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79 波乱の足音

公爵令嬢たるアナベルの朝は早い。日の出前には起きて、侍女の手で身仕度をされながら、一日のスケジュールを確認する。


未来の王妃として、学生だけやっていればいいわけではなく、王妃教育から王太子に伴っての公務に加え、夜会や茶会、細かな会合を入れればスケジュールは分刻みだ。


多忙な上、常に人から見られる彼女はいつ何時も美しくあらねばならない。酷な要求だが、アナベルはそれを見事にやってのけていた。



とはいえ。


何の潤いもなく、日々強く在れる人間はいない。


アナベルはふと、窓辺に活けられた花に目を向けた。夏を象徴する雑草の花は、まだ下を向いている。


「ねえ、アイナ。彼、名前を何と言ったかしら?」


髪を結う侍女に、アナベルは思いたって尋ねた。


「ああ…ロイ・フォン・デズモント様の影武者の、」


「そう。彼の本当の名前は何だったかしら?」


同じ古参派に属する『本物』のロイとは面識がある。と言っても、挨拶をして夜会で一度踊ったくらいだが。


確か、線が細くて繊細な少年で……ああ、ステッキを持っていたっけ…。少年には珍しいアイテムだったので、妙にその部分だけ記憶が鮮明だ。


彼の家が騎士学校に身代わりを差し出したのは、『本物』のロイが虚弱だったから。そして、常に彼の後に控えていた影武者の少年がその身代わり――


そこでふと思い出した。


ステッキ……確か『本物』のロイは、片脚が不自由ではなかったか。幼少期に大病を患ったとかで…



どうして、彼は夜会で自分と踊れたのだろうか?



「お嬢様、」


記憶の海に沈みかけたアナベルは、ハッと我にかえった。

侍女は既に髪を結い終わり、主が立ち上がるのを待っている。


「今、行くわ」


学園で午前中を過ごした後は、婚約者たる王太子との公務が控えている。アナベルは頭を切り換えた。


◆◆◆


王太子との公務内容は、南部の古参派貴族との会食だ。


相手方に会食の誘いを出したのは、他ならぬアナベル自身。この会食は、政治的に大変重要なものと、アナベルは認識していた。



ペレアス王国は、南に行くほど渇いた土地が広がり、食料自給率が低い。しかし、南部には国の財源を担う鉱山と、遥か異国に続く重要な通商路が通っており、決して軽視できない。


それが、国の北方で戦争を繰り返すとどうなるか。


戦争は糧食をはじめとする物資を大量に消費する。当然、国内のモノの流れは戦場たる北を向くことになる。一度きりの戦争なら、その後物流の流れは本来あるべき方向に戻るだろう。しかし、数年おきに戦争が繰り返されれば、それは元に戻らなくなる。結果、本来、積極的に物資を流さねばならない南部は長い間干されることになった。



(彼らの不満を解消しなくては。本当は、私たちがあちらに出向くべきだけど…)


無論、理由を明らかにした上で提案はした。

しかし、アナベルの婚約者たる王太子ライオネルが拒絶した。


「なぜ王族自ら出向く必要がある。アレらは家臣だ。王都に呼びつければ良い」


彼は端からアナベルの言葉など聞いてはいなかった。

いや、聞く気などなかったと言った方が正しいか。


政略で結ばれた二人に愛などない。そして、王妃の息子たるライオネルが、反王妃派のアナベルに良い印象を持っているはずもなかった。


(私が…もう少し器用なら、)


もう何度、そう思って唇を噛んできただろう。


アナベルは確かにそこらの貴族令嬢に比べれば優秀だったが、婚約者を手の平で転がす芸当だけは不得手だった。公爵令嬢として求められる態度を取れば、王太子から見れば尊大で傲慢に映ってしまう。かといって階級ピラミッドの頂点近くにいる自分があまりに低い態度を取るのもまた、周囲への示しがつかない。ジレンマだ。


(呼びつけてしまったものは仕方がないわ。おもてなしと、対話で取り返しましょう)


気を引き締めて臨んだアナベルだが…


「王太子殿下には、感謝してもしきれません」


開口一番予想外のことを言われ、面食らった。


「働きかけて下さったのは、他ならぬ王太子殿下と窺っております。領民は貴方様に感謝しきりでございます」


目を三日月型にして笑み崩れる南部出身の貴族の言葉は嘘ではないらしい。けれど、何がどうなっているのかさっぱりわからない。


「それはよかった」


一方のライオネルは、機嫌良さそうに酒を掲げた。

その様子をチラと見て、アナベルは内心でため息を吐く。


(何も考えてないのね…)


ライオネルが政治に興味が薄いことは、かなり前から気づいていた。物事を深く考えず、愛想笑いもそのまま好意と受け取る……未来の為政者として不安しかない。


(これは、いろいろと探らないといけないわね)


