神と人間における「罪」
中世の西欧、流行病や飢饉が連続して、国の上層部はそれを「何かの所為」と考えたかった。そして多くの国民もその感情に引っ張られて国は動くモノ。そうして「魔女狩り」が始まった。
魔女として拷問を受けて殺された人間の中には、幼い少女や生まれたばかりの幼児までいた。古い時代から虐殺は繰り返されているが、罪を償わせるために拷問をするとは、いやはや人間とは恐ろしいサルだ。
神はこの行いをどう思うのだろうか。どんな悪事を働く者でも、どんな姑息な人間でも、祈りながら捧げ物を持ってくれば許されるというのだろうか。その行為がどれだけ周りに悪影響を与えていようが、許してもらえるのだろうか。魔女狩りを決行して多くの人間を殺した国は、民衆の不安を憎悪にすり替えていく。それで民衆は多少なりと満足しただろう。魔女狩りをせずに心の削れのために消えていく命の数と、魔女として処刑された人間の数を比べ、後者の方が少ないのであればそれは正しい行為なのか。それとも小を捨てて大を拾う方法がありながら、何もせずに命が消えていく方が罪なのか。
魔女が消えたこの国を我が物顔で歩く人間が、神の許しを受けるのならば、神が用いる基準とはどのようなモノだろう。では神によって許される罪を、人間は許しているだろうか。いや、そんなことは無い。生きるために、ただ生きるために食べ物を盗んだ弱き者を、全ての人間は許しているか。もっと言えば、道ばたで倒れる人間を見て見ぬ振りする通行人全て、罪は無いと言うのか。
この世を創り、人間を創った神。ならば全ての罪を作ったのも神だ。その神が許す罪を人間が許していないのであれば、人間は神の意志に反する「反逆者」だ。そしてその「反逆者」を、神は罰するのだろうか。
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このお話の筆者として登場するキャラクターは無神論者です。人間は宗教に対し非常に盲目だと思います。特に日本人は神道と仏教が一緒くたになっていて1つの宗教を信じるという意識が薄いと聞いたことがあります。僕もたまに信じるモノについて考えて、迷路に入ってしまうことがあって、考えることの難しさを感じますね。特に「正解が無い事」を考えると出口がありませんから。でも、考えることを止めてしまうのは、人間を止めることと同じ事なんじゃ無いかなとも思って、また迷います。こうして悩んでいることが、人間という生物である証明なのかも知れません。我思う故に我あり、的な。後書き長いですよね。小説を軽く1つ書いた後は、安心感からなのかつまらないことを言いたくなっちゃいます。はい、この辺で終わります。
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