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76 モルゲン邸に潜む者

あのニンジンの行方は…

朝。モルゲン邸の従業員食堂から話し声が聞こえてくる。


「おはようございます」


「これはヴィクター殿。今朝は早いのですね。急な仕事でも?」


ヴィクターは彼よりも少し前からこの屋敷で働いていると聞く。ダライアス様の命で動いているらしいが、彼の抱える大半の仕事はお嬢様絡みと、家事DIYである。


凄いんだ、この人。


「時短です」とか言いながら、新たに赴任した自分が使うための寝台を生木から半日で作ってくれたんだよ。



寝台って生木切り倒して時短で作るモンかな?



田舎の人ってコレが普通なの??

よく、都会の人間は田舎では受け入れられないと聞くけど…納得。壁が高すぎるわ。


「サイラスが来る予定ですからね。少し張りきってしまいまして」

柔らかな笑みで答えたヴィクターに、彼は目を瞬いた。


「ふふ。あの子の好物を用意しておこうと思いましてね」


「…ああ。だからエプロンをなさっているのですね?」



…ピンクのフリフリエプロンってどうなんだろう。新婚さんか??



それにしても、ヴィクター自ら手料理を振る舞うのか。少年とは同郷だと言うし、先輩が後輩を可愛がるのはよくあることだ。どちらかというと手料理を作るのは、女性の役割だけど。


「年頃の少年……ということは、肉ですか?」


彼の脳裡に浮かんだのは、最近王都で話題の特盛料理――通称『地竜』盛。安い羊肉の薄切りを切れ目を入れたパンにバランスの限界まで盛りに盛った……オープンサンドのバケモノ。アレを作ると…


「ええ、まあ若いので肉料理も出しますが。他に十種の野菜の切れ端サラダと鶏肉のコラーゲンスープに、それからラスクも好物なんです」


「……え?」


切れ端サラダ?コラーゲンスープ??そんなのが好きなの?男なのに??


聞きかじった話によれば、サイラスは手勢を引き連れ騎士学校を強行突破、魔法学園に侵入、さらに最もセキュリティが厳重と思われる公爵令息の部屋に押し込み強盗を働いた…はず。


ということはだよ?


サイラスって、筋骨隆々とした山賊も真っ青なマッチョマンじゃないとおかしいよな?!


彼のプロファイリングが、ガラガラと音を立てて崩れていった。



そうだよな…。


庭の生木から時短で寝台作って、ピンクのフリフリエプロンした男の後輩が、普通の予測に当てはまるはずもないか。押し込み強盗するくらいだし。


常識が迷子な少年――


彼は心のメモ帳に書かれていたサイラスのモンタージュを消し、新たにそんな文言を書き込んだ。


◆◆◆


結論から言うと、モルゲン邸にサイラスは来なかった。

どこからどうアクロバティックに見ても、メドラウド公子息のアルフレッド様以外の男は来ていない。お付きのメイドが一人ついてきただけだ。


(来るのをやめたのか…?)


アルフレッド様から用事でも言いつけられて急遽来れなくなったとか…?


別に、ただの庶民である彼がモルゲン邸を訪れなくても特段不自然なことではない。今回はたまたまタイミングが合わなかったのだろう。彼はそう断じた。


しかし…


その夜。仕事を終えてモルゲン邸に戻ってきた彼の耳に、楽しげな話し声が聞こえてきた。


「嬉しそうだねぇ、ヴィクターさん」


「ええ。あの子が元気そうで本当に良かった」


話し声は、メイド長とヴィクターのようだ。



あの子…?元気そうで良かった…?



まさか。

彼の知らない内にサイラスはここに来ていたのか?


「サイラスさん、来ていたのですか?」


ぬっと出てきた彼に、二人は驚いたようだ。


「え、ええ。来ましたよ」


ニコニコと笑うヴィクター。

彼は残念そうな顔をしてみせた。


「どうしたんだい?」


「せっかくだったので、顔を見ておきたかったんですよ」


一緒に仕事をすることもあるでしょうし、と、彼が言うと二人は「ああ、」と眉を下げた。


「そのうちまた来るよ」


「ええ。今度来たときには紹介しますから」


「ぜひ」


取りなされ、ニコリと笑んだ彼に。


「そうだ。お疲れでしょう?ニンジンのポタージュはいかがですか。今、出来上がったところなんです」

ヴィクターが笑顔で手元の小鍋を示した。


「ああ、でもいいのですか?」


夕食はこれからだった彼は、素直に顔を綻ばせた。ヴィクターの隣にいるメイド長が、若干咎めるような視線をヴィクターに向ける――ああ、もしかしてヴィクターが自分用に作ったのかな。


「あの、ヴィクター殿が召し上がるために作ったのでは?」


小鍋のニンジンポタージュはどう見ても一人分しかない。やはりヴィクターが自分で食べるために作ったとしか…


「本当は厩番にと思ったのですが、起きてきませんし冷めてしまいますので」


手早く小鍋からポタージュを器に注ぐヴィクターに、「遠慮します」とは言い辛い。

それにしても、厩番?