公爵令嬢として完璧な笑顔を張り付けつつ、アナベルは密かに決意した。能力に欠落のある王族を支えるのもまた、王太子妃の役目だ。


◆◆◆


終始和やかな雰囲気で会食を終え、南部出身貴族らを送り出し、アナベルを帰した後で。王太子ライオネルは、足早に自らの宮に向かった。宮の奥まった一角――王太子が住まうエリアの一室の扉を開けた。


「お帰りなさい!」


明るい声と同時に、ストロベリーブロンドの髪を靡かせて、一人の少女が駆け寄ってきた。


「会食はいかがでしたか?」


甲斐甲斐しくライオネルがジャケットを脱ぐのを手伝いながら少女が問いかけた。


「おまえの言うとおりになった。アレらは俺に礼が言いたくて堪らないようだった」


対してライオネルは満足げに答えた。


「ふふ。よかったです、お役にたてて」


愛くるしい笑みと上目遣いで見上げてくる少女は、見た目通り可愛らしかった。


(ニミュエの娘とは大違いだな)


二人の少女を引き比べてライオネルは心中で独りごちる。


もうじき処刑されるが見目のよい娘がいる、と聞いて、退屈しのぎにと牢を訪れ、ライオネルは少女と出会った。

あの時傷んでいた髪は艶やかになり、荒れた肌は艶を取り戻した。牢から勝手に連れだしたため、幻惑魔法で本来の姿を隠しているが、内側から滲み出る生来の愛らしさは隠せない。


「そう言えば、お客様をおもてなしするのはニミュエ公爵様でしたっけ?」


「ああ」


子犬のように寄ってきた少女の髪を軽く撫でながら、ライオネルは何気なしに答える。


「ね!私たちからも招待状を出しましょう!」


「…何のだ?」


突然少女が掲げた提案に、ライオネルは面食らった。


「何って夜会のです。お客様をおもてなしする。ニミュエ公爵様は王妃様をよく思っていないのですよね?私、嫌なんです。このままニミュエ公爵様にあの方たちをお任せすれば、王妃様やライオネル様のことを悪し様に言われるかもしれないじゃないですか」


「それは…」


思いもかけぬ少女の悔しげな声音に、ライオネルの心が揺れた。それに、確かにその可能性は十分すぎるほどにあるのだから、尚更。


「あの人たちの思うようにさせちゃダメです。あの人たちは、面倒なことを引き受けるフリをして、ライオネル様を出し抜こうとしているわ。私、これでも人を見る目はあるんです!」


熱を帯びた声で少女は訴えてきた。その目は微かに潤んでいる。


「あの人たちを私たちの味方につけましょう?そうすれば、ライオネル様の功績になるし、あの人たちの力を削げます」


南部には重要な鉱山がありますよね?あの人たちは、それが欲しいがためにあの人たちを縛りつけている。本来はライオネル様たちのモノなのに、掠め取ろうとしているんですよ!


「なんと…!」


少女の言葉に目を見開くライオネル。


確かに彼女の言うとおりかもしれない。いや…間違いない。


ライオネルは思った。

何せ彼らはもう何年も前から、南部出身の貴族とつながりを持ってきた。その理由と、少女の言葉がピタリと符合した。


「ご…ごめんなさい。私、ライオネル様に出過ぎたことを」


気づくと、しゅんと項垂れる少女の声が震えている。どうやら考え事のあまり、恐い顔になっていたようだ。


「すまないな…おまえのおかげで真剣に考えるべきことだと気づいたんだ」

婚約者には酔っ払っても出てこない言葉が、口から滑り出る。


こちらを見上げた彼女が、恥ずかしそうに俯く。


「ライオネル様のお役に立ちたくて。一生懸命勉強したの」


女なのに…生意気かな?


問われて、ライオネルは柔らかく否と答えた。


「俺のために頑張ってくれたんだろう?誰が生意気なことか。むしろ、よく教えてくれた」


不安げな彼女の頭を撫でてやると、彼女は心地よさそうに目を細めた。


◆◆◆


会食を終え、アナベルは学園に戻ってきていた。

といっても、午後の一コマ授業を受けたら、もてなしの夜会の支度のため、公爵邸に一度戻らねばならない。夜会とは無論、あの南部出身貴族を招いたそれである。


(今まで北へ流れていた物資が南へ流れるようになった?)


そんな報せは受けていない。

南の調査は以前から現地と書簡をやりとりして入念に行ってきたが、そんな兆しはまるでなかったのだから。


午後の一コマ目が始まった学園の庭は閑散としている。調べ物で出遅れたアナベルは、独り庭を散策しながら考えをまとめようと、今一度部下が急いで用意した南に関する書類に目を落とした。


(数字に不自然なところはないのよね…)


数枚の書類を見比べようと、それらを持ち替えようとした時、手許が狂って数枚を取り落としてしまった。ふわりと風に舞った紙が、黒い靴のつま先に音もなく当たった。

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