやりとりをじっと見ていた男が口を開いた。


「5年前に、もう君はこの時計屋をやっていたのかい?」

「え?」

「今、5年前って言っていただろう」

「あぁ、5年前に修理をしたのは私じゃないですよ。私がこのお店を開いたのは2年前ですから」

「じゃあなんで5年前ってわかったんだい」

「時計の裏蓋の内側に大抵書いてあるんですよ、修理した日付と職人のサインが」

「へぇ。それは知らなかったな」


 感心したように男は何度も頷いた。


「それよりもうお昼ですけど、まだ居座る気ですか?」

「君が時計を直してくれたら、すぐにでもお暇するんだけどな」


 男は悪びれもなくにっこりと笑う。リリカの頬がまたピクピクと引きつった。


「……リリカ、オレお腹すいた」


 ピゲが小さな声でおずおずと言うとリリカはちらっとピゲの方を見てから男に言った。


「あの、私たちお昼の買い出しに行きたいんですけど」

「あぁ、いいよ。僕が店番をしているから行っておいで」

「は?」

「と、言うわけにもいかないね。僕が何か買ってこよう。この通りには美味しそうなお店がたくさんあるからね」


 そう言って、男は漸く椅子から立ち上がった。


「え、」

「リクエストはあるかい? その子のお昼も買うんだろ?」


 初めて男と目が合ったピゲはびっくりして思わず耳を伏せ頭を低くした。

 リリカは少しの間口をパクパクさせていたが、はぁ~と諦めたように大きく息をついた。


「……じゃあ、3件隣のお弁当屋さんで普通のサンドイッチと猫用のハムサンドをお願いします」

「わかった。行ってくるよ」

「あ、お金!」

「いいよ。無理を言っているのはこちらだからね。お昼くらいはおごらせてくれ」


 そうして彼は帽子を目深にかぶり店を出て行った。


「……無理を言っている自覚はあるのね」


 ピゲも同じことを思った。




   Ⅵ


「リリカ~、あいつがいると落ち着かないよ~。もうさっさと魔法使ってそれ直しちゃいなよ~」

「い~やっ!」

「でもさ~、本当に夜までいられたらどうするの?」

「……流石にそれはないと思いたいけど」

「明日も、明後日も、ずーっと来るかもしれないよ?」

「う……」


 リリカが嫌そうに顔を歪める。


「それとオレ、あの人どこかで見た気がするんだ」

「どこで」

「それは、わからないけど……絶対、どこかで見たと思う」

「あれだけの顔、一度見たら忘れないと思うけど」


 それを聞いてピゲは少し意外に思った。


「リリカ、実はああいう顔が好みだったりする?」

「そういう意味じゃない! 昨日言ったでしょ。苦手なタイプだって」

「ふーん」

「はぁ。……紅茶くらいは入れたほうがいいかしらね」


 そう言いながらリリカは億劫そうに奥のキッチンにお湯を沸かしに行った。


 ――リリカの浮いた話をピゲは今まで聞いたことがない。人間の20歳なら恋人くらいいてもいいのに。でもリリカの恋人をピゲは全く想像できなかった。




   Ⅶ


