65 ナイトメア
あの方の詩が登場。内容がホラーです。苦手な方はご注意ください。
くしゃくしゃに丸められた羊皮紙には、べったりと血がこびりついていた。
「古代語の文…しかも、この綴り間違えてるな。文字も拙い」
「少なくとも古代人が書いた物ではなさそうねぇ」
乱雑な文に、ネイサンとジーナが目を凝らした。フリッツも興味津々とそれをのぞきこんだが、古代語は読めないらしい。
「古代語読む物好きはお貴族様くらいさ」
すぐに諦めて肩を竦めた。
「暗号かな?」
私もミミズがうねったような文字はさっぱり読めない。
「破れているな」
「てことは、コレは一部か」
歪な形の羊皮紙は、確かに破り取られたらしく、上の方が斜めになっていた。
「ん?これ…裏にも何か書いてあるぞ」
アレックスが慎重に羊皮紙にこびりついた埃を拭う。
「絵だ」
素人だな、と、フリッツ。
確かに子供の落書きみたいな大雑把で拙い線画が幾つも散らしてあるが…「ん?」と、フリッツが目を凝らした。
「どーしたのよん?フリッツぅ?」
「これ…似たような構図の絵を見たことあるんだよなぁー。なんだっけか…」
記憶を捜すように宙に視線を泳がせたフリッツは、しばらくして「思い出した!」と手を打った。
「『ゴシックの部屋』だ!」
時々持ち出されるんだけどさ、とフリッツは話し始めた。
「戦争とか、飢餓とか…苦しい時代になるとさ、地獄とか骸骨描いた画が流行るんだよね。これはその一つで、言うなれば『悪夢』、」
対になる詩があるんだよ、とフリッツが教えてくれたのは、以下のようなもの。
ゴシックの部屋
夜と孤独は悪魔に充ちている
『教父列伝』より
夜、私の部屋は悪魔に充ちている
おお!地上は…
詩人は囁くように夜に詠った
香しい萼だ――
雌蕊たる唯一の月
数多の雄蕊たる星を戴く
眠気で重くなった目で、私は窓を閉めた
黒々とした救世主の磔刑像が、黄色い後光を背に
ステンドグラスの中から、私を見下ろしていた
おお、またか!
真夜中――竜と悪魔犇めく紋章の描かれし時刻――
アレが、ランプの油で酔っ払う醜い小人でないのなら
アレが、死んで産まれた赤子を、父の胴鎧を揺りかごに、単調な歌であやしている乳母でないのなら
アレが、板張の中に閉じ込められ、額や肘や膝をぶつけている異国兵の骸骨でないのなら
アレが、虫に喰われた額縁から抜け出して、聖水盤の聖水に籠手を浸す私の祖父でないのなら
そいつがスカルボだ!
私の首に食らいつき、血塗れの傷を焼いてやろうと、焔で真っ赤になった鉄の指を突っ込もうとしている!
