204 差し迫る刻
次回、エピローグで完結となります!
「サアラぁ、お腹おっきくなったねぇ」
ティナが私の、お腹に耳をくっつけてクスクスと笑う。私は顔が引き攣っているけれど。
ヤバい…これはヤバい。
内政干渉やらいろいろやっていたら、時間が経つのはあっという間で。全然数えてなかったけど…臨月だよな?いつ出てきても不思議じゃないよな?!
どうしよう…。
私は『男』を突き通すために、幻惑魔法で傍目にはスッキリ体型のサイラス・ウィリスなのだ。誰一人として、私の真実の姿を知らない。
だからって、「実は今こんな状態で…」とも言えない!
ペレアスのクーデターを成してまだいくらも経っていない。あとね。最近やりとりを始めたライオネルの領地――南部で、なんと綿花を見つけたんだよ!これは大きい!何としてでも商品化して製造過程か何かでウチに依存するよう仕向けて、ノエルを黙らせる材料にしたい……
ここで、動揺を与える出来事を作ってはいけないのだ。
考えに考え。
「魔界に行くか」
腹の子には、魔王様が加護をくれた。なら、魔王様の傍で過ごすのが、恐らく最も安全だろう。万が一私に何かあっても、護ってくれる人(?)がいた方が安心だ。
「キノコ、私が動けない間、手紙とか報告書のやり取りを手伝ってもらえる?」
脚にくっついてきた平たい傘を撫でると、「いいぜ~♪」という答が返ってくる。頼りにしているよ。
覚悟を決めて、魔界に通じるダンジョンを訪れた私。
しかし、ここで大きな誤算が。
「クッ…ふぅっ!!」
魔界への入口たるダンジョンは、お祭りの木の洞から入れる……のだが。
「は…腹がっ!」
パンパンに膨らんだ腹が引っかかって、入れないのだ。内側からゴブリンが引っ張ってくれるけど、アカン。これ以上やったら木が割れちゃうよ!
「ハァッ…ハァッ…」
努力むなしく、木の根元に座りこんだ私。
うお~~…どこ行くよ?!
◆◆◆
「で?ここに来たと」
呆れた眼差しで、地に伸びた私を見下ろすのは、レダ。
そう!ここは湖の底の白亜の宮殿……
レダとティナのお家ですとも!
「少しの間だから…ここに居させてクダサイ…」
だって!利権云々絡まない知り合いって、レダしかいなかったんだもん!
ふあ~~…冷たい石の床がひんやり気持ちいいわ。
「阿呆か…」
「わかってるよぉ」
「あの男にも言っていないのか。まったく…」
「だって…」
未だに父さんはアルとの将来に首を縦に振ってはくれないし。アルに頼れば、きっとメドラウドで産むことになる。でもそれはマズい。この子は、きっと真人間の姿はしていないだろうし、ね…。
「心の狭い人間よの」
ブ~メラ~ン…グサッ!
私が意気地なしなんだよ…。はぁ…。
「サアラ…?」
「ごめん。寝させて」
つーか、もう無理。動けない。腹が張る。
ぞんざいにお願いすると、私は夢の世界へ旅立っていった。
◆◆◆
サイラスが湖に消えてから、数日が経った。
消えたと言っても、報告書の類いは彼の使い魔たちが運んでくれるので、政に問題は出ていないが…
「?最近、よく傍にいるな。どうした?」
俺――アルフレッドは、ここ数日物言いたげな顔でついてくる幼女に話しかけた。彼女――魔の森の化身は、滅多なことではアルフレッドのことを見向きもしない。それがつきまとってくるとは…
「……。」
無言で幼女が指さしたのは、魔の森の方角。
「?ああ、サアラは魔の森にいるのか?」
それとも魔界だろうか。
まあ、彼女が姿を消すとしたら、だいたいどちらかにいるのだ。その点は心配していない。
と。
「?!」
ゴオッ!と、冷ややかな魔力が身体を打ちつけ、アルフレッドは目を白黒させた。何か知らないが、幼女はご機嫌斜めなようだ。
「おいおい、本当にどうしたんだよ」
宥めるように笑みを浮かべ、幼女と目線を合わせると、もう一度森の方角を指さす幼女。行け、ということか。
「すまないな。頼まれた会合を済ませ…うおっ?!」
後で、と言ったら凍てつくような殺気が飛んできた。なんか久しぶりだな…。
「わかったわかった。行くよ」
根負けしたアルフレッドは、愛剣を携えて森へと踏み出した。
そして。
