187 生誕祭
「サイラスは今頃、超高級な飯でも喰ってんのかなぁ~」
ウィリス。女王の館にて。
フリッツは、誰も見ていないのを幸いに、テーブルの上に両足を乗せて空を見上げた。机の上は、未処理の書類が堆く積まれている。くっそ、あの野郎爆発しやがれ!
「フリッツ様、その…ローデリア領ですが…」
交渉に出向かせた部下の顔は冴えない。ダメだったか。
「ダメ?」
「……はい。険もほろろに」
こりゃ脈なしだな。踵の下に敷いた地図に×印をつける。例のダンジョン通り抜けルートの代替ルート探しは、難航していた。
何せ相手方の費用で道路を敷設してもらわなければならない。まずここで反発する領主が多数。田舎は貧困率が高く、且つ貴族は道路の重要性すら理解できなかった。悲しい。
「ちくしょー!もう春になっちまうぞ!」
このままだと、せっかく築き上げたグワルフとの貿易ルートが死ぬ。あの国とは、今後もよい関係でいた方がよい。何しろ、国の防衛に一役買っているのだから。
「ああっ!もおぉ!!」
フリッツが頭をかきむしったその時。執務室の扉が開いて、ミルクティー色の巻き毛に紅い瞳の娘が現れた。
「ちょ…フリッツ!貴方なんて格好してるのよっ!」
…いかん。
一番バレたらマズい人間――女王様にだらけているところを見つかってしまった。椅子にのさばり、両足は机の上、シャツが捲れてへそが丸見え。わお。
「クラヴァット!買ったのにどうしてつけてくれないのよ!」
ポケットに突っ込んでいたクラヴァットを奪われ、くつろげすぎたシャツを整えられ、クラヴァットを結び直された。
「いや…窮屈だしさ」
だって俺庶民だし?クラヴァットなんか馴染みがないし?
言い訳をしたら足にチョップを入れられた。地味に痛い。
「おおっ?!そ、そんなところ触っちゃう?!」
だらしなくズボンから出したシャツの裾を整える彼女を揶揄ったところ…
「握りつぶすわよ?」
「…申し訳ありませんでしたー」
鬼のような形相で睨まれた。怖ぇ。
「ほら、もう!しゃんと立って!」
「へいへい…」
なんか今日のリアはグイグイ来るな。かったるそうな顔を装いながら、人形のように整った美貌をとくと眺める。今日も超絶いい女だ。怖ぇけど。
「仕事はとりあえず引き継ぎ。生誕祭に出席するわ。明日発つのよ?サイラスがいないから貴方が私をエスコートするの!」
……。
……。
は?!
今、なんつった?!
「あ~…。リア、てことはやっと俺と寝てく…いってぇ!」
「言葉遣いから矯正しましょうか…」
エスコートと添い寝ってセットじゃなかったっけ?って聞いたら、どこからともなくヴィクターさんが現れた。その手には…鞭。ヤベェ…。俺、今日死ぬかも。
◆◆◆
まるで澱の中に沈んだように、身体が怠くて、重い。
浅い呼吸を何度繰り返しても、楽にならない。苦しくなるだけだ。それでも懸命に瞼をこじ開けると、あの憎々しい皇帝が目の前にいた。
「フッ…これで貴様は余のモノだ」
腕に私を抱きながら、そうだ見せてやろう、と私のシャツを剥ぎ取った。
「やはり貴様は、こうでなくてはな」
魔法も使っていないのに。
私の身体は黒い鱗に覆われていて。膨らみの中間、ちょうど心臓の上あたりに、見慣れない呪印が刻み込まれていた。
「昔話が途中だったな、」
例の暴君はな。戦を行うために一計を案じたのだ。人間が使えぬのなら魔物を使えばよい、とな。ここは、捕らえた魔物を閉じ込め、屈服させる装置だったのだ。その紋は奴隷紋よ。我が命には決して背けぬ。
ニヤリと笑う皇帝を怒りと憎しみを込めた瞳で睨みつけた。本当、視線だけで人間を殺せるのなら即座にコイツを殺しているよ。
「おお…実に愛い顔だ。我が花嫁」
骨張った手が、無遠慮に奴隷紋を撫でる。
全身に鳥肌がたった。酷い不快感を覚える。
「共に生誕祭を楽しもうではないか。余の望みを叶えた暁には……そうだな。本物の花嫁にしてやってもよいぞ」
クソ…!誰がッ!オマエなんかに!
