197 ルドラの姫君
学校の設立を急ごう。
学校を作って、各国の貴族子女をウチに滞在させる――つまり、人質だ。各国の貴族子女を大勢収容していれば、それだけで侵略戦争の抑止力になる。そう思わない?
火竜封印の地っていっても、時の経過と共に討伐の記憶は薄れていく。だからもうひと押し、攻撃を躊躇う要素が欲しいんだ。ペレアス海賊とかに海上封鎖の嫌がらせをされても、預かっている貴族子女の安全が脅かされるとか言って、各国に訴えて抗議の一つでもできれば、状況を変えることはできると思うんだよ。
そんな邪な学校設立の企てを実行に移すべく、ひとまず私は、銅板印刷を試してみることに決めた。
まずは…本を作る!
ペレアスの魔法学園で見た教科書の内容はほぼ覚えている。目指すは、アレより少しレベルが高い教科書を量産することだ。簿記とか、実学の割合も増やしたいね。
この世界の学校――貴族子女向けのそれは、何故か国に一ヶ所、王都にしかない。それは帝国もグワルフも同様だ。つまり、それぞれの国には、かなり遠方からわざわざ学校に通うために中央に出てくる人達が一定数、存在する。
その点、ウチはなかなかいい位置にあると思うんだけど…。
「あのね、サイラス。『近いから』って謳っても、生徒は集まらないわよ?」
学校設立を急ぐと話したら、オフィーリアに即、窘められた。
「なぜ王都に学校があると思っているの?貴族子息子女にとっては、中央で人脈を作り且つ貴族社会に認められるため、そして、国にとっては、未来を担う若者を国の都合のいいように育成し、危険な思想に染まらないよう監視するためなのよ?」
…おう。
そりゃなんとも…。
学校は、支配者に都合のいい思想を植えつけるところか。
ある種の洗脳だね。
「ま、設立自体は賛成よ。人材育成は絶対に必要だもの」
それ以前に、と、オフィーリアは真剣な目を私に向けた。
「学校云々前に、ウチの身分制をなんとかしなきゃいけないわ」
「うっ」
…そうだった。
我がモルゲン・ウィリス王国は、二つの男爵領が母胎だ。つまり、爵位のある貴族は男爵オンリー。あとは、爵位のない旧ベイリンの盟友か、父さんみたいに名ばかりの貴族位の平民しかいない。
私はとりあえず侯爵という身分になっているけど名ばかりだし、エヴァやフリッツたちはこれといった身分を考えていないのだ。
でもなぁ…。
正直、身分制を取るのは気が進まないんだ。
ねぇ…。どうして『あっちの世界』で身分制は廃止されたのだと思う?歴史の授業を思いだして欲しい。血筋に則った王侯貴族の政治は、名君に恵まれたときこそ上手くいけど、何百年も維持できた政権って、数えるほどしかないでしょ?そして、どんな長命な政権も、最終的には腐敗して斃されているのだ。
血筋が貴いから為政者――この仕組みは気に入らない。そんなもの、一族にライオネルみたいなバカが生まれれば一発で終わる。
その一方、この異世界は血筋ありき身分ありきの社会。各国の首脳陣と台頭に渡り合うには、身分は不可欠なんだ。
うあ~…ジレンマ。
「名ばかりの身分制を何年も維持できる妙案があればなぁ…」
思わず呟いた私に、オフィーリアはジットリとした眼差しをくれた。
◆◆◆
ともあれ。銅版印刷はやるよ?
教科書の他に、大衆向けの娯楽本も作りたいし。
銅板印刷を簡単に説明すると、まず銅板を熱して溶かした松脂(防食剤)を塗る。そこに文字なり絵なりの下絵を転写する。転写できたら、ニードルで下絵の線を彫る。彫ったら、彫った面を腐食液――腐り花の汁に漬け彫ったラインを腐食させる。そして、グワルフから仕入れたシンナーで松脂を溶かして除去。腐食作用でできた溝にインクを刷り込み、銅板平面の余分なインクを拭き取ったら、プレス機(ジャレッドさん作成)で紙に押しつけて印刷。
まだまだ人海戦術だけど、手書き写本より余程早く、大量に印刷ができるのだ。
教科書作りと平行して、校舎の建設、教師の選定に雇用も進める。あれこれやっていたら、時間は矢のように過ぎてゆく。学校プロジェクトがひと段落つく頃には、すっかり秋が深まっていた。
そんな折。
「ルドラの王族が?」
遥か海の向こうの小国、ルドラ王国の王族がウィリスに訪れた。
◆◆◆
そしてここは、女王の館、応接間。
私の目の前には、すらりと背が高く、燃えるような赤髪のストレートヘアを高い位置でポニーテールにした、女騎士と言っても過言ではないほどの凛々しい王女様がいる。
「遠方よりようこそ。私はモルゲン・ウィリス王国が王配、サイラス・ウィリスだ」
私が名乗ると、彼女もまたビシッと背筋を伸ばして応えた。
「歓迎いたみいる。ルドラ王国が第一王女、アレクザンドラ・ウル・ルドラだ。早速だが、此度はサイラス殿にご助力願いたく馳せ参じたのだ。ペレアス攻めを支援してほしい」
おうっ…!
