55 クィンシーの悪だくみ
私は頭を悩ませていた。ここから脱出するために、日々あれこれ考え、情報を集めてきた。脱出経路もいくつか考えたのだが……
今のところの脱出経路第一候補は、搬入口である。
ここで生活し始めて数日、表門裏門ともに昼夜を問わず衛兵が厳重に護っていることはわかっている。しかし、騎士学校と外との出入口は何もそこだけではない。商人が出入りする搬入口があるのだ。こちらにも見張りはいるけど、商人の他食堂の料理人や清掃員など不特定多数が出入りするので、警備はザルっぽいのだ。よって逃走経路の最有力候補。問題は、経路の途中に教官たちの詰め所があるという…
「よっ!何百面相してるんだ?」
…またおまえか、クィンシーよ。
昨日、「癒してくれ!」とほざいて胸に触ろうとした上、夜中にどこぞのエルフと密談してるっぽかったから、ティナとシメたんだけどな~?効いてないの?もうちょっとかわいがってあげた方が…
「やだな~、機嫌直せってぇ~」
効いてるか効いてないか、今後の参考のために身体に聞いてみよ…
「ええっ?!俺と仲良くしてくれるって?」
決めた。このスキンシップ過剰な勘違いセクハラ男で『お祭り』をやろ…
「よっしゃあ!デート!デートなっ?」
…フルコースにしてやる!
いよいよ拳を握り締め、目を閉じてイメトレを始めた私の肩を馴れ馴れしく抱き寄せたセクハラ男。まずその無駄に高い鼻をへし折ろ…
「ここは協同戦線といこーぜ?俺、実はとある国から派遣された諜報員でさー、」
軽薄な話振り。その向こうで、他の少年たちが「アイツらできてんのか?」とヒソヒソ言ってるのもバッチリ聞こえる。地味に恥ずかしい…屈辱的な意味で。
「ボスが喜ぶ情報が欲しいんだよねー。で、アンタはここからトンズラしたい、と。な?利害が一致するだろ?」
…どこがどう一致するのよ。
「アンタが考えてる逃走経路、途中に詰め所があるだろ?俺はもっと安全で確実なルートを知ってるんだよねー」
で?ソレを提示して私に何をしろと?
言っておくけど、デートはしないよ?
…ヒソヒソ声が、「なあ…どっちが受けだと思う?」などと囁いている。約一名、その世界に詳しい奴がいる。
「モルゲンってニミュエ公爵派だよな?ちょっと渡りをつけて欲しいワケよ」
それが交換条件か。確かにモルゲンはニミュエ公爵領と隣接するから相応のおつきあいはある。けど残念だね。少なくともフリーデさんのお仲間を信用することはできないよ。
さっきのヒソヒソ声が「実は妹がそのジャンルに開眼してさ、」とか言っている。妹の婚期は確実に遠のいたね……って激しくどうでもいいけど!もっと生産的な話をしようよ!
「そうさ!生産的な話をしよう!なあ、みんな!!」
「はいっ?!」
私の腰をがっしり掴んだまま、クィンシーが突然声を大にして立ち上がった。
おいコラ!腰の手を離せっ!
「みんなでこんなクソみたいな所、出てやろうぜ!!」
エイエイオー!!
同室の少年たちが、クィンシーにつられて気勢をあげた。そこは気持ちが一つになるんだね。わかるけど!私は旗頭にはならないわよ!くっそぅ…腰の手を離せぇっ!
「俺たちの人生を取り戻せ!」
「家を潰させるな!」
「素晴らしき攻めと受けの愛のために!」
最後のヤツ、それは誤解だ!その生温い目をやめろっ!ンにゃろー……腰から手をっ…ち、ちがう!私はコイツの仲間じゃないんだからぁ!
焦りまくる私を尻目に、クィンシーは少年たちを焚きつけて――よく宴会で見られる、テンションが上がるにつれハイペースになる手拍子と気勢――部屋の熱気を爆上げした。暑苦しい…むさ苦しいことこの上ない。
「「「「「うぇ~い!」」」」」
なにが、「うぇ~い」だ!
