72 優雅なお茶会
「え?!そちらの九番って食事休憩なの?ま、まぁ…そうでしたの」
『業界用語』に振り回された話をすると、アナベル様は陶器のような艶やかな頬をポッと紅に染めて俯いた。清楚な水色のドレスに濃紺のショールを羽織った大人っぽい装いと相まって、実に絵になる。アナベル様可愛いらしい…
現在位置は、学園の中に数多くある庭園の一つ。アナベル様主催のお茶会の席である。
「そちらの九番とはいったい……?」
対して首を傾げるアル。
ブツブツと「謎の手紙と腹薬が届いたんだが…」と眉間に皺を寄せている。アナベル渾身の婉曲表現で盛ったお見舞い状は、案の定アルには通じなかったようだ。まあ、そもそも前提を共有できていないので当然といえば当然だが。
「我が家で九番と言えば、『蔵書一斉虫干し』だな」
「ウチでは『父のへアセット、至急』よ」
「あら。我が家では『厩の掃除』ですわ」
「俺の商会では『ワケあり品、タグ交換』だな」
お茶会には、騎士学校仲間とオフィーリアお嬢様も同席している。お嬢様、子供の頃も可愛かったけど、とても綺麗におなりだ。瞳の色に合わせた紅いドレスがよく似合う。やっぱダライアスとは似ていない。リアル天使…
「ふふ。家によって色々あっておもしろいわ。フリッツさんの『ワケあり品、タグ交換』ってなあに?」
気になるわぁ~と、ふわふわ微笑むお嬢様の問いかけに、フリッツは「なんて言ったらいいかな~」と困ったように首の後ろを掻き、しばし目を泳がせた後こう説明した。
「例えばですけど。旦那様が奥様に内緒の浮気相手に宝石を贈りたい、とする。でも、正直に宝石を取り寄せれば、奥様にバレる可能性がある。だから、店には、表向き『宝石』じゃなくて『魔石』を注文したことにしておいてくれという。もちろん商品の中身は女性用の宝飾品だけど、商品タグは『魔石』に換えておくっていう……そういうこと」
お客様の手前、あんまり大きな声で言えないんだけどなぁ、と苦笑するフリッツ。へえ…そういうこともあるんだ。九番=秘密の買い物か…。
「フリッツ様ぁ…」
ふわふわと無邪気に笑んだまま、お嬢様はフリッツの両手を己の白魚のような手で包みこんだ。そのあまりに愛らしい仕草に、さしものフリッツも心が揺れたらしい。微かだが、耳が赤い。
「そのお話、もう少し詳しく教えていただけないかしら。それって言わば、『密輸』よね?」
「ッ!」
後半、声のトーンを落としたお嬢様にギクリ、とフリッツが顔を引き攣らせた。私もびっくり。お嬢様って、ふわふわしてカワイイもの以外に関心がなかったような気がしたんだけど、『密輸』なんて言葉、どこで覚えたんだろう。
「もし、あなた方の『九番』が浮気隠しという個人レベルじゃなく、それなりの規模で行われた場合、国が混乱に陥る可能性があるわ。私の領ね、他国に通じる港がありますの」
先ほどのふわふわした印象が打って変わって、お嬢様の紅玉の瞳は鋭い光を湛えている。声のトーンも、喋り方も違う。お嬢様、もしかしてふわふわしてたのは演技なの?