「よくある、悪魔チックなモノをかき集めた詩さ」
フリッツは結んだ。
気味悪~い!と、ジーナが眉をひそめる。他のメンバーも同感らしい。ロイが「胸糞」と吐き捨てた。
「行くぞ」
唐突にクィンシーが私の手を引いた。
「クィンシー?」
「その古代語、気になるだろ。騎士学校には、確か図書室もあったはずだ」
◆◆◆
図書室は廃校舎の一階にあった。鍵の壊れた扉を押し開けると、モワッと埃が舞いあがる。
「うわ…真っ白」
「いや~ん、蜘蛛の巣きら~い」
文句を言いつつも、手近なテーブルと椅子の埃を払い、「じゃ、古代語の辞書を捜しましょ」とジーナが書架の一角――一段と分厚い本が並ぶ棚を指さした。
「んぅ~、ほんっとにこの人悪筆ねぇ…えっと…『その夜スカルボは僕の耳に呟いた…』」
「このぐしゃぐしゃは読めん。『アンタの屍衣はクモの巣さ。俺が蜘蛛と一緒に埋めてやろう!』」
「なんだこれ?『僕は赤く泣き腫らした目で…』で合ってるのか?」
このメンバー中、古代語の知識があるのは貴族――『本物』君たちだけだ。手分けして、ミミズ文字と睨めっこしながら、古代語の解読を始めた。
「また酷い字よ。何コレ…『少なくとも』?でいいのかしら。『屍衣が』……『ないのなら』?うーん…『代わりに』『なかったら』『他に』わあん!どれが正解なのぉ~!」
「ジーナ、こういう時はフィーリングでそれっぽいのを」
「しっ!」
ビクッとして少年たちが話すのをやめた。足音が聞こえ、私たちは慌てて机の下に身を隠した。
「ヤベッ!声、聞こえたか?!」
足音は窓の外からだ。そうだ、ここ一階だから……ガタガタと曇った窓ガラスが音を立てた。
「確かに先ほど物音がしたぞ」
「中に乙女を隠しとるかもしれん。調べろ」
どうやら外にいるのは、男色家と噂の司祭様御一行らしい。入口側へ行ったのか、彼らの気配が消えると、私たちは急いで机の下から這い出した。
「ずらかるぜ!」
「二階へ行こう」
急いで図書室を出たところで、ガチャガチャと鍵を開ける音……図書室は廃校舎の入口からすぐの所に位置している。二階へ続く階段まで走るのは、あと一歩遅すぎた。
やむなく図書室の中へ引き返し、とりあえずと書架の奥へ逃げこむ。七人の少年は、体格的にも隠れるのが難しい。
「どこか…隠し部屋とかないのかよ!」
「そんな都合いい場所あるわけないだろ!」
「静かにっ!」
ついに行き止まり――最奥の書架の前で立ち止まった私たち。
「こうなったら正面突破だ。奴らがそこから出てきたタイミングで急襲!」
「風魔法で埃を舞上げて目くらましするのはどう?」
私たちは書架を背に、倉庫からこっそり持ちだしてきた模擬剣――金属製で刃の部分を潰してある――を構え、黒々とした床を睨んだ。その際、私以外のメンバーは、何故か書架にお尻をぴったりとくっつける中途半端なへっぴり腰……何その格好?
「相手は一晩に五人も喰った男色司祭だぜ?音速でケツに突っ込んできても不思議じゃねぇ!」
「それどんなモンスター?!」
というかアレックスさんよ、君はまともな男子だと思ってたんだけど…
「俺は心に決めた女の子がいる!司祭と寝る気はない!」
なんとなく、誰のことを言ってるのか想像できるね、ロイ君。心意気が眩しいっす。
「俺も男とヤル趣味はねぇ。童貞は卒業してるけどな!」
何故かドヤ顔のフリッツ。そう言えば、身代わり君たちの年齢は、規定の十五歳とは限らない。フリッツは確か十七歳、ロイは十七歳、クィンシーは年齢不詳。
「その話、後で詳しく」
「アタシも聞きた~い」
皆さん健全な男子(約一名は女子?)なようで。
「気合い入れてくぞ!!」
「「「「「おう!!」」」」」
死守!童貞!!との掛け声と同時に、それぞれの剣を交差させる……つまり書架にお尻をつけたまま前傾姿勢を取った。何の気なしに。
ガコン!