あの中年の働き者の彼だよな?起きてこないと言っているが、まだ使用人が寝るには早すぎる時間だ。九番(厩の掃除)終わってないんじゃないか??ぐずぐずしていて掃除が遅れると、一番奥の馬小屋から猛獣みたいな呻り声が聞こえるぞ?


「さあ、冷めないうちに召し上がれ」


湯気を立てるスープに、パンを添え、ヴィクターがニコニコしながら椅子をひいてくれた。至れり尽くせり……圧を感じるのは気のせいだろうか。


「なんだか申し訳ないです」


ひと言謝して、彼はポタージュをスプーンに掬った。…視線を感じる。怪訝に思いながらも、彼はそれを口に運んだ。別に普通の味だ。美味しい。


「?」


「ごゆっくりどうぞ」


…なんかホッとしてない??


怪訝な顔をしたら、目を逸らされた。


「あの…まさか、毒見ではないですよね?」

言ってみて有り得ないと思った。どう見ても一人分しかないし。



彼は知る由もない。ニンジンポタージュの材料が、元・馬の餌で、ほんの少し前に厩番の口に突き刺さっていたものだなんて。



「毒見ではありませんし、全部食べていただいて大丈夫ですよ」


ヴィクターの笑顔がキラキラしている。怪しい…。目が泳いでいるから、疚しいことがあるのは間違いないようだが…けどポタージュは普通に美味しいし。ヘンな味はしないし、まいっか、と彼は思うことにした。


◆◆◆


食事を終え、自室に戻ろうとした彼は、ふと聞こえた物音に立ち止まった。家具でも動かしているのだろうか。音は、彼も寝泊まりしている従業員用の居室が並ぶ廊下からだ。


「ヴィクター殿?」


音を頼りに、今は使われていない部屋の扉を開けると、ワインレッドの髪の青年が振り返った。


「新人でも来るのですか?」


夜も遅い時間だ。明日から住み込みの使用人でも来るのだろうか。


「念のため使えるようにと思いまして」


箒を動かしながら、ヴィクターが答えた。念のため??


「?手伝いますよ」


しかし、彼の申し出をヴィクターは笑顔で断った。


「もう遅いですし、貴方は明日早いのでしょう?もうお休みなさい」


…ママみたい。

ヴィクターはあのフリフリエプロンのままだった。ダジャレじゃないよ。


「…はあ」


そう言われればそれ以上踏み込むこともできず、彼はひとまずその場から立ち去った。


部屋を整える物音は一時間ほど続いたが、やがて扉が閉まる音と共に足音が遠ざかっていった。

静まり返った廊下に、彼は音も立てずにすべり出た。そして、ヴィクターが施錠していった部屋の扉を針金でこじ開けた。


埃を被っていた部屋は、綺麗に掃除がされていた。光魔法で照らした室内の家具は、飾り気のない従業員用のものだ。倉庫で眠っていたものをただ拭いて運んだだけとわかる。


やはり、明日から新人が…?


しかし、それなら従業員たちに前もって報せがあってもいいはずだ。貴族の屋敷の出入りは、それなりに制限がある。


「…念のため」

ヴィクターが言った言葉を小さく繰り返す。


念のため……つまり、使うか使わないかわからない人物のための部屋と推測できるが。普通、来るか来ないかわからない我が儘な立場の従業員などいない。


しかし――


部屋を片付けていたのは、ヴィクター。そして、彼には自ら手料理を振る舞うほど可愛がっている後輩がいる。彼がいつ来てもいいように――だとしたら、この部屋は…


サイラス・ウィリスに宛がうつもりか…?


彼は、庶民だ。ならば、客室ではなく、従業員用のスペースを利用しても不思議ではない。また、来るか来ないか明らかにする必要もない、商人のような立ち位置――。


間違いない。この部屋は、『彼』のための部屋だ。


彼は、何気なくチェストの抽出を開けてみた。……案の定、空っぽだ。続く下段の抽出も順々に開けていく。そして――


「これ、は…」


一番下の抽出――一揃いだけ見つけた服は。


町娘が好みそうな可愛らしいブラウスとワンピース、真新しい編み上げブーツ。さらに女性用の下着がいくつか。


「まさか…」


アルフレッド様と一緒にいたメイド。茶色の髪に瞳は確か、空色。あの方の探す『サイラス・ウィリス』と同じ色彩――


「女、だったのか」


道理でわからないはずだ。男が女に変わっていると、どうして予測できよう。


「ふふ…」


光の消えた暗闇に密やかな忍び笑いを零し。


「あの方もお人が悪い…」

弧を描く唇は、新たな獲物を見つけた悪魔のごとく。

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