189 サイラスVSアルフレッド【中編】
玉座に悠然と腰かけた皇帝に忍び寄る幼女――。
皇帝にもやはり幼女は見えないのだろう。自身に忍び寄る者に気づく素振りすら見せない。
(何を…?)
慎重な足取りで皇帝に近づき、猫のように飛びかかる幼女。しかし、彼女は、そこにいるはずの皇帝の身体を通り抜け、玉座の向こうに着地してしまう。
(そうか…。アレは結界じゃない。隔離魔法だ)
なるほど。妙だと思っていたのだ。《暴食》で地が割れ波打っても、変わらずそこにいる皇帝に。隔離魔法なら……空間ごと切り離しているのなら、地が割れようが天が落ちてこようが関係ない。サアラがどんなに暴れても被害は及ばない。正しく、絶対防御――
「ッ!」
ドゴン!と、足下の屋根が崩落する。
サアラに気づかれたらしい。
視界の隅で尚も皇帝に忍び寄る幼女が気にかかりはするが、サアラを相手に油断はできない。
「《反射》ッ」
飛んできた魔力の矢を撃ち返し、屋根から飛び降りる。
地面は波打つのをやめているが、足元も気にした方が良さそうだ。だが…
(転移魔法を乱発すれば自滅は必至だな…。どうする…)
転移魔法は魔力を多く消費する。回復薬も持ってはいるものの、期待薄だ。飛んでくる矢を撃ち返すか躱すかしながら練兵場を駆けていると、たまたま皇帝の隔離魔法の前に出てきてしまった。幼女は諦めていないのか、何度もトライアンドエラーを繰り返している……
そこに、
「《破砕雷》!」
当たらぬ攻撃に焦れたのか、地を砕く雷撃が殺到する。
「ッ!」
あの子に当たるだろ!
皆まで叫ぶ余裕もなく。
アルフレッドは幼女の首根っこを捕まえて抱きこみ、回避行動を取るが。
「…ハッ?!」
背に重い衝撃を受け、吹き飛ばされた。
……クソ!喰らったか…。
カッと背に熱が奔り、続いて激しい痛みが襲う。
身体が動くあたり、傷は深くはなさそうだが。
ぬるりと伝う感覚に舌打ちする。
破壊され、ささくれだった鎧を思いきって脱ぎ捨てた。
「大丈夫か…?」
腕に抱えた幼女に問えば、彼女は悔しそうに尚も皇帝を睨んでいる。
「アイツの…石、」
「石…?ッ!」
迫る気配に、無理矢理体勢を立て直して結界を発動した直後、衝撃が伝わる。
「ぐうっ…!」
また、アホみたいな威力!
結界越しに、矢を放ったばかりの魔弓が見える。魔石は半分程に削られているが、まだ生きている。やはりアレを壊さないと…
「回復薬!ズボンのポケットにある!飲ませてくれ!」
傷が疼くせいで、魔力を上手く錬ることができない。使える者は人外だろうが使う!
「このままだと俺もアンタもやられる!頼む!」
必死な様子が伝わったのか、幼女がズボンのポケットをまさぐる。そして…
「飲め、そして妾の話を聞け」
回復薬の小瓶を口に突っ込んだ手は、ふくふくした幼女の手ではない。白魚のような、ほっそりした大人の手だ。
「…助かるッ!」
背の痛みがひき、次ぐ攻撃を撃ち返し。
サイラスから目を離さないまま、今は王の娘――レダの形を取った魔の森の化身に目配せをする。
「あの男が持つ石を壊せ。そうすればサアラは正気を取り戻す」
轟音。
もうもうと砂煙が巻き上がる。
「石…?」
警戒しつつ皇帝を見やれば、確かにその手に魔石らしき物を持っている。あれか?
にしても、やはり。
サアラは正気を失っていたか。
「あの男めが。我が夫を外道な紋で支配しているのだ。石が壊れれば、支配から解き放たれる」
見ろ、とレダがアルフレッドの瞼に触れる。
すると、先ほどまでは見えなかった禍々しい呪印が、サアラの左胸に浮き出て見えた。
あの野郎、サアラの胸触ったのか?!
……。
……。
決めた。
ぶっ殺す…!!