「おい、なに巻きこんでんだよ?!」
「二人でコソコソよろしくやるより、みんなで協力した方が上手くいくって!」
「アンタとよろしくやった覚えはねぇよ!」
今度こそ腰の手を振り払うと、クィンシーは常と変わらぬ軽薄な表情のまま肩をすくめ、へらりと笑った。
「ま、仲良くしよーぜ?それに…」
ふと真顔になったクィンシーが私の瞳をじっとのぞきこむ。そして、フッと笑った。
「逃がさないからな?アンタは使えそうだ」
普段の軽薄なチャラ男とは打って変わって、まるで獲物を見つけた獰猛な肉食獣のように。
◆◆◆
今日も今日とて、あのヒゲ教官が私たちに向かって攻撃魔法――特大の火球を先頭の私目がけて飛ばしてくる。
「(よっしゃあ!フォーメーション愛!)」
「「「「(ラジャ!!)」」」」
全員が所定の位置――私を盾に一列に並ぶとほぼ同時に、攻撃魔法が私に炸裂した。
「なっ…!おおお…おい!?」
何もせず特大の火球を浴びた私に、ヒゲ教官が狼狽する……が、砂埃の中から現れた私が無傷だとわかると、鳩が豆鉄砲を喰らったかのように目を瞬いた。
「………死ぬかと思った」
私の率直すぎる感想である。
「な?!どういう事だ?!」
対し、目を白黒させるヒゲ教官他。
「あ~、手前に落ちそうだったんで、何もしませんでしたー」
脚本ではいけしゃあしゃあと言うべきセリフが、棒読みになってしまったけど仕方ないよね?マジで心臓に悪いわ、前衛って。
種は簡単。私の魔除けイヤリング――魔法攻撃無効――が発動したのだ。耳につけていると仕掛けがバレるので、今は靴に隠してあるけどね。
ヒゲ教官は苛々しつつも、再度攻撃魔法の火球を手に掲げた。まっすぐ飛んできた火球を、
「《結界》!」
私は難なく魔法で弾いて、直後にその場に倒れこんだ。後ろの面々も同様、地に膝をついたり、尻餅をついたり…各々魔力を失ったフリをする。
ふむ。どうやら気づかれていないらしい。
ヒゲ教官の火球が着弾して砂煙がもうもうと舞い上がったのに隠れて――つまり、狼狽した教官が安全のため魔力搾取魔道具を停止させた隙に、私がこっそり魔道具の基盤に鎌鼬を当てて壊しておいたことに。
どうやって知ったのか、クィンシーが基盤の位置とバレにくい壊し方を指示してきたのだ。有能な諜報員だからかもしれない。…けど、恐ろしいほど相手の…いや、この国の内情に通じている彼を心から信用するのはやめた方がよさそうだね。
◆◆◆
「この調子でアイツらを出し抜こうぜ!」
「「「「「オオー!!」」」」」
いつにもまして元気に剣の鍛錬に取り組んだ後。寮の部屋で、クィンシーを筆頭に、少年たちは勝利の雄叫びをあげた。
「フォーメーション名に物申したい…」
「まあそうカリカリすんなって、」
クィンシーがニヤニヤして、性懲りもなく腰に手を回してきた。速攻で振り払おうとしたら、
「まあまあ、こーやってるうちは他のヤツは寄ってこないしさ、」
どうやら内緒話がしたいらしい。
「なあ、モルゲンのお嬢様にラブレター書く話、覚えてるか?」
「ん?ああ、あったね。そんな話も」
そう言えば「渡りをつけて」とか言われてたっけ。
「おまえの使い魔、モルゲンまで手紙届けたろ?せっかくだから活用しようぜ?」
クィンシーの提案によると。
まず学園にいるオフィーリアお嬢様にレオを使って手紙を届けさせ、お嬢様を通じて王都の地理をレオに覚えさせ…
「おまえや他の奴らにとっては脱走への備え。外の仲間に速やかに匿ってもらいたいだろ?俺はモルゲンにツテを作れる。な?双方利益がある」
だそうだ。けど、果たしてそれだけだろうか。それに…
「お嬢様、レオを見て倒れないかな…」
一般女子の嫌いな生き物ランキングでゴキブリと首位を争う生き物だと思うんだ。蛾って。
◆◆◆
悩んだ結果、ラブレターの宛先はオフィーリアお嬢様の侍女さんにした。私と面識もあるし、彼女はゴキブリも……見たら即逃げてたわ。ち、蝶々くらいなら平気だよ。たぶん…。レオにはできるだけ小さな分身になってもらい、リボンの結び方をぐっと華やかにして、気色悪い<カワイイ印象になるよう工夫した。
うん、ベストを尽くした!
