96 森のお喋り爺ちゃん
どうしよう…。アルに左手のことがバレた。
学園にも帰れず、かといって用もないのにモルゲン邸に行くのも気が咎めて、私は王都を彷徨っていた。昨夜近郊の森が火の海になった影響か、いつもより人出は少なかったけれど。それでも、雑踏に紛れていると少しだけ落ち着いた。
これから、どうしようかなぁ…。
あの夜、少なくとも王太子と魔術師団の数人には面が割れただろう。だから、下手に学園に戻らない方がいいかもしれない。なら、モルゲン邸に戻るか。夜会も終わったし、お嬢様もじきにモルゲンに戻るだろうから、護衛代わりに同行する。
「それが、いいかもな…」
そう呟いた私は、肩をグイと引かれて現実に引き戻された。
「ッ!」
「…ッと、どうどう!殺気立つなって~」
ひょろりとしたいけ好かない男――姿を偽った攻略対象、セヴランと、神々しいばかりに美しいコソ泥エルフが、引き攣った顔で並んで佇んでいた。
◆◆◆
「お願い?私に?」
半ば無理矢理連れて行かれた料理屋で。
敵国の諜報員二人はぶんぶんと首を縦に振った。
「おまえ、魔の森の力を使えるんだよな?頼む!あのバケモノを止めてくれ!」
「あのトカゲ、何をとち狂ったのかグワルフ側に火焔攻撃しまくってて!」
助けてくれ、とテーブルに擦りつける勢いで二人揃って頭を下げてきた。
…はぁ。
この人たち、魔の森を便利な道具みたいに思ってない?違うよ?
「私…そもそも魔の森の力なんか使えないよ?」
…それっぽいのは、つい昨日使った気がするけど。
思うようにコントロールできるわけじゃないんだよ。アレは…もう、使いたくない。無意識に左手に触れた。
『アルフレッドルートのラスボスがね、邪竜っていう真っ黒な竜なんだ。サイラスは、たぶん呑み込まれようとしてたんだと思う。言動が「ニクイ…」とか「ユルサナイ…」とかヤバくなるから。完全に邪竜に取り込まれる前…まだ人間の内に、アルフレッドが…』
これ以上、暴走するのはダメだ。本当に、あの黒い竜――邪竜に呑み込まれてしまう。
「聞かなかったことにするから。他を当たって」
「わかった」
…なんか気味悪いくらいに聞きわけがいい。
「というわけだ!みんな!出てこい!」
一斉に姿を現す金髪碧眼の美人軍団……
え?この人たちエルフ??
美人軍団とクィンシーが手を繫いで私を取り囲んだ。
「「「「「《転移》!」」」」」
光の粒子が舞い……
ストン
「は?!」
黒く焼け焦げた森に、私は瞬間移動していた。周りには美人軍団とクィンシー、そして…
「ギィエエエエエ!!!」
彼方から魔物の咆哮と閃光、一拍遅れて爆発音と熱風が辺りの空気を揺すぶった。
◆◆◆
さあ、アレを見にいきますよ~
マジか…?!
焦土と化した森を、クィンシー先導するエルフ軍団に両脇を固められた状態で連行され、国境線の崖のすぐ後ろまでやってきた。あそこだと言われてみると、十メートルくらい先に、赤くてヘンなトカゲっぽい魔物がいた。こちらに背を向け、時折口から火焔放射している。
「アイツが問題の魔物よ」
『そうなんじゃ~』
…なんか混じった。
「アイツ、グワルフ側に火ィ吐きまくってて!困ってるのよ!」
『わざとじゃないんじゃて~』
やっぱりなんか混じってる。誰ですか?
両脇を抱えられた状態でキョロキョロすると、真横に白髭を蓄えた爺ちゃんがいた。気のせいじゃなかったら、爺ちゃん身体が透けてる。
『話せば長いんじゃが…ちょこっと前にの、千年くらい前かの~、ちょっと人間と拗れてワシ、封印されてしもうて…あーでこーで…』
……五分経過。
『…だったんじゃもん。でな?パクッと食べたらぐうー…っとなって、気がついたら知らん所で人間に世話されとった!それがもー、やれ訓練じゃからと一日二食しかくれんし、昼寝もさせんとか最近の人間ちゅうのはうんたらかんたら…』
…十分経過。
『そしたらの!ある夜、美しく妖艶な蝶のような女人がヒラヒラ~と飛んで来て、チュ~~ッとされて…気がついたら朝になっとった…!その女人というのがあーたらこーたら…』
…二十分経過。
『そうそう女人は一人じゃなかったのよコレが。今度来たんは烏の濡れ羽のごとき漆黒の美女!それがまたパカパカ~と来て、チュ~~ッとされて…気がついたら朝になっとった…!それで…』
も、いいかな?このお喋り爺ちゃん。
どーでもいいことばっか話してるし。
「なあ…聞いてるのか?あのトカゲがここで暴れててグワルフは大変なんだよ!何とか魔の森の魔力とやらで抑えられないか?」
痺れを切らしたクィンシーに、肩掴んで揺すぶられた。
ああ…話半分に聞いてたけどね。崖登りしてこの国に奇襲かけようとしたところに、あのトカゲが大暴れして侵略軍は壊滅的被害を受けた。このままじゃ、ペレアス攻めが暗礁……
相談する相手を間違ってるよ!
「あー…いーんじゃない?別に。トカゲが火を吹いてるのって荒野だし。人住んでなさそうだし。ここで暴れててくれれば、戦争起きないし」
問題ナッシング!平和万歳!
