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91 奇襲 奇跡 悲劇

残酷描写あり!苦手方は注意!

「ギャアアアアア!!!」


夜の森にライオネルの絶叫が響き渡る。

彼は初めて魔物というモノを目にした。人間の何倍もある大きくて毛むくじゃらで、鋭く凶悪な牙を剥き出しにして威嚇する魔獣に、彼はパニックに陥った。目の前の脅威から逃げようと、転げるように駆け出した先は、真っ黒な森の中。グワルフとの国境の崖がある方角へ、彼の姿は消え失せた。


「あら、まあ…残念」

ノエルは、何でもないように呟くと、


「終わったら連れて帰ってきて」

無表情に操っている王国騎士に命じた。


「じゃ、はじめようかしら」


取り出したのは、あらかじめ手に入れておいた檻の鍵。傀儡術を使える彼女にとって、鍵を手に入れることは造作もなかった。それを、残った一人の騎士に手渡すと、彼は濁った瞳のまま鍵を順々に開け始めた。


「あ…」


金属が擦れる音と、呻り声。恐怖のあまり、アナベルの身体が小刻みに震えだした。アナベルとて、魔獣と出くわした経験など無いも同然だ。ただ、魔獣が人を襲うことだけは知っている。背を冷たい汗が流れ落ちた。


「アナベル様ー!!」


だから、己を呼ぶ声は幻聴だと思った。こんなところで、好きな人の声が聞こえるなんて、己の願望のなせる幻聴に違いないと。だが、


「キャッ!誰?!」


狼狽するノエルの声と、複数の蹄の音、そして、すぐ目の前に聞こえる息遣いに、現実かもしれないと、顔をあげた。


「今、縄を解きます」


少し焦ったような声――聞きたくて堪らなかった声に、思わず身体から力が抜けた。


「アナベル様!」


崩れ落ちた己を抱きとめてくれたのは、確かに…


「ロイ、様。来て下さった…」


我慢していた涙がポロポロとこぼれ落ちる。アナベルが寄りかかってやりにくかっただろうに、ロイは手早く縄を切ってくれた。

「もう、大丈夫ですよ」


◆◆◆


「アイツ!逃がさない!」


白馬にしがみつき逃げるノエルの姿を、雷撃の閃光が照らし出す。



よりによってあの少年が来るなんて…!



「ッ!どうして?!早くアナベル(エサ)を食べなさいよっ!」


ノエルとしては、ここでアナベルが無残に死に、そこにライオネルが居合わせればそれでよい。十分、争いの火種になる。このままグワルフに征服されるよりは、数段面白くなるのに…。

なのに…なぜ、あと少しのところでうまくいかない…!



ノエルは、魔獣飼育場がとある使い魔たちの餌場同然にされていたことを知らない。


夜ごと魔力を吸い尽くされた檻の中の魔獣たちは、目の前に放り出された取るに足(魔力もロクに持)__らないエサ(たない人間の小娘)のために重い身体を動かそうとはしなかったのである。



追ってくる少年を何とかしたいが、専ら他人を操る魔術に特化したノエルは、攻撃魔法はからっきしだ。懐に隠し持った賢者の石――魔物を強大にする紅い宝石を檻の魔獣に使えば助かるかもしれないが、暴走した魔獣がエサ(アナベル)を勢い余って跡形も無く吹き飛ばしてしまっては、せっかくの計画が台無しになってしまう。公爵令嬢の遺体を跡形も無くして謎の行方不明にしたって意味が無い。


ノエルの馬もまた、追い立てられるまま暗い国境の森へ飛びこんでいった。



同じ森。崖を登りきったグワルフ軍たちが、静かに進軍を開始していた。


そして――


ほどなく両者は相見えることになるのだ。




「サイラス!深追いはするな!」

後方で騎乗して私を追うアルが叫ぶ。


わかってる…これは見方によれば、護衛を連れたメドラウド公子息がペレアス国王太子を追いかけている図だから。アナベル様を連れ去って魔獣のエサにしようとした犯人に拘るべきではない。アナベル様の立場を悪くしないためにも。


でも――


すぐ目の前に奴がいるんだ。


左手を使えないのが惜しい。弓が使えれば!至近距離を走る奴を、例え馬上からでも、動く目標を射落とす技量を私は持っているから。


闇の中で力を増すハチは、木々が生い茂る森の中でも速度を落とすことなく風のように走れる。


追いつける!決して逃がさない!


