62 断罪の夜会【中編】
王太子妃――今は婚約者であるニミュエ公爵令嬢に与えられた宮の回廊を二人の男女が駆けている。一人はローブを纏った長身の男、もう一人は銀朱の髪の仮面の少女。時折ローブの男――ヴァンサンが振り返っては、追っ手目がけて目眩ましの魔法を放つ。
「ヴァン様、きゃっ!」
甘やかな声が何か言いかけた直後、突風をもろに受けた華奢な身体が傾ぐ。
次いで、ガチャンと近くの花瓶が落下して粉々に砕け散った。ヴァンサンが舌打ちをする。何者かがヴァンサンの幻惑魔法をかいくぐり、逃走の邪魔をしているのは明らかだった。いくら幻惑魔法で追っ手の目を眩ませても、派手な物音で後から後から追っ手が湧いて出る。
「致し方ありません。転移を」
当初の予定では、王太子妃の宮に続く扉から彼女――仮面をつけたノエルを登場させる予定だったが、致し方ない。ヴァンサンは、小柄な少女を小脇に抱えると、
「《転移》!」
叫ぶと同時に、二人の姿は光の粒子となって消えた。
◆◆◆
夜会の会場はざわめいていた。王子の婚約者の生存が危ぶまれる異常事態。さらに、王妃が手配したという王子のパートナーを務める令嬢もいっこうに姿を見せない。次第にざわめきがひどくなる会場にて、幻惑魔法でその他大勢に紛れこんでいたアナベルは首を傾げた。
「どういうことかしら…?」
古参の重鎮――ニミュエ公爵を疎ましく思っている王妃が、あの爆発事件の裏にいることは、先程の発言からも窺える。代わりの女を用意したこともまあ、予想の範囲内だとして。その女がなぜ出てこない?アナベルとしては、その女とやらが出てきてから、正体を明かすつもりだったのだが…
(このままだと、夜会の収拾がつかなくなるわ)
予定とは違うが、ここで自分が出ていった方が良いだろう。チラチラとニミュエ公爵派の面々を見るが、迷っているのか「まだだ」と止められた。そうこうする間にも会場には、混乱が広がっていく。
(でも…)
出しゃばってはいけない。
判断を下すのは我々だ。
貴女はただ従って…
「よ~ぉ、アナベルちゃん」
焦燥に染まりそうになった意識に、軽薄な声が話しかけてきた。覚えのあるその声は…
「あなた…セヴラン殿下ね」
アナベルの問いに相手は「そうそう!」と嬉しそうに答えた。
捕らえておいた敵国の第三王子は、どうやったのかあの部屋を脱出し、姿を変えて堂々とアナベルに接触してきた。その際、耳に入る小型の通信魔具を押しつけて。
「今は呑気にお喋りしていられないのよ」
「けど、指示待ちなんだろ?つまり、暇だ」
あからさまに指摘されるとムカつく。アナベルとて、好きでこうしているわけではないのだ。彼女の意のままに動けるのなら、今すぐにでも公爵令嬢として前に出たい。自派問わず、貴族たちを不安にさせることは本意ではないのだ。
「俺の合図で前に出ろよ。アンタの宮に忍びこんだコソ泥をプレゼントするぜ?」
「まさか…」
「ああ、礼はいらないぜ?いいものを見せてもらったしな。あのヴァンサンを出し抜くとは、大したものだ」
軽薄な声が、ほんの一瞬優しい響きを帯びた気がした。
(ダメよ…。相手は私を搦め捕ろうとしているの、浮かれちゃダメよ)
セヴランが言っているのは、王太子妃宮に施した罠のことだろう。
万が一に備え、逃亡の要所及び重要な部屋に幻惑魔法を施してあるのだ。魔力量の多い者は転移魔法を使える――魔法による侵入や逃亡を阻むために、例えば壁紙の色だけを幻惑魔法で変えておき、転移魔法で思った地点に飛べないように細工してあるのだ。
転移魔法の要は、転移先のイメージと位置。例えば、別の宮との接合部を念じて転移魔法を使っても、実際はその真下にある別の空間に飛んでしまうのだ。
推測するに、王太子妃宮内にヴァンサンと、恐らく代理の女が忍びこみ、例の罠にかかった。王太子妃宮を掌握しているのは、古参の重鎮。あの王妃は王太子妃時代、女官を全て古参派で固めたことを嫌って、この宮を使わなかった。だから、罠について知らなかったのだ。