 ボーン、ボーンと振り子時計が12回鳴り終わった頃に男は戻ってきた。


「私、《普通の》って言いましたよね?」

「いやぁ、だって可愛かったから。僕も同じのを買ったんだ。ほら」


 男が買ってきたサンドイッチはいつもリリカが買う《普通の》ではなく、子供向けのピカピカと光るサンドイッチだった。

 しかし買ってきてもらって文句は言えない。仕方なくリリカはお礼を言ってにこにこ顔の男からそれを受け取った。ハムサンドはいつもと同じでピゲはほっとした。


 カチャ、とリリカは男の分の紅茶をカウンターに置く。


「良かったらどうぞ。お砂糖いります?」

「あぁ、ありがとう。もらおうかな」


 頬をピカピカと光らせながら立ち上がった男を見てリリカは心底呆れた顔をした。

 カウンター奥に座り自分もその光るサンドイッチを食べながら、リリカは訊く。


「この時計、どこで手に入れたんです?」

「え? あぁ、知り合いからね、直せないかって相談されたんだ」

「あなたのものじゃないんですね」

「うん。でも、すごくお世話になっている人でね。だから、君が直してくれたらその人も喜ぶんだけどな」


 ティーカップ片手ににっこりと笑った彼に、リリカはカウンター越しに半眼で答える。


「残念ながら、ここにいても時間の無駄ですよ」

「なぜ君は魔法を使わないんだい?」


 またリリカの嫌がる質問だ。ピゲはハムサンドを食べながらまた耳を伏せた。――でも。


「この店を開くときに決めたんです。時計修理に魔法は使わないって」


 そうリリカが溜息交じりに話し始めピゲはちょっと驚いた。話してしまった方が諦めると思ったのだろうか。


「なぜ」

「魔法がなくても時計修理は出来ますから。私の時計職人としてのプライドです」

「プライド、か」

「はい」


 リリカが頷くと男はそこから見える作業台へ視線を移した。


「君のおじいさんも、時計職人だったのかい?」

「え? あぁ」


 リリカの作業台に飾られたじぃじの写真を見つけたようだ。


「そうです。私の師匠なので」


 じぃじの写真を見つめながらリリカが誇らしげに答える。そんなリリカを見て男が優しく微笑むのをピゲは見ていた。


「そう。……ご馳走様。とても美味しい紅茶だったよ」


 カチャとティーカップをカウンターに置いて男は笑った。


「あ、いえ。こちらこそサンドイッチご馳走様でした。ピゲの分まで」

「今日はこの辺でお暇するとしよう」

「え」


 彼はドアの前まで行くと帽子をかぶり笑顔で手を振った。


「また来るよ。じゃあね、リリカちゃん、ピゲ」


 急に名前を呼ばれてピゲの尻尾はちょっと膨らんでしまった。

 そうして彼はカランコロンというベルの音と共に店を去って行った。


「……また、時計置いてった」




   Ⅷ


 その夜、金の懐中時計は仕舞わずにカウンター上に置いたままにした。ピゲはぐっすり眠っているリリカの隣に潜り込んで2時28分まで寝付けなかったけれど、結局昨日のような音はしなかった。お蔭でピゲは今日も少しだけ寝不足だ。