そうして、森を駆ける私の耳が複数の異音を拾った。


◆◆◆


彼らを見つけたのは、ノエルが先だった。前方に突如現れた複数の人影。咄嗟に糸のような魔力を絡ませ、得た情報によれば。


「グワルフ軍…!崖を登って?!」


森の向こうは切り立った崖で、その向こうはグワルフ王国だ。自然の障壁に阻まれたここは、護りも手薄……なるほど、考えたものだ。


己を追う蹄が迫る。カッ!と閃光が閃き、近くの木に炎が揺らめく。森を照らす赤々としたそれに、ノエルの口許がきゅっと上がった。


「なっ!待ち伏せか?!」

こちらへ駆けてくるグワルフ軍が、応戦すべく陣形を整えている。


…ちょうどいいわ。何人か借りるわね。


素早く伸ばした魔力の糸で、哀れな兵を数人引き寄せ。パラパラと、紅い宝石をばら撒いた。


呑みなさい!


賢者の石は、人を魔物に変える。石の魔力が尽きるまで、かの魔物は死ぬことも許されず、理性を破壊され暴走する怪物となり果てるのだ。


◆◆◆


その頃、アナベルとロイは。

魔物の檻から少し離れたところで、サイラスたちの帰りを待っていた。


ロイからは、先に安全な寮なり公爵邸なりに戻るよう勧められたのだが、サイラス(女の子)を置いていくことをアナベルが躊躇ったのである。


「あの子、大丈夫かしら…」

何度目かの問いをアナベルが口にしたとき。

不意にぎゅっとロイの胸に抱きこまれた。


「?!ロイさ」


「静かに…!」


しばらくの間、どくどくと早鐘を打つ互いの鼓動だけが聞こえる。長くも短くも感じる時間のあと、


「無体をお許し下さい」

ロイの静かな謝罪で我にかえった。


「檻の魔獣が一匹、動きました。森の方へ向かったようです」


「森?あの子たちの方へ?!」


それは、悪い方向に事態が動いてないだろうか。


「アナベル様、ここを離れましょう。サイラスにはアルフレッド様がついております」


真摯な忠告だ。わかっている。自分の存在が足手まといなことは。サイラスには、さらに使い魔もついているのだ。か弱い女の子ではない。


心配は…ない…。


ないの…?本当に?


「でも…」


森へ行った魔獣は…


◆◆◆


森ではグワルフ軍と突如現れた正体不明の魔物と、サイラスたちとの三つ巴の戦いの最中にあった。いや、正確にはグワルフ軍VS魔物、サイラス・アルフレッドVS魔物と言った方が正しいか。


魔物と互角に戦えている二人に対し、魔物に一方的に蹂躙(じゅうりん)されるグワルフ軍。彼らにはサイラスたちを認識する余裕さえなかった。そもそも奇襲する側だったのだ。警戒心はゼロではないにしろ、よもや自分たちが襲われようとは夢にも思っていなかった。


「陣形を崩すな!魔法師団、前へ!!」


そして、余裕を無くした人間は注意散漫になる。後方にいて指揮を執っていたグワルフ軍副将軍の男もまた、突然の襲撃に思わず、前方の部下を鼓舞すべく大声を張りあげた。周りも見ずに。


「隊列をォ!!怪我人は下が…ぐああ!!!」


彼の断末魔は、戦いの喧騒に掻き消された。


◆◆◆


マ…リョク……チ、カラ……


暗い森の中を一匹のトカゲに似た魔物が這っていた。先程、強い魔力の気配を感じたのだ。力の弱った魔物は、本能的に強力な魔力の気配を辿り…


アッタ…!マリョク!


ぱくり。


紅い輝き――ノエルの落とした賢者の石を呑み込んだ。


◆◆◆


それは突然の出来事だった。

夜の森を一直線の閃光が奔ったかと思うと…


ドオオオオン!!!!