背中の傷のことなど忘れた。
「わかった…。アンタは離れていろ」
さすがに彼女を抱えたまま、戦闘を続けるのはキツい。しかし、彼女はまるで動く気配がない。…おい。
「話を最後まで聞け。今のサアラは妾を見ることができぬ。また、竜体になることもできぬし、水魔法も使えぬ」
竜体になれないか…。
なら勝機はあるな。流石に竜化したサアラとでは……
勝てる気がしない。
「そこでだ。そなた、サアラの逆鱗を取ってこい」
「………は?」
いきなり話がぶっ飛んだぞ?
急激に迫る気配…後ろか?!
「《聖なる光》!」
後方で彼女の悲鳴が聞こえ、気配が遠ざかる。
「妾は、観覧席に隠れている結界術者を始末しよう。だが、それには武器が必要だ。竜の逆鱗は魔力の塊。たかだか人間一人、いかようにもできる」
…なるほど。
隔離魔法の術者は観覧席にいるのか。木を隠すなら森の中ということか。
「逆鱗は、首のつけ根…喉の近くにある。一つだけ形の違う鱗だ。取ってもサアラがどうこうなるわけではない…が、」
なんだ?その奥歯に物の挟まったような言い方は。
怪訝な顔を向けると、レダはサッと目を逸らせた。
なんか隠してるな?
「ともかく!そなたは結界が消え次第、あの男の持つ石を壊せ!忘れるな!」
言うだけ言って、地に溶けるように姿を消すレダ。
しかし、戦闘に意識を向けた直後、「決して油断するな」と耳打ちされた。何なんだ、いったい…
いずれにせよ、彼女の首筋に触れるにはあの魔弓が邪魔だ。破壊しよう。
キラキラと降り注ぐ光魔法は、彼女の接近は防げても攻撃魔法の盾にはならない。しかし、目眩ましと併用すれば…!
「《砂嵐》!」
光魔法を継続しながら砂嵐を巻き起こし、光魔法の煌めきもろとも隠す。聡い彼女なら、迂闊に見え透いた罠の中に入っては来ないだろう。つまり、遠隔攻撃一択だ。
魔力を練り、無詠唱で土人形を錬成する。それぞれに己の魔力を多めに付与すれば、囮の完成だ。
黙して待つこと数秒、砂煙が揺らぐ――
今だ!
砂煙が揺らいだ方向に思いきって転移魔法を使う。そして、彼女の背後から魔弓を捕らえ、
「ハッ!」
素早く、残る魔石を剣で打ち砕いた。
不意を突かれたサアラだが、すぐさま対応してきた。
「《雷撃》!」
「《結界》!」
しかし、接近戦ならアルフレッドの方が技量は上だ。今回は皇帝をぶっ飛ばすという、より高い目標のため、容赦なくやらせてもらう。
「《光の縛め》!」
ワイヤーのように細い光の糸が幾本もサアラの身体に絡みつき、自由を奪う。
「キャアアアッ!!!」
四肢を搦め捕られ、叫び声をあげるサアラを力づくで地に押し倒し、のしかかる。
憎しみを湛えた空色の瞳がアルフレッドを射殺さんばかりに睨みつけ、腕と背中に鋭い爪をめり込ませた。ミシミシと骨が軋む。やはり筋力が尋常ではない。
「アアアアッ!!お…の、れぇええっ!!!」
シュウシュウと魔力を蒸発させ、苦悶に表情を歪めるサアラも必死だ。爪が食いこんだ腕を生ぬるいモノが伝う。
メキメキと、骨が…
(折られる、前に…!)
「うおおおおっ!!!」
手も足も、怪力を押さえ込むのに精一杯だ。
光魔法を強めると、耐えかねたのか彼女の身体が仰け反り、無防備に首が晒される。
つけ根の少し上、喉の近くに……
あった!
一枚だけ、形の違う鱗がある。
おまえのせいだからな――
魔法学園で再会したときだった。おまえは仲間たちと阿呆な結界の使い方で盛り上がっていたよな?
前歯に結界を凝縮させて、胡桃の殻を囓って砕く……だっけ?
残念だが、今は手も足も塞がってるんだ。腕あたり、そろそろ折れそうだしな。上品なことはしてやれない。
首筋に顔を埋め、首筋に結界で強化した歯をたて、逆鱗を、噛み千切る――
サアラが声にならない悲鳴をあげる。
やはり鱗とはいえ、身体の一部、痛かったか。
…この時、呑気にそんなことを考えていた自分を殴ってやりたい…。