 朝から何度目かの大きなあくびをして、ピゲは言った。


「今日も来るかな。あの人」

「さぁ」


 そう答えてからリリカはキズミを外し振り子時計を見上げた。


「まぁ、来るとしたら多分そろそろ……」


 そのときピゲの耳がピンと立ちドアの方を向いた。リリカが呆れ顔で続ける。


「ほら」

「やぁ、リリカちゃん、ピゲ」


 ドアを開け笑顔を覗かせたのはやっぱり彼だった。――が、店内に彼が足を踏み入れた途端リリカとピゲは表情を強張らせた。


「フーっ!」


 彼に向かって、ピゲは全身の毛を逆立て威嚇の姿勢をとる。


「え、ピゲ? どうしたんだい」


 戸惑うように彼がリリカの方を見ると、リリカも険しい顔つきをしていた。


「それはこっちの台詞です。どうしたんですか、ソレ」

「ソレ?」


 リリカは彼を――彼の背後を指さした。


「良くないものが憑いてます」

「えっ」


 驚いて振り返るが何もいない。彼には何も見えていないようだ。

 でも、リリカとピゲには禍々しい気を纏った“ソレ”がはっきりと見えていた。


「とりあえず祓いますので、少し伏せていてください」

「え」


 向き直るとこちらを指さしているリリカの長い黒髪が風もないのにゆらゆらと揺らめいていて、彼は慌てた様子で姿勢を低くした。


「――魔女リリカ・ウェルガーの名において命じます。悪しきものよ、今すぐ彼から離れなさい」


 リリカの目が鋭く見開かれる。


「退!」


 彼女の指から放たれた光が、“ソレ”に向かって矢のように飛んでいくのをピゲは見ていた。光の刺さった“ソレ”は悔しそうな金切り声を上げ、霧散した。

 ふぅ、と息を吐いたリリカを見てピゲも威嚇の姿勢を解く。


「消えましたよ」

「え? あ、ありがとう」


 彼は何度も背後を振り返りながらゆっくりと立ち上がった。


「一体、何がいたんだい」

「わかりやすく言うと、悪魔です」

「悪魔」


 彼はぽかんと口を開けた。


「まぁ、三下でしたけど。……何か、人に恨まれるようなことでもしたんですか?」


 リリカが半眼で言うと彼は心当たりがあるのかバツが悪そうな顔をして、それから苦笑した。


「どうも、僕は人から恨みを買いやすいみたいでね。いや、助かったよ。流石は優秀な魔女さんだ」

「このくらいの退魔法、魔法学校の一年生で習いますよ。まぁ、杖も魔法陣もなしでの退魔法は大分熟練度が高くなりますけど」


 まんざらでもなさそうな顔でリリカが言うと、彼は笑顔で続けた。


「その調子で、時計も直してくれたら嬉しいんだけどなぁ」

「それはお断りします」

「あらら」

「で、今日も居座る気ですか?」


 リリカが溜息交じりで訊くと、彼は口元に手を当て少しの間考えるような仕草をした。


「そのつもりだったんだけど……、今日はこれでお暇しようかな」

「え?」

「朝からお騒がせして悪かったね。また来るから、それまで時計は預かっておいて」


 そうして帽子をかぶり背を向けてしまった彼に、リリカは声を掛けた。


「あ、あの!」

「ん?」

「気を付けてくださいね」


 てっきり、「いい加減持ち帰ってください」とか文句を言うのかと思っていたピゲはびっくりした。

 彼もそうだったのだろうか、一瞬きょとんとした顔をしてからクスクスと笑った。


「ありがとう、リリカちゃん。またね、ピゲ」


 そうしてピゲにも手を振り、彼は店を出て行った。


「……大丈夫かしら、あの人」

「え?」


 ピゲが見上げるとリリカは神妙な顔つきでまだドアの方を見つめていた。


「三下だけど、悪魔は悪魔よ。普通の人は悪魔なんて憑いてないわ」

「確かに……」

「何者なのかしら。あの人」

「人から恨みを買いやすいって言ってたし、実はヤバイお仕事してる人だったりして」

「……」


 冗談のつもりだったのにリリカからはなんの反応もなくて、ピゲは少しだけ耳を伏せた。



 ――それから、ぱったりと彼は姿を見せなくなった。


 カウンター上に置かれた金の懐中時計を見て溜息をこぼすリリカをピゲは日に何度も目撃し、その度自分も小さく溜息を吐いた。




   Ⅸ


 彼が店に現れなくなって、半月ほどが過ぎたある日。

 その日は朝から雨がしとしと降っていて、なんとなく憂鬱だった。


「雨、なかなか止まないね」