そして――
数日後、レオが持ち帰った手紙の返信は、思わぬ人物によるものだった。
アナベル・フォン・ニミュエ公爵令嬢――。
先王の代には権勢の中核にいて、現在も宰相の地位にあるニミュエ公爵の娘が、手紙の差出人だった。
「へぇ…大物釣り上げたな」
「ニミュエ公爵って、反王妃派のトップ?」
「ああ」
手紙によると、アナベル様の要求は二つ。
一つ目は、入学の名のもと不当に拘束された貴族子息の救出に協力すること。
二つ目は、生徒たちの魔力を溜め込んだ魔法威力増幅魔道具の在処を教えることだった。他にも、レオに王都の地理を教える旨、身代わりたちの救出にも全面的に協力してくれる旨が記されていた。
「貴族子息の確認は、ネイサンにお願いしよっか」
火炎魔法でさっさと手紙を焼却処分した私に、
「いーけどさ。おまえ、俺を信用してないだろ…」
クィンシーは不満げに口をとがらせ、次いで「まあ見てろよ…」と、不敵に唇を歪ませた。
◆◆◆
シャルロット魔法学園――王妃の名を冠した高貴なる者たちのための学び舎の一角。自然なようで計算されつくされた配置の草花に囲まれて、白いテーブルセットと、それを囲む色鮮やかなドレスが見える。テーブルの上には、瑞々しい果実やクリームを頂いたタルトやまるで芸術作品のようなケーキの皿が並び、紅茶が湯気をたてる。
「よろしかったのですか?あのような得体の知れない者の手紙など相手になさって」
淡いグリーンのサテンに包まれた細腕が、悩ましげな仕草でカップに伸びる。
「得体の知れないだなんて!エリン様、サイラスは我がモルゲンが抱える優秀な商人ですわ!信用に値しますと言っておりますのに」
ぴしゃりと言い返した声と共に、深紅のスカートが揺れた。
「ま、お行儀がなっていなくてよ?オフィーリア様」
「あらあら、エリン様ったら怖がりですもの。あんな可愛らしい使い魔でしたのに」
言い合いに発展しそうになったところに、別の声が割って入る。淡いラベンダー色のレースの手袋がふわりと扇を広げ、弧を描く紅の唇を隠した。
「そういうクララ様はアレに触れますの?貴女様こそ卒倒しそうだったではないですか」
グリーンのレースの袖口からのぞいた白魚のような指先が、音もたてずにカップをソーサーに置く。
「皆様、お声が高くてよ。それから…」
大きな声ではないものの、芯のある凛とした声が色めきたつ少女たちを諫めた。
「私、彼らを丸きり信じているわけではなくてよ?」
信用は、実績を積み上げて得るものでしょう?と、彼女は少女たちに言った。
「けれど、他国の間諜が紛れこんでいるとあらば、無視するわけにも参りませんわ」
「それこそ罠かもしれませんわ」
レースをあしらったグリーンの裾がふわりと揺れる。
「ええ…だから答合わせを要求しましたの」
ふふふ、と典雅に笑い、彼女は何気なく高い植栽の向こう――騎士学校に目をやった。
「合格ならあの方を……」
続きは、風が草木を揺らす音に掻き消された。