「あはは…いやだなオフィーリア嬢。ウチの『九番』は個人の買い物ですよ」
危険を感じたのか、フリッツの声は笑い含みなのに固い。
「ふふ。話は変わりますけどフリッツ様、ウチに商館を持ちませんこと?先ほども言いましたけれど、我が領は交易の要所。港はアルスィルに開けておりますの」
突然話題を変えるお嬢様。
フリッツはといえば、「お戯れを」と笑った。
「小粒の駆け出し商人な俺に、商館などとても手が届きませんよ。土地と建物だけでも金貨が何百必要か」
「友人割引で特別に無料にいたします」
「はあ?!」
いやお嬢様、いきなり何を言い出すんだよ。金貨何百枚分を、今日初めて会った人間にぽんと渡すようなものだ。
「何なら一筆書きますわ。何を隠そう我が領における商館設置の権限は私が持っていますのよ?」
微笑んで言いながらも、お嬢様はサラサラと羊皮紙にペンを走らせ、あっという間にモルゲン中心街の商館の設立許可証と権利書を書き上げた。
「な…そんな馬鹿な」
言いつつ、フリッツの目は食い入るようにお嬢様が書き上げた書類を見つめている。
そしてややあって、信じられないとばかりにお嬢様を見つめた。
「モルゲン領主たるダライアス男爵閣下は油断ならない方だと聞いていたけど、まさか…」
「細々したことは、既に私の管轄ですわ。商館のことも、道路整備のことも、ね。さすがに女である私の名前を出すわけにはいかないから、お父様の名前でサインをしておりますけど」
驚きました?と、お嬢様は艶やかに笑んで小首を傾げた。
ふわふわしたミルクティー色の巻き毛が揺れる。
「それに…」
と、お嬢様はおもむろに立ち上がると、フリッツの隣に移動し、その手に先ほど書き上げた書類を握らせた。
「たかだか金貨何百枚で、これから先の我が領の平穏を脅かす密輸が防げるなら、とっても安い買物だと思いませんこと?万が一有事に発展すれば、金貨が万単位で消えますもの」
詠うような声は耳に心地よく、紅玉の瞳には目を離せなくなるような圧を浮かべて。
「商品とはいくつもの商会を経由して運ばれるもの――つまり『九番』も業界共通なのよね?そうでないと今回の勘違いのようになってしまうもの。安心して下さいませ。金貨何百枚はちょっとした情報料ですわ。これに関して貴方が窮することはないと確約いたします。ね?モルゲンにいらして、フリッツ様?」
フリッツの顔を覗き込み、妖艶に囁くお嬢様。
せ…性格変わりすぎじゃない?!
◆◆◆
お嬢様とのやり取りの後。
「疲れた…」と、魂が抜けたような顔でフリッツは突っ立っている。彼は近く、強制的にモルゲンに発つことになりそうだ。この錚々たる面々の前で、タダで商館をやると男爵令嬢自身から誘われ書面まで受け取ったのだ。庶民のフリッツに断る術などない。
「ところでアナベル様!貴族階級の方の授業ってすごいですね!その……庶民の感覚からするとご、豪勢というか。お付きの人たちもたくさん付いてるし…!」
とりあえず話題を変えようと、私は無理矢理目を輝かせてそんなことを言ってみた。
いや…本心を言えば「アレはねぇわ」なんだけど。
「サイラスには珍しかった?元々――開校当初はきちんと並べた机に生徒たちがずらっと並んで座っての授業だったのだけど、いろいろと要望に応えていくうちにああいう形式になったの」
と、アナベル様が淡く微笑んで教えてくれた。
そうなんだ。
「帝国では、今アナベル嬢が言われた形式――召使いも従者も連れず生徒が整然と並べられた机で授業を受けているな。これに関しても、『常識』はその国それぞれだ」
とは、アルの言。
ちなみに男性も女性も私服ではなく制服があり、校則もここより厳しいらしい。へぇ~。
「ねぇ、サイラス」
そーなんですか~、と言っていると不意にお嬢様から話しかけられた。
「何でしょう?お嬢様」
「貴女、女の子なのね」
「……は?」
数十秒、沈黙が落ち…
「ほあぁぁぁ~~!!!」
庭園に私の絶叫が響き渡った。
◆◆◆
習慣というのは恐ろしい。アルの命令で着ていたメイド服にすっかり慣れてしまった私は、体型も声も誤魔化すのを忘れていたのだ。お嬢様に性別がバレた。痛恨過ぎるミス…!!
「もう、リアったら意地悪でしてよ?」
アナベル様がキッと、悪戯が成功したような笑みを零すお嬢様を睨みつけた。
「気に病まないでね、サイラス。リアは私より前から気づいていたわ」
「……へ?」
アナベル様からのフォローの台詞に聞き捨てならない部分を見つけて、私は思わず顔をあげた。
い…今なんと??気づいていた?!