「そうね」


 水滴のたくさんついた窓を見上げながらピゲがぼやくと、作業台で銀の懐中時計を見ていたリリカが短く答えた。昨夜、閉店間際に預かった新規のお客さんの時計だ。

 リリカはキズミを外し重く溜息をついた。


「これは、もうダメかも」

「え?」


 その顔が珍しく悲しげに曇っている。まるで今日の空模様のようだ。


「中、錆びだらけ」

「直せないの?」

「元々古いものだからね、代わりの部品がもう無いものもあるわ」

「魔法で……」


 じと、と睨まれてピゲは口をつぐんだ。


「古さで言えば、そっちの金の懐中時計の方が古いけど」


 リリカはあの男の懐中時計の方を見つめてから手元の懐中時計に視線を戻し、また溜息をついた。


「こっちは傷だらけで痛々しいくらい。もう休ませてあげたいな」


 そのときピゲの耳がぴんと立った。


「リリカ、お客さんだよ」


 外に出している傘立てに傘を置く音のした後でカランコロンとベルを鳴らし入ってきたのは。


「いや~、今日は生憎の天気だね」

「あっ」

「あっ」


 帽子とコートを手にした笑顔の彼を見て、リリカとピゲは同時に声を上げた。


「なんだい、幽霊でも見たような顔をして」

「はぁ~~」


 クスクス笑いながらこちらに歩いてくる彼を見て、リリカは長い長い溜息をついた。


「ちょっとバタバタしてなかなか時間が取れなくてね。ひょっとして、心配をかけてしまったかな」

「貴方の心配じゃなくて、この子の心配をしていたんです。このまま置いていかれるのかと思いました」


 リリカは仏頂面でカウンターに移動し金の懐中時計を彼の前に出した。ピゲはそんな彼女を見ながら素直じゃないなぁと思った。


「あれから、勝手に動いたりは?」

「いえ、何も」

「それは良かった」

「良くないです。もういい加減持ち帰ってくださいませんか?」

「うん。今日はね、この時計を受け取りに来たんだ」

「え」


 リリカが短く声を上げた。

 ピゲも驚いて、少し寂し気な顔をした彼を見上げた。


「実は、もう直す必要がなくなってしまったんだよ」

「……どういうことです?」

「この時計の持ち主が、急に亡くなってね」


 リリカの目が大きく見開かれるのをピゲは見ていた。


「僕の恩師だったんだけれど……あぁ、君が気にすることではないんだ。本当に急だったから、僕も驚いてしまって。だから、この時計をその人の元へ返してあげたくてね」

「――そ、それは、なんというか……」


 うまい言葉が出てこないのだろう、リリカは顔を俯かせてその目はきょろきょろと落ち着かない。

 そんなリリカを見て、彼はふっと優しく笑った。


「ごめんね。君には散々無理を言ってしまった」


 そう言って彼は金の懐中時計を大事そうに手に取った。

 それを目で追っていると、カランコロンと来客を知らせるベルが鳴った。リリカはハッとして顔を上げる。


「いらっしゃいませ」

「昨日の、直っているか?」


 ぶしつけにそう訊きながら入ってきたのは、昨夜例の傷だらけの懐中時計を持ってきたリリカと同じ年くらいの男性客だった。

 カウンター前にいた先客の彼はそのお客に場所を譲った。

 リリカは作業台に乗ったままの時計に視線を送ってから答える。


「見てみましたが、この時計はもう修理不可能です。全部の部品が酷く錆びついてしまっていて、部品を変えるにも、もう」


 すると、まだリリカが説明している途中なのにそのお客は不機嫌そうに言った。


「直せないってことか?」

「……はい。もうこの時計の限界だと思います」

「あんた魔女なんだろう? 魔法でなんとかならないのか?」


 いつものリリカならその台詞でイラっと来ているところだ。でも、今日のリリカは違った。真面目な顔でそのお客に説明を続ける。


「魔法でなんとかしたとしても、今の使い方ではまたいつ止まってしまってもおかしくないです」


 途端、男の顔が険しくなる。


「はぁ? 壊れたのは俺のせいだとでも言いたいのか? この時計いくらで手に入れたと思っているんだ!」


 その声がどんどん大きく荒くなっていく。

 ピゲは耳を伏せて小さくなった。人間の男の怒鳴り声はどうも苦手だ。

 でもリリカは毅然とした態度を崩さなかった。


「それは知りませんが、でもこの時計は本当にもう」