直後、地が鳴動し、森を分断するように紅蓮の炎があがった。煌々と照らされた森から、眠っていた獣や鳥たちが我先にと逃げ出す。

はじめのそれから間を置かず、再び閃光が奔り、飛び石がごとく点々と森に爆炎があがる。それは当然――森で戦うグワルフ軍にも襲いかかった。至近距離で爆炎が上がり、グワルフ軍の一団と魔物が一匹巻きこまれた。


「アル!飛び移れ!!」


言うが早いかハチがアルの襟首を咥えて、影に潜る。その真上をバケモノのように巨大な火炎が掠めていった。




森が火の海に――。

そのあまりに唐突な変化に、避難しようとしていたロイはアナベルを抱えたまま、呆然と立ち竦んでいた。

断続的な閃光と、噴き上がる炎――そして。


地獄絵図のような森から現れた人影に、二人の目は釘付けになった。


服は、元の煌びやかな夜会服がわからないほどに、汚れ黒ずんでいた。森の中を歩き、かつ焔に灼かれたのか襤褸(ぼろ)も同然に。いつもはきっちり撫でつけ整えられているはずの金髪も、すっかり乱れていた。僅かに顔を俯けているので、その表情は窺えない。しかし、ゆっくり歩んでくる彼は…


「ライオネル…殿下?」


しかし、そのライオネルは両脇に何かを抱え、引き摺っているようだった。やがて近づいてきた彼の両脇にあるモノが明らかになる。



男の生首と、だらりと頭を垂れ、ピクリとも動かない銀朱の長髪の娘。



「ひっっ!!」


己にしがみついていたアナベルの身体が崩れ落ちた。

意識こそ失いはしなかったが、その身体は小刻みに震えている。不敬如何は今はいい。ロイは、アナベルに悍ましいモノを見せぬよう、彼女の顔を己の胸に抱きこんだ。それが、目の前の王太子にどのような印象を与えるかも知らず。


「ハハハハッ!アナベルよ!やはり貴様遊んでいたか!!」


振り切れたような大声が目の前の男から発せられた。…見たところ、王太子自身に怪我らしきものは見受けられなかった。ライオネルは王族、王太子だ。普段から高性能な魔道具を装身具として多く身につけていたのだろう。


不意に、胸に抱いた少女が、グッと足を踏ん張った。そして、震えながらもゆっくりと体の向きを変える。


「一体…どうなさったのですか。殿下…その、何者を討ちとられたのでしょう。その娘は…?」


蒼白な顔で、アナベルは何とか立ち上がり、血ぬれの王太子に問いかけた。至近距離にあまりにも悍ましいモノがあるのに。彼女は、後ろ手でロイに己を支えてくれるよう頼んできた。つまり、彼女はこのイカレた王太子を相手取り、説得し落ち着かせるつもりなのだ。危険を承知で。


「森をコソコソしていた者共の頭よ。俺が殺してやった!!」


耳障りな哄笑(こうしょう)が響く。アナベルを支えるロイの耳に、彼女がコクリと喉を鳴らす音が聞こえた。


「森を?賊ということでしょうか。それは、武勇にございました」

刺激しないよう、褒め言葉を口にするアナベル。


気をよくしたのかは判らないが、ギラギラした目のまま、王太子はカッと歯を見せて笑う。


「では、そちらの娘は?無事、なのですか?」

アナベルが震える声で問うた。


未だ動かない銀朱の頭――ロイには、微かだが彼女の背が上下している様が見てとれた。少女は生きている。気を失っているだけだろう。呼吸の様子から、大きな怪我は無いと思われる。


「フフフッ…ハハハハッ!!!」


突如天を仰いで笑い始めたライオネルに、ざわりと嫌な予感が身体を駆け抜けた。魔力が…


「?!伏せろ!!ア…」


咄嗟に王太子とアナベルの間に割り込んで、身体ごとアナベルを地に倒そうとしたロイの叫びは半ばで途切れた。背を、灼けるような痛みが襲う。目の前には、見開かれたブルーグレーの瞳があって――


「いやあァァァァァ!」


護りたいと思った少女の絹を裂くような悲鳴を最後に、ロイの意識は闇に堕ちていった。

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