「さ、出番だ。王太子妃殿下」
通信魔具から甘い囁きが流れこむ。
「何が目的なのよ?」
警戒を露わにした問いに、魔具からは微かな笑い声が聞こえた。
「敵国として、反王妃派のアンタらに潰れてもらっちゃマズいと判断しただけさ。あの女の癇癪には辟易してるからな。アンタもだろ?」
確かに、財源の大半を戦争に注ぎ込み、国内を顧みない王妃に、古参派は反発している。
「そうやって…またわが国から掠め取ろうとしているのね」
ペレアスとグワルフの不仲は建国以来だ。歴史を鑑みれば戦争こそ少ないものの、例えば相手国の反政府勢力を支援したり、海賊行為を容認して相手国の船を拿捕してみたり、はたまた相手国の王位継承者にハニートラップを仕掛けてみたり…それぞれ相手国の政治を混乱させる工作をしては、前にも挙げた岩塩坑や鉱山を奪いあってきた。
「そんなのお互い様だろ」
あっけらかんとセヴランは返してきた。
「貴方には従わないわ」
「じゃあどうするんだ?」
唇を噛みしめる。夜会の会場はざわつき、それを王族も――国王ですら抑える手立てがない状態。王妃が不機嫌も露わに、侍従を怒鳴りつけているのがちら見えた。ここで何も言えないのは、公爵家の名折れだとはわかっている。でも…!
「私は…!おまえには惑わされない!」
振り絞るように出した言葉は…
「見損なった。とんだ傀儡だな、アンタ」
氷のような冷たい声に、切り捨てられた。
何故…?正しい判断をしたはずなのに、キリキリと胸が痛む。
『傀儡』、と、具体的な言葉にされただけで。
わかっていたではないか、自分は政略の駒だと。当たり前のことを言われただけだ。気にする必要など、ない…
「おまえは、『潰れろ』と命じられれば従うのか?愚かな。犬でも主から害意を向けられたら噛みつくぞ?なあ…よく考えろよ。古参派は本当におまえの運命を、人生を預けられる連中なのか?」
いけない…。この言葉は真摯なようでその実、毒なのだ。聞いては、考えてはいけない…
「俺は、アンタを利用する。戦争にはほとほと嫌気が差してるからな。だからアンタも、今は味方になる俺を利用しろよ」
そんな…上手いこと言って。
「考えてもみろよ?アンタがしゃしゃり出ても、あの女にひと泡吹かせるだけで、陣営に何ら不利益はないはずだ」
…それは、そう。何度も何度も考えた。今しかないことも、わかっている。
「アナベル…いや、王太子妃サマよ、アンタは戦争に喘ぐ民の希望だ。アンタが動くなら、俺は全力で助けてやる」
「…本当に?」
か細い、普段の彼女が嘘のような心許ない声で、アナベルは囁いた。
「信じろ…!」
甘い毒が、ほんの一瞬、本物の励ましに聞こえた。
◆◆◆
ざわつく夜会を物陰から眺めて、クィンシーもといセヴランはため息を吐いた。耳に残るのは、あまりにもか細い公爵令嬢の声だ。
(もっと軽~く考えりゃいいのに…)
クィンシーは基本、やらずに後悔するよりやらかしてから後悔する人間である。失敗したら、挽回すればいいとも。真面目すぎる政敵が少しだけ不憫だった。
「お静かに!」
凛とした声が会場に響く。同時にヒュッと風が起こり、会場のそこかしこに飾られていた薔薇の花弁が舞い上げ、雨のようにはらはらと散らした。騒いでいた人々が、不思議な光景に一時言葉を失う。
「皆様、どうか落ち着いて下さいませ。私、アナベル・フォン・ニミュエはここにおります!」
壇上に現れた彼女は、よく通る声で呼びかけると、ため息の出るような美しいカーテシーを披露した。それこそ、王妃のそれが霞んで見えるほどの。そして、顔をあげた彼女は、にっこりと王妃に微笑みかけた。
「公爵邸で事故があったとおっしゃいましたね?ご心配をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。けれど、王妃様。これは事故ではございませんわ。そうですわよね?マーリン伯爵?」
◆◆◆
信じられない光景に、着飾った男――マーリン伯爵はただ呆然と立ち竦むことしかできなかった。夜会の会場に次々と運びこまれる証拠品の数々、弁舌をふるう公爵令嬢…。