 するとその客は吐き捨てるように言った。


「ハッ、噂は本当のようだな。魔女のくせに力を出し惜しみしやがって。ならこの通りで店なんか出すんじゃねぇよ!」


 びくりと、リリカの肩が跳ねた。――と。


「君、女性の前でそんな大声を出すものじゃないよ」


 いつの間にか帽子を被りお客さん用の椅子に座っていた彼が穏やかな口調で言った。

 それを男は柄悪く睨みつける。


「はぁ? あんたには関係ないだろう。口出しすんじゃねぇよ」

「彼女は、一流の時計職人だ」


 その言葉にリリカは瞳を大きくした。


「その彼女が直せないと言っているんだ。もう諦めたまえ」

「随分と偉そうな口をきいてくれるじゃないか。俺はな、この街の議員の息子だぞ。父に言えばこんな店すぐにでも追い出すことだって出来るんだからな!」


 さっとリリカの顔色が変わる。ピゲは自分でも気づかぬうちにフーっとその客に向け威嚇の体勢をとっていた。

 しかし彼は笑顔を崩さずにスっと立ち上がるとその客に近づいた。


「な、なんだよ」

「すまないね、僕はこの街のことにそこまで詳しくなくて。その議員の名前を教えてくれないかい?」


 そして彼はリリカの死角でその客に小さく耳打ちをした。

 それを聞いた男の顔がみるみる青ざめていく。そして彼から物凄い勢いで離れ、慌てたように声を上げた。


「な、なんでこんな店に、」


 その反応にリリカは眉をしかめる。彼は男に向かってにっこりと続けた。


「僕も彼女に時計の修理を頼みに来たんだよ。君と一緒さ」


 男はリリカと彼とを見比べながら、ドアの方へと後退っていく。

 リリカはそれを見て我に返ったように声を掛けた。


「あ、時計、お返しします」

「そ、そんな壊れた時計もういらねぇよ! 捨ててしまってくれ!」


 そう言い残し、その客はけたたましいベルの音と共に去って行った。

 ふぅとピゲは肩の力を抜いた。


「まったく、騒がしいお客だったね」


 彼は笑顔でこちらを振り向いた。リリカはそんな彼に頭を下げる。


「ありがとうございました。助かりました」


 ピゲも一緒に少しだけ頭を下げた。


「いや。でも、僕も最初君のことを良く知らずに今の彼と同じことを言ってしまった。すまなかった」


 帽子を外し深く頭を下げた彼を見て、リリカはひどく慌てた。


「そんな、全然違います! あなたとあの人とでは、全然」


 すると彼は穏やかに微笑んだ。


「ありがとう。……それじゃあ、僕ももう帰るとしよう。色々と迷惑をかけたね」


 そうして彼はこちらに背を向けた。

 ……本当にこれでいいのだろうか。そう思ってピゲはリリカを見上げた。そのときだ。


「――あの!」


 ドアを開けようとしていた彼を、リリカは呼び止めた。


「ん?」

「その時計、私に修理させてください!」

「え?」

「へ?」


 彼とピゲの声が被った。

 思わず出てしまったのか、リリカ自身も驚いている様子だ。その顔がほんのり赤くなっているのを見てピゲはぽかんと口を開けた。


「でも君、魔法は」

「――よ、よく考えたら、開けるだけなら修理とは言わないんで、開けるだけ魔法で試してみようかなと」


 なんだそりゃ、とピゲは呆れた顔をした。

 でも彼はもう一度帽子を外しクスクスと笑いながら嬉しそうにこちらに戻ってくる。


「頼むよ。リリカ・ウェルガーさん」

「大切にお預かりします」


 リリカも職人の顔で、それを受け取った。




   Ⅹ


「プライドって言いましたが」

「え?」


 カウンター上で羊皮紙に魔法陣を書いたり必要な道具を揃えたりと魔法の準備をしながらリリカが口を開くと、興味深そうにその様子を眺めていた彼は顔を上げた。


「私、時計職人のプライドって言いましたよね、魔法を使わない理由」

「あぁ」

「あれ、半分嘘でした」

「え?」


 彼が目を瞬く。


「もう半分は、私の意地なんです」

「意地?」


 リリカは苦笑しながら頷いた。


「私の両親は昔から魔女の才能のあった私に本当に期待していて、魔法学校を卒業するときに良い就職先からのスカウトを全部蹴って時計職人になることを選んだ私に『この親不孝者が! 魔法の才能しかないお前が時計職人になどなれるはずがない』って酷く怒って、あげく私勘当されちゃいまして」