幼女に先導されるがままに辿り着いたのは、睡蓮咲く湖。今では、湖岸から少し離れたところに、オンディーヌを祀る小さな神殿があるそこに、アルフレッドは立っていた。
すると…
湖面を彩る睡蓮が、幾本もの白い女の手に変わって……
「……は?」
ちょいちょい、と手招きしたのだ。
しかも…
なんか、その手招きの仕方が「おい、ちょっと顔貸せや」的なモノ。怖いんだが。
と。
「早く、逝け」
ドン、と子供の足に背中を蹴飛ばされ、アルフレッドは顔から湖に突っ込んだ。
◆◆◆
打ちつけた後頭部をさすりながら、無人の宮殿を歩く。どうやら魔の森の化身は、気が立っているらしい。「行け」じゃなくて「逝け」とか言いやがった。
ともかく、サアラに会えばすべてがわかるだろう。宮殿内に漂う、人間とは少し異質な彼女の気配を追って…
「サアラ?!おい!どうしたんだよ!」
恋人の変わり果てた姿に、アルフレッドは頓狂な叫び声をあげた。
大きく膨れた腹、真っ青な顔には玉のような汗が浮いている。声を失っていると、
「早く連れていけ」
いつの間にか隣に立った、レダとかいう女に言われた。
「時間がないぞ」
ハッとする。手を伸ばしかけ、思い直して引っ込める。
「おい。何をオロオロしている」
「い…いや、その…抱き上げて、問題ないのか??」
かなり切迫した状態だ。動かしてよいのかもわからない。
「腰抜けが」
ため息とともに、視界が切り替わる――
「ッ?!」
睡蓮咲く……いや、白い手に尻を叩かれて、アルフレッドは我にかえった。目の前には、呻く恋人がいる。
「サアラ?!おい!しっかりしろ!」
しかし、彼女は苦悶の声を漏らすばかり。白い手が「何やってんだ」とばかりに、バシバシとアルフレッドの尻を叩いた。痛い…。
だが、妊婦なんかアルフレッドの専門外だ。高スペック攻略対象がウソのように、オロオロする。
どうすれば…どうすれば…
バシバシバシバシ
なんか、一部グーパンで尻を殴ってきている。殺意を感じるぞ。…じゃなくて!
時間が無いと言っていた。だが、アルフレッドにはどうしていいか検討もつかない。薬師に診せなければ…
「ッ!そうだ!《転移》!!」
アルフレッドが消えた後。湖から舌打ちが聞こえた。
転移したのは、女王の館だ。それもアイザックの部屋。お茶を飲もうと立ち上がったアイザックの目の前で、突如光の中から現れた二人――
ドッシーン!
アイザックのぎっくり腰、再び。
いや、だってさ。サイラスの姿があまりにも衝撃的で。「あうあう…」と言葉にならない声で口をパクパクさせるアイザックと、パニクるアルフレッドと…。
「うるっさいわねぇ!静かにしな…サイラス?!ええっ?!」
怒鳴りこんできた妻は、しかし肝が据わっていた。
「貴方…は役立たずね。アルフレッド、サイラスをあの人のベッドに寝かせて頂戴。それからメリッサ呼んで。お湯も用意して!」
テキパキと指示を出して、亭主と娘の彼氏を部屋から蹴り出した。
……。
……。
で。
部屋から閉め出された残念な男二人は、雁首揃えてドアの前で項垂れていた。
「…気づかなかった」
腰が抜けたままのアイザックが零した。
何より、彼は『父親』の矜持を持っていたのだ。なのに、娘の一大事にまるで気づけなかった。ショックだった。
それはまた、隣に立ち竦む『虫』も同じなのだろう。余裕ぶった普段がウソのようにオロオロと扉を見つめていた。
嗚呼…今にしてみれば様子がおかしかったな。
どちらともなく、そう思った。
やたら後継問題を気にしていた。そして、姿を消す直前あたりは、なぜか傍に寄ってこなかった。奇妙に回り道をしているような動き――今にしてみれば、大きな腹を覚られぬように動いていたのだとわかる。
「信用されていなかったんだな…」
『虫』の口からこぼれ落ちた呟きは、アイザックにもまた当てはまる。けれど、自業自得だ。彼女の話を拒み続け、距離を開けていたのは自分自身なのだから。
「「父親失格だな…」」
奇遇なことに、ぼやきが被った。
と。
扉がほんの少し開いて、メリッサが顔を出した。無言で手招きされる。
「?!」
忍者のように扉に擦り寄った男共にメリッサは苦笑し、部屋の中を指さした。