「これは我が屋敷の庭先に散乱していた魔道具の破片です。鑑定したところ、幻惑の魔道具と、魔法増幅魔道具だと判明しました。マーリン伯爵、貴方は生徒たち相手に魔獣キメラの幻覚を見せ、攻撃するよう仕向けた。満タンの魔力増幅装置を作動させておけば、攻撃魔法――火球が威力増幅され、大爆発が起こる。至近距離にいた生徒たちは死亡。不幸な事故を装い私たちを害そうとした。そうですわね?」
問いただされ、心臓がバクバクと暴れる。
ここまで克明に企てが明かされることを、誰が予想できたろう。男が顔面蒼白になりかけた時だった。
「まあ…恐ろしいこと。けれど、たかだか魔道具の破片だけで、随分飛躍した推理をなさるのねぇ」
扇で口許を隠しつつ、王妃が天の助けとも言うべき発言をくれたのだ。それに力を得て、マーリン伯爵は反駁した。
「王妃様のおっしゃる通りでございます!とんでもない言いがかりに存じますぞ!」
まったく何を焦っているのだ。
公爵令嬢とはいえ、相手はただの小娘……しかも反王妃派の人間だ。何を恐れることがあるだろう。
「証人もおりましてよ?貴方は亡くなったものと考えているようですけど?」
公爵令嬢の合図で、会場に十数人の若者――何故か一人、女性が混じっているが――が入場してきた。その中の一人に「お久しぶりです」と挨拶されて、マーリン伯爵は言葉を失った。
「な…!」
どうしておまえ達がここにいる!?咄嗟に言葉を飲み込んだ自分を褒めてやりたくなった。
「この方々は、騎士学校の生徒。貴方は貴族である彼らを、あろうことか囚人護送用の馬車に乗せて、公爵邸まで連れてきた。乗り捨てられていましたわよ?」
貴族子息を囚人護送用の馬車に乗せた、と言った途端、会場が大きくざわめいた。当然だろう。この中には、騎士学校に子息を入れている者も少なくない。まさかそれほど虐げられた環境にあったと知れば、動揺も当然と言えた。
「そ…そんなもの言いがかりだっ!!公爵家ならば、その程度の証拠、いくらでも偽造できるだろう!そこにでてきた生徒も!金で都合のいいことを言わせているに違いなかろう!!」
唾を飛ばして動揺も露わに喚く伯爵に王妃も加勢する。
「ええ、大変説得力があるわね。それにおかしいじゃない?どうして騎士学校の生徒に女性が混じっているのかしら?」
「調査をしてわかりましたの。ねえ…皆様?最近巷では愛する我が息子のために、騎士学校に身代わりを差し出すのですってねぇ?双方合意のもとならいざ知らず、何の関係のない者を拐かして…。例え女性であっても、容姿が似ていればと攫われた者は少なくないとか?」
にっこりと微笑んで、アナベルが招待客ら――イントゥリーグ伯爵含む非道なやり方で身代わりを送りこんだ当主に順々に目を向ける。名を挙げずとも、彼らに向けられた眼差しが「知っているぞ」と雄弁に語っていた。
「憶測の次は噂話?とんだ茶番ね」
王妃はそう吐き捨てたが、会場は動揺していた。心当たりのある者は、公爵家に睨まれたと震え、噂を知っていた者は眉をひそめた。何より会場に大勢集まっていた貴婦人たちは、普段そういった話に疎いだけに、衝撃が強かったらしい。ざわめきの大半は、彼女たちによるものだ。
アナベルは内心で微笑んだ。派閥を問わず、多くの貴族が王国の内情に、疑念を持てばいい。知らなかった者が知るだけでも、この断罪には価値がある。
アナベルとて、この程度のスキャンダルで王妃を追い落とせるとは考えていない。マーリン伯爵を糾弾したところで、トカゲの尻尾切りともわかっている。あくまでも牽制と見せしめ、の予定だった。
「信じろ…!」
せっかくあの男が協力すると言ったのだ。ならば利用しよう。
「茶番ではございませんわ、王妃様。実行犯を捕まえておりますの。連れてきなさい!」
命じれば、ずっと閉じたままだった王太子妃宮へと続く扉が開かれる。現れたモノに、王妃はもちろん、招待客全員の目が釘付けになった。