貴女いきなり、なんちゅうことを…。
ルドラの王族、と聞いて厄介事の予感はしていたけど。ストレートだな!
「ご存知かと思うが、先の戦で我が国はペレアスに敗れ、今も理不尽な支配を受けているのだ。塩採りにかまけて軍人が減った今こそペレアスを打ち倒す絶好の機会。サイラス殿とて、ペレアスには煮え湯を飲まされてきたのではないか?」
鋼のような強い意志を宿した瞳が、私をまっすぐに射てくる。尚もアレクザンドラ王女は続けた。
「私は、サイラス殿には感謝しているのだ。ペレアスめに奴隷にされたルドラの民を救って下さっただろう?」
口調は柔らかいが、その目は『お礼』を言っているものではない。圧がある。
(うぐぅ…)
にこやかな笑みを貼りつけながら、私は内心で呻いていた。ヤベェ奴を呼びこんでしまった。
彼女の台詞を意訳すると、こうなる。
ウィリスは、奴隷落ちしたルドラの民を安く大量に買って働かせているようだが、どういう了見だ?あ?
ペレアスがルドラ攻めをして、彼の国の民が大量に奴隷としてペレアスへ連れてこられた。しかし、戦の最中にバカ王子による銀山売却が発覚して、奴隷需要が消失。供給過多で奴隷の値は急落した。で、人手不足に陥っていたウィリスは、これ幸いとルドラ出身の奴隷を大量買いしたのだ。
つまり、ルドラ戦役をウィリスは漁夫の利がごとく利用したわけで。
今、笑顔で私を圧をかけてきている王女様の魂胆としては、
『ウィリスが奴隷大量買いしたのは、利用したのはなく、保護するため』と捉えてやるから、ペレアス攻めに金を出せ。とまあ、こういうことだ。要は脅しだね。
「残念だね、ルドラの姫君、」
脅しは脅し。でも、これは威力のない脅しだ。
なぜなら今目の前にいるのは、王族だけど何の実権もないお姫様だからだ。彼女が喚いたところで何が変わるとも思えないんだ。
「我がモルゲン・ウィリス王国は永世中立国。どこかの国の肩を持つわけにはいかないんだ」
あくまでも穏やかに、私は彼女の『お願い』を断った。動乱で大損することは、骨身に染みているんだよ。波風立てるようなら、むしろ全力で邪魔させてもらう。
「しかしサイラス殿、貴殿の国はこれほどまでに発展している。しかし国土は決して大きくない。今、我らとペレアスをモノにすれば、他国に怯えぬ盤石な国と成れるのではないかな?」
しかし、王女も簡単には引き下がらない。この人は、少なくともどこぞのバカ王子よりは真面な王族なのだろう。ちゃんと、『説得』はできている。ただ、『実務経験』がない。
「ルドラの姫君、政はね、『荷を満載した車を引いて坂を登り続ける』ようなものなんだ。どんな小さな国でも、油断すれば重みに負けて坂を転がり落ちてしまう。私ごときの力では、荷車に載せられるのは今の小さな国で精一杯」
ニコリと私は王女に笑いかけた。
「貴女も、よく覚えておくといい。重すぎる荷車を身体に括りつけて坂を登れば、力尽きた途端に転げ落ちて大怪我をする」
暗に、不相応な望みは身を滅ぼすと伝えたつもりだ。失政の代償は王族の首。会社をクビになるとかじゃないよ。物理で無くなるから。それは、ぽっと出の私より彼女の方がよく知っていると思う。
見つめ返した彼女は、無言で次の台詞を考えているようだ。
「永世中立国として、ルドラの姫君を歓迎する。ゆっくりしていくといい」
言葉に詰まった時点で、私との交渉は失敗。さっさと切り上げるべく私は席を立ち、気を利かせた侍従が、にこやかに「案内の者をつけます」と申し出て、まだ話したそうな王女を連行していった。
ひとまず、片づいたかな。監視もつけたし。
けれど――
事態は、私の予想を嘲うように動いていくのだ。教会の発表したスキャンダルを発端にして。