「それで、魔法を使わないように?」

「はい。魔法を使わなくても、じぃじみたいな一流の時計職人になってみせるって、私の意地です」

「でもなんで、この魔法通りに店を出したんだい?」

「あー……」


 もっともな問いだった。リリカはその理由も恥ずかしそうに話していく。


「実は、一番安かったんです。この通りは魔法使いだと何かと優遇されるので」


 ピゲはリリカがこの話を他人にするところを初めて見た。


「当時、勘当された直後で私お金が全然なくて」

「そういうことか」


 彼は納得したように頷いた。


「……私は、どうしても時計職人になりたかったんです。じぃじのような魔法使いみたいな時計職人に」


 優しい顔つきで続けたリリカの声をピゲは心地よく聞いていた。――じぃじの話をするときのリリカの声がピゲは一番好きだ。


「魔法使いみたいな?」

「じぃじは魔法使いではありませんでしたが、時計を修理しているときのじぃじは本物の魔法使いよりも魔法使いみたいでした」


 誇らしげにはにかんだリリカに彼は目を細め言った。


「君はもう、おじいさんのような一流の時計職人になれているじゃないか」

「え?」

「前にあのご婦人も言っていただろう。『流石、ウェルガーさんのお孫さんね』と。あれはそういう意味だろう?」


 リリカの驚いた顔が徐々に嬉しそうに緩んでいく。


「そうだと、いいです」




   Ⅺ


「どんな魔法かわからないので何が起きるかわかりません、少し離れていてください」


 準備を終えたリリカは、魔法陣の中央に置かれた金の懐中時計に指先で触れた。

 彼は言われた通りにカウンターから少し離れてからごくりと喉を鳴らす。

 リリカは一度深呼吸をしながら目を閉じ、次に開いたときには魔女の目つきになっていた。


「――魔女リリカ・ウェルガーの名において命じます。誰その呪縛から解かれ、私に従いなさい」


 カタカタと懐中時計が揺れ出したのをピゲはカウンターの端っこからおっかなびっくり見ていた。


「解!」


 パンっと短く破裂音がした。


「――え?」


 それとほぼ同時、リリカが発した小さな声をピゲの耳は確かに聞き取っていた。


「……解け、ました」

「もう? 早いね」


 感心したように戻ってきた彼の前で、リリカはそばに置いておいた「こじ開け」を手にした。


「開けてみます」

「あぁ」


 ヘラの先を隙間に差し込んで押し上げると、パカっと今度は難なく裏蓋は外れた。

 中はとても綺麗だった。とても大切に扱われてきたのがピゲから見てもわかる。

 その裏蓋を裏返して、リリカは「あっ」と声を上げた。


「じぃじ……」

「え?」

「じぃじの、ウェルガーのサインが」

「ということは、この時計を前に修理したのは君のおじいさんだったのか」

「……」


 リリカの様子がどこかおかしい。じぃじのサインを見て喜ぶどころか、先ほどから何かを必死に思い出そうとしているように見える。


「それは素敵な偶然だね」

「偶然……じゃ、ない」

「うん?」


 リリカは止まった懐中時計をじっと見下ろしながら、言った。


「この時計に魔法をかけたの、私です」

「え?」

「え?」


 ピゲと彼の声がまたぴったりと重なる。

 リリカの震える指がもう一度懐中時計に触れた、その途端だった。



『……君が一人前の魔女になった頃に、また直してもらいに来るよ……』



 そんな優し気な男の人の声が耳に響いた。


「この声は」


 彼が、瞳を大きくして虚空を見つめる。



『……その頃、君が本当に強い魔女になっていたら、守ってもらいたい方がいるんだ……』



 そこで、その不思議な声は途切れた。


「そうだ……すっかり忘れてた」


 リリカは懐中時計の向こう側を見つめるように、淡々と言葉を紡いでいく。


「私、まだ小さかった頃に、じぃじに構ってほしくてお客さんの時計に魔法をかけてしまって」


 勿論、ピゲも知らない話だ。


「でも私、まだ魔法の解き方がわからなくて、わんわん泣いてじぃじを困らせて……」


 リリカは今にも泣きだしそうな顔で続ける。


「そのお客さんが私に言ったんです。『君が一人前の魔女になった頃に、また直してもらいに来るよ』って……私、今の今まですっかり忘れてた」

「そのお客が、僕の先生だったわけか」

「え?」


 リリカが顔を上げると、彼は口元に手を当て、してやられたというような顔をしていた。

 そしてふっと優しく微笑んでリリカを見つめた。


「きっと先生は、僕と君を引き合わせたかったんだ」


 わけがわからないという顔でリリカが眉を寄せる。ピゲも一緒に首を傾げた。

 そんな中彼はひとりで「そうか、そうか」とおかしそうに笑っていた。


「直りそうかい? その時計」

「え? あ、はい。とても綺麗なので、お掃除して新しい油を差せばすぐに動きだすと思います」

「見ていていいかな。君のおじいさん譲りの魔法を」


 リリカは目を大きく見開いた後で頬を少し染め、頷いた。


「はい!」