「「「「「ん?」」」」」
背後で何か重い音が聞こえた直後、書架がぐるんと回転した。
◆◆◆
アーロンは、夜会で粗相をした男を捕らえてある貴人牢を訪れた。王宮のどの建物からも独立した北の塔――庭園の端にポツンと佇む細長い塔の最上階に、それはある。アーロンの姿に、衛兵が怪訝な顔をしたものの、彼が近づくとまるで能面のような顔で扉を開けた。
「ご機嫌よう、ヴァンサン殿」
寝台に腰かけ、鉄格子から外を見つめる男に声をかけたが、反応がない。
「ヴァンサン殿、」
数度呼びかけてようやく、男――ヴァンサンはアーロンに気づいたらしい。ゆるゆると振り返り、「ああ、」と気の抜けた返事がある。憔悴して頬はこけ、目にかつての鋭く理知的な光はない。
「貴殿が気落ちするとは、珍しいこともあるものです」
「……。」
軽口にも返答はない。その様子に、アーロンは悟った。
もう、ダメだろう。
抜け殻のようになった王妃の元側近に傍目には優しく笑んで、アーロンは鉄格子に背を向けた。
アーロンが立ち去って数刻が経った。
「シャーリー…」
渇いた唇から漏れた名は、かつて彼がすべてと引き換えにした女のもの。侯爵家の嫡子という身分も、将来も、家族も、彼女のために捨てて置いてきた。
「貴女は…」
そう遠くない将来、彼女は戦に赴くだろう。昔彼女を敵国に差し出した故国を手に入れる……悲願のために、復讐のために。
ヴァンサンはわかっていた。彼女が自分を見ていないことに。けれど、彼女から離れることなど考えられなかった。これは、他でもない彼の我が儘。
私の手で愛する女を幸せにする――
エゴ、傲慢、歪な自己満足。
彼女のために、すべてを擲った。
彼女のために、成り上がりを助けた。
彼女のために、戦で猛威を振るう魔道具を造った。
彼女のために、邪魔者を闇に葬った。
彼女が望むなら、見目良い男を侍らせた。
彼女のためなら、禁術にも手を出した。
彼女のために…彼女に頼られるために…彼女に自分無しではいられなくするために…
あの日、マーリン伯爵の杜撰な謀略を完璧なモノにするために、彼女の眼鏡に適った娘をさも古参派の後ろ盾があると見せかけ、古参派陣営を疑心暗鬼に陥らせるために、王太子妃宮に忍びこみ、印篭を盗み出し、彼女を舞台に上げる手引きをした。
すべては彼女のために。
けれど。
あの娘に、彼女はすっかり惑わされてしまった。彼女は……己の周りに見目良い異性を侍らせるのを喜ぶ癖に、己の男が他の女と親しくするのを最も嫌うから。
ベイリンの娘に……あんな小娘に、私が浮気をするはずないだろうに。馬鹿だな…。
口許に笑みが浮かぶ。
ああ…
出会った頃は、可愛らしく無邪気で心優しい、守ってやらねばと思わずにはいられない女だった。華奢な身体は、抱けば折れそうなほど。熱病のような初めての恋だった。
けれど、ヴァンサンが惹かれたのは、当初の印象通りの彼女――無邪気で心清らかな聖女ではなかった。時に見せる計算高さ、女だてら高位貴族を手玉に取りのし上がっていく度胸、可憐な演技をかなぐり捨ててひたむきに己を磨く執念――。普通なら、小賢しいとか生意気とか、野心家とか、マイナスにしか取られないだろう彼女の本性。しかし、清々しいくらいに欲張りで、目標に向かって突き進む姿が、真剣な横顔が美しいと、眩しいと思ってしまった。
故国を追放されたあの日。
彼女は追いかけてきた私に言った。
「ヴァン、一緒にのし上がりましょう。あの女に目にものを見せてやるのよ!」
呼び捨てにされたことが、頼られたことが、彼女の心に近づけたと嬉しかった。彼女が目に映すのが、己ではなく、彼女を蹴落とし追放した公爵令嬢の伴侶――当時、故国の第二王子で、廃嫡された第一王子に代わり王太子となった男――であっても。
彼女のためなら、その野望を叶えてやろう。
野心を抱く彼女は美しい。
光魔法を武器に軍に志願し、王族の護衛に上り詰め、暗愚な第五王子の妃の座を手に入れた。その後、ライバルの王子たちを謀略で葬り去り、ついに国の頂点に駆け上がり――表立って結ばれることはなかったが、手を取り合い、共に闘ってきた。あと少しで、仇敵を崩せるかもしれないというところまで、来ていたのに…。
費やした歳月は決して短くなく。
ヴァンサンには今や、かつての若さはない。彼女を惹きつけるモノがない。彼女に頼られた、持ち前の頭脳も今となっては何の役にも立たない。
わかっているのに…
今日も…また、彼女が頼ってきてくれるのではないかと、どうしようもなく期待をしてしまう……。