心はガンガン文句を喚き散らすものの、身体がまるで言うことを聞かない。皇帝が「立て」と命じれば、身体が勝手に不本意な動作をする。命じられるがままに、私は馬に乗り、悍ましい遺跡を後にした。
◆◆◆
ウィリスから帝都までは、通常はひと月以上を要する。しかし、そこはウィリス。メドラウドから竜騎兵を借り受けた。飛竜に乗れば、帝都まで数日で辿り着ける。
「リアちゃ~ん、せめて移動中はこの窮屈な格好やめようぜ?」
竜騎兵と相乗りしたフリッツが早速文句を言った。
彼には、女王のエスコート役ということで、いつもの侍従服よりもワンランク上の格好をさせている。臙脂のジャケットに上等の絹地のズボンは、ダラッとしている普段の彼を、嘘のように引き締めてくれている。装飾もシンプルに抑えたため、衣装に着られている感もない。我ながら上出来だと思うのだが、当の本人は気に入らないらしい。
「格好は大事なのよ。シャキッとして」
貴方も商人ならわかるでしょう?と諭せば、
「格好だけのヤツくらい見破るよ」
と、不遜な答が返ってくる。
オフィーリアは溜息を吐いた。
「お、そろそろ休憩か?」
高度を下げる飛竜に、フリッツに同乗していたキノコが「トウッ」と言って飛び降りた。キノコの傘を広げて、フワフワと飛んでいる。同行者は、フリッツとキノコ、護衛役にヴィクター先生にロシナンテ傭兵団員、それからメイド役としてジュリアを連れてきている。
地上に降りるやクラヴァットを毟り取ろうとしたフリッツの尻を叩き、強引に客室に引っ張り込んだ。後ろ手に扉を閉めると、顔の真横にフリッツが手をつく。彼は二人きりになるとこういう悪戯をしてくる。真意はわからないが、悪戯は悪戯だ。オフィーリアは眉間に皺を寄せた。
「連れこむなんて、リアちゃんだいた…いってぇ!」
足元がガラ空きだ。詰めが甘い。
「聞いて」
彼に話しておかねばならないことがある。
「ウチの陣営に皇帝の間諜が潜んでいるわ」
「そりゃ、いるだろ」
思い切って伝えたのに「なんだ」という顔をされた。腹立つ。
「多国籍軍が駐屯してるんだ。間諜なんざウジャウジャいるだろうよ」
…まあ、そうなのだが。
「帝国の間諜は、独立するずっと前からいると思うの」
あくまでもオフィーリアの憶測だ。
ベイリンとの戦の時。なぜ開戦時から帝国はモルゲンを支援できたのか。また、あの皇帝は随分とサイラスに執心のようだった。彼が性別を偽っていることも気づいている節がある。たったこれだけで、と言われるかも知れないが、寒気がするのだ。
もしや、まだウィリスが村だった頃から、サイラスを監視していたのではないか、と。
目的はわからない。けれど、アーロンと似たモノを感じる。そして、勘が正しいなら、皇帝にとってオフィーリアは邪魔なはずだ。それに…
「これを。今、飲みなさい」
渡したのは、キノコに作らせた万能解毒薬。
ヤツの要求――膝枕してナデナデをしてやったらちゃんと人数分作った。本物……効果はある、はず。
薬の小瓶を見つめ、ややあって一気に呷った彼に安堵する。…まあ、気休めだけど。これで盛られた毒に中る事態は防げるはず。胸をなでおろしていると、不意に足が床から離れた。
「え…?」
次に感じたのは、背中に当たる柔らかな質感。ベッドに横たえられたとわかり、焦って身を起こしかけたオフィーリアを、フリッツはどうどうと宥めた。
「いや、そういうのが目的じゃない。保険を仕込むだけだから」
「保険?!きゃあ!何すモガッ」
叫ぼうとした口にクラヴァットを押し込まれた。
嗚呼…せっかくの絹のクラヴァットが…
「変なことしないって!心臓の上に描かなきゃ意味がないんだよ」
曰く、保険というのは《虚実の心臓》という呪印。発動に魔力を大量消費するので、使えるのは一回きりだと、神妙な顔でフリッツは説明した。物理や魔法の攻撃で負った怪我を無かったことにする、呪印だと。新人兵士が初めての実戦に赴くとき、御守り代わりに心臓の上辺りに描くものらしい。
「無謀はダメだぞ?」
と、釘を刺された。
何せ、《虚実の心臓》は、発動すれば怪我は無かったことにできるものの、直後に十中八九魔力切れで動けなくなる。初擊は助かっても、追撃でほぼ確実に殺られる。フリッツは言って、私の胸の中ほどに描いた呪印のインクをパタパタと扇いで渇かした。
対物理攻撃無効の呪印なんて、ますます生誕祭が危険なイベントに思えてくるわね。けど、それ以前に。
私、顔が燃えているわ。フリッツを見れない。
「…お嫁に行けなくなったわ」
恨みがましく言うと、「もう結婚してるだろ」と返された。
アレはカウントできないわよ…。
◆◆◆
生誕祭の前日、無事に帝都に到着すると、まずはメドラウドの屋敷を訪れる。あいにく当主は不在にしていたため、簡単な挨拶をして翌日に皇宮へ。特段変わったことはない。ただ、護衛とメイドについては、生誕祭への同行は不可だと断られた。あくまでも生誕祭は貴族のための場、ということだろう。
「(猫背になっちゃダメよ)」
シャキッとしなさい、と囁いてエスコート役の背を叩く。
一応、フリッツは女王のエスコート役として不足のない身分、侯爵にしてある。完全に名ばかりの爵位だが。
皇帝からの言伝では、サイラスは皇帝に同行してこの場に来ているというが…
「ここ、何なのかしら」
どう考えても、大広間へ向かっているとは思えない。案内役は、何故か中庭を突っ切って、宮殿の外へ向かっている。行く先は、徐々に宮殿らしい煌びやかな装飾が目減りし、次第に角張った無骨な煉瓦ばかりが目立つ。明らかに、貴族のためのエリアから外れている。
そして辿り着いたのは、大国の生誕祭にはあまりにも似つかわしくない場――練兵場だった。ただっ広い広場を囲むように、階段状の観覧席が設えられている。まるで円形劇場だ。案内役曰く、帝国ではこの練兵場で武道大会を開くため、こういう観覧席が設けられているのだという。見れば、観覧席は既に大勢の紳士淑女がひしめいている。自分たちも彼処に座れということなのだろうか。
「女王陛下はこちらに」
しかし、案内役の示したのは、兵舎の傍らに設えられた白いティーテーブル。既にお茶の準備が整えられており、甲冑を纏った給仕が控えている。
「ディルクさん?!」
メドラウド公の護衛が、なぜこんなところにいるのだろう。傍らのフリッツが舌打ちした。見え透いた罠だ。
近くに他の招待客の姿はない。しかし、従う他ないのか。フリッツの顔を見たものの、彼は無言でテーブルを示す。行くしかなさそうだ。