 中の部品を一度全てバラバラに外し、その小さな小さな部品に付着した古い油をひとつひとつ洗浄、再び組み立て新しい油を差す。

 その細かく根気のいる作業を、彼はまるで子供のように目を輝かせながら見つめていた。


「本当に、魔法のようだね」


 そう口にした彼にリリカは小さく笑った。

 そんなふたりを眺めながら、ピゲはまるで昔のじぃじとリリカを見ているようだと思った。




   Ⅻ


 ――数時間後、再び動き出した金の懐中時計を手にして彼はにっこりと笑った。


「きっと先生も喜んでくださると思う。本当にありがとう」

「いえ、こちらこそ魔法の件は、本当にすみませんでした」


 ドアの前でふたりが話しているのをピゲはリリカの腕の中で大人しく聞いていた。

 いつの間にか雨は上がり、店内にも明るい光が差し込んでいた。


「そうだ。さっきのあのお客の時計はどうするんだい? 彼は捨ててくれって言っていたけれど」

「あぁ……」


 リリカは作業台の方に視線を送った。


「もしかしたら気が変わって取りに来るかもしれませんし、このまま預かっておきます。捨てるなんて私にはできません。物はどんな持ち主にも懐くものなので」

「そう。……それじゃあ、本当にお世話になったね」


 帽子を被りドアノブに手をかけた彼に、リリカは思い出したように声を掛ける。


「そういえば、まだあなたの名前を聞いていなかったわ」

「僕かい? 僕はユリス。ユリス・アディエールだ」


 彼、ユリスはそう名乗ってからリリカに笑いかけた。


「また君の魔法を見に来ていいかな」

「え? 別に、構いませんが」


 リリカがびっくりしたように答えるとユリスは満足げに笑った。


「じゃあまた。リリカちゃん、ピゲ」


 ユリスに初めて撫でられてピゲは少しだけ尻尾を太くしたが、悪い気はしなかった。


「ありがとうございました」


 リリカは深く頭を下げ、ピゲも少しだけ頭を下げた。

 カランコロンと音を立て彼が去った後で、リリカはふぅと短く息を吐く。


「なんだかちょっとすっきりしないけど、とにかく直って良かった」


 その後一拍開けてから、彼女は漸く気づいたようだ。


「――ん? ちょっと待って。アディエール? ……ユリス・アディエールって」


 徐々にその顔が青ざめていくのをピゲはすぐ傍で見ていた。


「公爵家の三男坊じゃないの!?」


 悲鳴のような声を上げたリリカに呆れながらピゲはその腕からぴょんと飛び降りた。


「だからオレ言ったじゃないか。どこかで見たことがあるって」

「あんた、気づいてたの!?」


 凄い形相で見下ろしてきたリリカにピゲは言う。


「オレも、さっきの怖いお客さんにあの人が言った言葉で思い出したんだよ」


 ――ユリス・アディエール。

 公爵家きっての切れ者で眉目秀麗と評判だが変わり者としても有名で、ゴシップ誌などで度々その動向が取り上げられている人物。

 つい先日も公爵家の次期当主を巡るいざこざがあるとかないとか週刊誌が散々騒いでいたのを、ピゲは魔法通りの本屋さんで見かけたのを思い出していた。

 ……ちなみにリリカはその類の記事には全く興味がなく、ほとんど読んだことがない。


「あ、あのとき、ユリス様、なんて言ってたの?」


 ピゲは猫の耳でしっかりと聞いてしまった彼の言葉を低い声で再現した。


「『このお店が無くなるようなことがあったら、アディエール家が黙ってはいない』って、すご~く怖~い声で言ってた」

「ひぇっ」

「なんでリリカ、そんなに慌ててるの? そんな凄い人と知り合いになれて普通嬉しくない?」


 首を傾げ訊くと、リリカは半笑いのような泣き笑いのような、とにかく変な顔をした。


「……私、彼の護衛を断ったの」

「へ?」


 リリカは変な顔のまま続ける。


「言ったでしょ、お城に護衛に来ないかって話もあったって。……あれ、ユリス様の護衛だったの」

「うーわー」


 ピゲはそれしか言えなかった。


「ユリス様、そのこと知っていたと思う?」

「知らないはずがないよね」

「ですよねーー! あぁ~どうしよう! 私、すっごく失礼な態度とってなかった!?」

「常にとってたね」

「ああぁ~~最っ悪! どうしよう、ねぇピゲえええぇ~~……!?」


 ボーン、ボーンという振り子時計の音と共にリリカの悲鳴がいつまでも店内に響いていて、ピゲは耳を伏せさっさと寝たふりをした。






 『リリカ・ウェルガー時計店』――通称「魔法通りの魔法を使わない時計屋さん」に、公爵家の三男坊が足繁く通っていると噂になるのは、もう少しだけ先の話。




 END.



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― 新着の感想 ―
[一言] おはようございます。 とても面白かったです! 物語に引きこまれて、 どんどん読み進められました。
[一言] 読みやすく、自然と朗らかな世界観を感じることができました(・∀・)時計に関するネーミングも細かくて好きです
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