帰ろ帰ろ~。
「よくない!荒野でもグワルフ領だ!放置して帰れないんだ!」
…そんなの自分たちで何とかしなよ。私、関係ないし。
「『そこをなんとか!』」
クィンシーとヘンな爺ちゃんの声が被った。
『助けてくれぃ!紅くてキラキラした魔力の塊みたいな石を食べたら、嚔が止まらんのじゃ!』
へぇ~~。火焔放射、クシャミなんだ…。
花粉症じゃない?あと、落ちてるモノを拾い食いはしない方がいいよ?
「あんな不気味な化けトカゲがウチに火を吐き続けるとか…それを何とかするまで戻ってくるなとか…ボスが怖いの~」
フリーデさんが訴えた。
『ぶ…不気味な化けトカゲ…。ワシ、ショックぅ~』
何気ない言葉に、ず~んと落ちこむ爺ちゃん。元がどんなんだったのか知らないけど、赤いトカゲゾンビだよね、アレ。普通におどろおどろしいし、気持ち悪い。
『本当のワシはあんな小汚いトカゲじゃないんじゃ!もっと大きくて美しくてモッテモテのあんなんでこんなんで…』
…ハイハイ。帰ろ。とりあえずハチを呼んで…
『待ってくれ!助けてくれたら、温泉を作ってやるぞ!』
「…温泉」
それは…ふむ、一考する価値はあるかも。大きなお風呂、それは憧れ。
『おお、話のわかる人間よの。ついでに、その左手の異形もワシにかかればちょちょいのちょいとなっ!』
「!……わかった」
治してくれる…と信じるからね?何か勘違いして抱きついてきたクィンシーを振り払い、私は赤いトカゲゾンビを見た。
「で?具体的に何すればいいの?」
呑気にお喋りしている間も、トカゲゾンビは間断なく口から火焔放射をし続けている。すんごい威力だ。結界じゃ防げないね。万が一クルッと振り返って火焔放射されたら、ハチに引っ張ってもらって影に避難した方が確実そう。
『千年も前のことで記憶が定かでないんじゃが…(中略)、ちょこ~っと封印が緩んだようなそうでないよーな…(中略)何だったかな~え~と…(中略)、あ、そうだった!陣じゃ!半分…ほぼ寝てて覚えてないんじゃが(中略)、なんか陣っぽいもののせいでワシはあんなトカゲみたいな矮小な姿なんじゃ!あの忌々しい陣さえ壊れれば、この程度の食中りどうということはない!堂々復活し、温泉を作ってやろうぞな』
長々と話した割には重要なことが大雑把、アバウト過ぎるよ…。まあ、その陣?それ、どうやったら壊れるの?
『それがわかれば苦労せんのだ』
…わかんないのかよ!
……。
……。
心配そうにしなくても、帰らないから。
だって、その陣(?)を何とかしたら温泉と、私の左手を治してくれるんでしょ?治ったらアルに…ちゃんと謝って、もう大丈夫って言えるから…
「なんかヒントないの?その陣の見た目とか」
「さっきから誰と話してるんだ?」
忘れかけたところに、険しい顔のクィンシーが顔を覗き込んできた。
「別に」
「はいウッソー!それ嘘ォ!おいなんかわかったのか?」
…そういやこの人、嘘を見破るんだっけ?
つーか…クィンシーにも美人軍団にもこのお喋り爺ちゃんは見えてないのかな。
「何も」
「はいウッ……や、本当か。あれ?」
キョトンと首を傾げるクィンシー。やっぱ見えてないのか。
「とりあえず退いて」
「…ハイ」
素直に退いてくれたので、私はずんずんと暴れるトカゲゾンビの近くまで歩いていった。
「ティナ。あのトカゲ、どっか縄とか紐的なものとかついてるの?」
いざという時頼りになるのは、やっぱりティナ先生だ。なんとなく…お喋り爺ちゃんと似たような種族っぽいし。
「……。」
「ティナ?」
「……見せてあげる」
「?ありがとう、ティナ」
『あ、ちょ…』
お喋り爺ちゃんがなんか言いかけたけど、『ま、いいか』と口を噤んだ。ん?
慣れ親しんだ湖の魔力が身体を包む。左手がずきりと疼いたけど…治してもらえるし、いいよね?
「足に引っ掛かってる網みたいなモノ。アレがそうなの?」
『お…おおっ!そうじゃ、それじゃ!』
トカゲゾンビの後ろ脚に、ほんのり光る網みたいなモノがある。よくよく見れば、魔法陣の一部のようだ。学園の図書館で、似たようなヤツ見たことあるわ。壊す……解除って確か…
「《解呪》」
闇魔法の魔法陣は光魔法で解呪、光魔法の魔法陣は、闇魔法で解呪――ファンタジー世界らしいね。図書館の本には、光魔法の魔法陣は十中八九『悪しきモノ』を封印してるから闇魔法で解呪とか安易にやるなよって書いてあったけど。
ピキッと網みたいなモノに小さな皹が入って、ポロポロと崩れて消えていく。そして途端に魔物の気配が爆上がりした。
……え?!
『おおっ!!我は自由ぞォ!!!』
お喋り爺ちゃん、口調!変わってる!!
「おおおお…おまえ!何やったんだ?!」
クィンシーに肩を掴まれたと同時に、トカゲゾンビに羽が生えた。そして…
『ヒャッハーー!!!』
おおいっ!!
ひゅーん、と飛翔したトカゲゾンビは綺麗な放物線を描き、荒野のちょっと小高い丘みたいな所に頭から突っ込んだ。え?!
ゴゴゴゴゴ……
ドッカーーン!!!
丘が噴火した。
「「「「「ええええっ!!!」」」」」