「ん~?見ちゃっただけよ?」
てへぺろ、と紅い瞳を輝かせて、お嬢様はにんまりと笑う。
「いい…いったい何を見て…」
何だ?水浴びして服を脱いだとき?それとも隠れてこっそり髪を編む練習をしたこと?まさか、モルゲンの露店でうっかり手に取った恋愛小説をガン見してたこと?!い…いつだ?!
「うふふっ、秘密!」
真相は闇の中のようだ。は…激しく気になるんですけど!
「もう、そんな悲愴な顔をしないでよ。ねぇサイラス。お父様は、細々とした領主の業務の大半を私に教え、任せて下さっているのだけど、ウィリス村については絶対に触らせないの。どうしてだと思う?」
いや、お嬢様がここまで変わられていたのが衝撃的過ぎて、思考が追いつかないです。
「それだけ貴女を買っているのよ、お父様は。決して口にしないけど、知った上でね」
「え…」
「バレたら終わりだとか、ビクビクしなくたっていい。堂々と使い分けたら?貴女には、それをやっていいだけの価値があると、私は思うわ」
お嬢様は、信じられないことを言って、「だってこのままじゃ、一生恋愛もできないじゃない!」と、付け加えた。
ともあれまた一人、私の正体を知る人が増えた。
◆◆◆
お茶会が終わった後のことだ。私は、アルから部屋に呼び出された。
「今、この国の貴族階級で流行ってる本だ」
ぽんと投げて寄越された小さな本を受け取って、私は眉をひそめた。
『貴族の品格』
なんか前世でベストセラーになった自己啓発本を彷彿とさせるタイトルだね。パラパラとめくって斜め読みして、とある頁で手を止めた。章タイトルは、『貴婦人の心得』――その頁で掲げられていた貴婦人の理想像は…
決して出しゃばらず、賢しらに男子に意見することがあってはならない。学問や職に夢中になるは道断である。内面の美しさを磨き、豊かな愛情で夫を助け癒しとなるべし…
以前、アナベル様に「羨ましい」と微笑まれた記憶が蘇った。
その後の文章でも、理想の女性に必要なのは愛情と癒し、そして楽しみを見つける才能であると繰り返し書かれ、ハウツー本よろしく事細かな具体例まで記されていた。
「うわぁ……ないわ~」
率直な感想である。
徹底的な男尊女卑に加えて、裕福を前提としているからだろうか、『鑑賞用』とか『娯楽用』と枕詞がつきそうな女性像……。
「その服、やめるか」
不意に声をかけられて、私はパッと顔をあげた。
少し眉を下げたアルの顔が目に映る。
「あ…」
ふと思う。
アルは、国こそ違え生粋の貴族だ。この本にある女性像が、彼の国でも常識的なものである可能性は高い。ならば、目の前にいるアルの理想の女性もまた――
◆◆◆
無意識に表情を翳らせたサイラスの頭に、ぽんと手を置いて、アルフレッドは本を回収した。
「うわぁ……ないわ~」
眉をひそめる彼女を見て、確信した。
彼女に『女性』を強いるのは間違っていた、と。
本心を言えば、メイド服とはいえ『普通』の女性としての格好を見たかったし、叶うならばドレスを……アルフレッド自身の見立てで誂えてやりたいという気持ちもあるが。彼女がそれを望まないというのなら、無理強いしてはならないだろう。
それに…
(授業を…コイツは目を輝かせて聞いていたんだよな)
メイドの仕事を終えた後、彼女が植物紙に授業で聞いた内容をせっせと書いているのを、アルフレッドは見ている。そして先ほどの言葉でわかった。彼女は貴族令嬢のように着飾るよりも、学びたいのだ。辺境出身の彼女からすれば、ここは故郷では得られない多くの知識と情報に溢れた場所だ。学びたいと望むのも当然だろう。
「明日からメイド業はやめていい。グレンには別の服を用意させる」
「え…?」
こちらを見上げる空色の瞳に、アルフレッドは少し寂しそうに微笑んだ。ありのままの彼女の声が聞けなくなるのは、少しだけ惜しかった。




